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スラムの灯~スゥォード・ナヴァリの生涯 第二話「掃き溜めの天女①」

 スラムに行くのは、今日で終いにしようと決めた、その日のことだった。

 彼女と出会った。泣きながら、川で身体を洗っていた。

 もう、暗くなる。腰から下を水の中に浸かっていた。隠れて、そうしていたらしいが、たまたま、俺が通りかかったのと、目が合ってしまった。慌てて、川から上がり、躓いて、また、泣き出した。

 あんまりな感じだったので、ついぞ、声を掛けた。

「大丈夫?慌てなくてもいいよ、何もしない」

 あんなことしてるのは、相場がついている。生活の為に、恐らく・・・。

 この日、たまたま、子どもたちに渡した以外の御菓子を持っていたので、差し出すと、嬉しそうに、それを受け取った。しかし、その後、俺の手を引こうとした。

「ああ、違う。・・・多分。そういうことじゃなくてさ」

 なんとなく、俺も、奥様方のお相手してるから、似てるんだけどさ。

「いいよ、これはあげるから。食べて」
「ありがとう」

 彼女は、にっこりと笑った。

 いくつぐらいだろうか。恐らく、俺より、少し年下ぐらいか。
 急いで、御菓子の包みを抱えて、走っていった。恐らく、下に兄弟でもいるのだろうと思った。

★・📷・★


 その数日後、やはり、諦めきれず、スラムと第四層の境、柵越しに、スラギ海峡の写真を撮りに来た。しばらく、夢中で、撮影していると、柵越しの川の向こう岸で、誰かが見ているのに気付いた。彼女だった。

 今日は、昼はまだで、サンドイッチも無事だ。こっちの領域で、ランチの弁当を盗む者は、さすがにいない。彼女を手招きした。すると、橋を渡り、柵の傍までやってきた。

 彼女は、先日と違う、綺麗な青い服を着ていた。悲しそうな目で、ニッコリとしてみせた。

「この間は、ありがとう、ございました」
「ああ、いいよ、そんなの」
「四層の方、ですか?」
「あー、うん、まあ」
「こないだのお礼が、したいのですが」
「いいって、だから、そんなの」
「お願い、します」

 必死な眼差しだった。

「お客さん、連れてこないと・・・」
「お客さん?」
「お金、持ってる人じゃないと」
「・・・ああ、そういう・・・」

 なんとなく解った。そういうことか・・・雰囲気から、多分、今日は、彼女の初見せなのだろう。俺の居留は、四層ではなく、三層だから、真実を言えば、よりいいのだろうけど。

 俺は、ポケットから、金を出し、サンドイッチに添えて、柵越しに彼女に渡した。

「これで済んだと、店に言えばいいよ」
「・・・」

 まあ、そうなのだろう。これはこれで済むが、戻れば、きっと、他の客を取らされるのだろう。

「また明日、来てくれますか?」
「・・・わかった」

 撮影を理由に、ここには来ることができる。一先ず、約束してしまった。

 三層で、俺が奥様と会って、今度は、五層のスラムの彼女に、その金が流れる。まあ、俺がそんななのは勝手だが、彼女が、こんなことをしなければならないのは、やっぱり、この国の所為だろう。他国からの噂を聞けば、この国は遅れている。独裁政権の名の下に、身分の差別が、はっきりしていて、何もかも仕分けされている。「人権」という概念があることすら、最近、知ったぐらいだ。この国の偉い人たちも、そんな言葉、知らないんじゃないかな?

「カメラの腕があるのだから、思い切って、国を捨てて、ランサムで学んだらいいんじゃないか?」

 誰かが、こっそり、耳打ちしてくれた気がする。ああ、宝石商のご主人だ。例のデパート経営の家で、ガーデンパーティの時、準備に借り出された時だった。

 声をかけられ、木立の奥の方に、手を引かれて行った。翡翠のお誘いを受けたが、流石に、そこまでは、と思っていた。願いを叶えたら、南洋諸島の宝石の採掘の視察に連れてってくれると言っていたが。ここと違って、海に囲まれた綺麗な景色だそうだ。少し、食指が動いたが、国を出るには、色々と面倒臭い手続きが要るらしいし・・・高級そうな葉巻の良い香りが、口元に残った。いいのに、それでも、一頻り、抱き締めてきた後、また、高額の紙幣が一枚、スッとズボンのポケットに入れられた。今の生活の中で、またまだ、撮りたいものはある。俺は、これで十分だ。

 そうだ。それでいて、スメラギが好きなのかもしれない。酷い国の部分もあるが、幸いにも、俺は、上から三番目の層に生まれたのだから、普通の生活なのだという。世界水準の普通・・・ぐらいだと聞いた。それが本当だか、よく解らないけど。

★・📷・★


 翌日の同時刻ぐらいに、同じ場所、四層と五層の境の柵の所に行った。少し、纏まった金があれば、今日の仕事は放免されるんじゃないか、とも思った。我ながら、お人好しかもしれないが。

 しかし、一時間待ったが、彼女は来なかった。仕方ない。五層への柵を開けた。町を歩く。顔見知りになった、子どもたちが、三人、ついてきた。

「兄ちゃん、今日はリンゴないの?」
「ああ、ごめん、今日は持ってきてない」
「そうかあ、残念」
「ああ、そうだ」

 確か、ポケットの奥にあった。口遊すさびに駄菓子屋で買ったやつだ。

「これ、少しずつ、分けろ」
「ああ、ラムネだあ」
「シュワってするやつだあ」
「美味しいけど、すぐなくなっちゃうやつ・・・」
「ないより増しだぞ、今日の夜、沙夜さや姉ちゃんが仕事だから、これ食べて寝ちゃえばいいよ」

 こいつら、駄菓子すら、買えないんだな。

「沙夜姉ちゃん、帰ってきて、明け方、泣いてたよ」
「うん・・・」
「いいよ、その話はするな」

 気になった。

「お姉さんがいるのか?」
「うん、今、茶花ちゃばな通りに、働きに行ってる」
「だめだ、言ったら」
「綺麗な青いワンピースもらったの、お姫様みたいに、髪の毛したの」

 ああ、そういうことか、この子たちのお姉さんも、彼女みたいに・・・

「あ、その、茶花通りって、どこ?」
「えっとお、そっちの」
「やめろ、ふくら、行くぞ・・・これ、いいです、すみません」

 年嵩の子が、渡したラムネ菓子を突き返してきた。

「兄ちゃん?」
「ふくら、むねも行くぞ」
「ラムネ・・・」
「だめだ、返すんだ」

 下の子が、惜しそうにして、半泣きになっている。

「頼む、行くんだったら、頭に青い花の綺麗な・・・あの」

 まさかな。年嵩の子は、俺に何を頼もうとしてるのか?

「お姉さん、茶花で働いてるんだね?」

 小さく、年嵩の子は頷いた。この子は、姉が何をしているか、なんとなく、解っているんだな。

「沙夜っていうんだ。昨日からなんだけど、・・・もう人気者になったって、市場の人が言ってた。白いパンをもらって帰ってきたんだ」
「兄ちゃん、食べなかった」

 ・・・同じ様な子がいるんだな。行けば、解るかな、茶花通り。

「とにかく、はい、ラムネ、食べて。俺は、茶花に人探し。客じゃないから」
「・・・」

 信じてないな、仕方ないか。

「帰って、それ食って、姉ちゃん、待ってた方がいい。それと・・・」

 小銭を、その年嵩の子に、一枚握らせた。これなら、パンがいくつか買えるだろう。

「・・・すみません」
「うわあ、お店、行こう、兄ちゃん」
「一応、聞くけど、姉ちゃん、サヤさんっていうのか?」
「うん」
「ワンピースって、青いやつか?」
「そう、ヒラヒラのついてたやつ、とても綺麗なの」
「いいよ、ふくら、・・・すみません」

 話から、多分、そうじゃないかと思っていたけど・・・昨日見た、彼女の姿だった。やっぱり、兄弟がいたんだな。

「気を付けて、帰れよ、じゃあな」

 振り向くと、まだ、年嵩の子が、俺を見ていた。俺のこと、信じてないのだろうな。


★・📷・★


 茶花通りは、スラムの歓楽街の役割をしているらしい。何か、拾い集めてきた物で、ごったがえしている感じがした。

 ここで暮す人々は、この国の末端の処理をさせられているという。ゴミの処理、皮革産業、場合によっては、罪人の死体処理の仕事まであるらしい・・・。他にも、上の方から直接呼ばれる仕事もあるという。年齢などで、色々な役割があるらしいが、時には、トラックに男たちが集められ、恐らく、土木作業などの肉体労働をさせられる為に連れて行かれるのだろう。

 たまに、綺麗な車が町に来ることもある。それはかなり、珍しいが、恐らく、お城で遣わされる者が乗せられて行く。最近では、少ないらしいが、昔は、容色の綺麗な子どもが連れて行かれたこともあるらしい。推して知る由である。「気を付けなよ。ミツルギは、女の子みたいに可愛いから」大人たちが、ふざけて言っていた。

 まあ、お城に行かなくても、評価も推して知る由、かもしれないが。でも、俺は、そんな時でも、大事にされてきた記憶しかないので、別に、そんなこと、知ったこっちゃない。本人が良ければ、そういうのは、何でもいいとも思うが。

 でも、商品として、取り扱われることを良しと思う子なんて、普通はいない。当たり前に、皆、心ならずだ。・・・電球が、色取り取りのマジックで塗られたネオン紛いの電飾が、煌々と光る一角に辿り着くと、呼び込みの声が響いた。

「いらっしゃーい、・・・おやあ、君、見ない顔だねえ、向こうの新人じゃないの?」
「え?」
翠蔭すいいんの子でしょう?」

 その呼び込みの、中年の男が指さす方を振り向くと、緑色の看板の店が、奥にあった。あああ、そういう意味ね。はいはい。客引きも、俺を客と見ない。スカウトの方の目だ。そういう風に見るんだな。あああ。

「昨日の新入りの女の子、どの店にいるか、知ってる?」
「あああ、お耳が速いねえ、お客さんだったんですか?上の層の方とお見受けしますが」
「んまあ、そうだけど・・・」
みどりのスカウトに見つからない内にね、ふふふ・・・それって、沙夜のことかい?」
「ああ、そうだ。その子だよ」
「今、予約いっぱいらしくてね、ラストにねじ込んでもらうかい?それでよければね、そこの店、芳野かぐわのだよ・・・まあ、深夜になると思うがね。よければ、こっちの、」
「金を出せば、順番は繰り上がるか?」
「・・・それはそれは、ご相談にあずかります・・・おい、央樹おうじゅ

 ポン引き風の若い男が、その芳野という店のカーテンを引き、出てきた。

「なんすか、親爺さん」
「沙夜をご指名のお客さんなんだが」
「ああ、無理かなあ、これから営業開始で、四人待ってますんで」
「いやあ、こちらがね・・・」
「いくらだ?じゃあ、その四人分と、俺の分出す。彼女を借り出して、そのまま、今夜は帰すっていうのはダメか?」
「ふーん、・・・どうかな?央樹」
「口利き料に、親爺さんと、俺の分ということで、もう二人分」
「解った」

 金額を聞くと、三層の半分だ。こんな値段で・・・?・・・まあ、来るのは、四層か、ここでの仕事の仕切役なんだろうな。金が回らない所だからな。となると、その娘たちの取り分は・・・考えたくない。酷い話だ。

「はいはい、まいどありー、ちょっと、待っててくださいな」
「沙夜、呼んでこい」
「はい」

 店員に指示をすると、央樹は、俺に耳打ちした。

「天女だから、もう少ししたら、値を吊り上げる予定だから、クスクス・・・」

 ・・・つまりは、そうなんだろう。
 泣いていた彼女の姿が、目に浮かんだ。

「はい、沙夜、今宵は、こちらさんに、可愛がって頂きなさい」

 カーテンが捲られ、恐る恐るという様子で、彼女は出てきた。
 髪を結いあげ、青い造花を髪に挿して、赤い口紅を引いて、裾にフリルのついた、青いワンピースを着ていた。二度目にあった時と同じ、彼女の妹らしい子の言った通りの姿だった。顔を上げて、俺を見て、驚いている。

 カーテンの奥から、女たちが顔を出して、ざわついている。

「えー、翡翠の店の子じゃないの?」
「ブラウス来たら、王子様みたいな人ねえ」
「若いし、見ない男だねえ、沙夜ったら、上のお客、もう、掴んだのかしらねえ」

 すると、その後から、男たちがぞろぞろと出てきた。文句を言いながら、食らいつこうとする所を、央樹が体裁よくなす。すると、中から、ベテラン風の女が、男らをあやしに出てきた。

「行こう」
「あ、はい」

 沙夜は、持っていたストールを頭から被って、巻いた。俺は、沙夜の手を引き、早歩きで、店を後にした。


★・📷・★


「あの、本当に来てくれるなんて・・・」
「まあ、約束だったからね。柵の所にいなかったから」
「無理だと思ってたから」
「・・・偶然、君の御兄弟と知り合いだったらしくて」
「え?」
「三人の弟さん、妹さんがいるだろう?」
「ああ、そうなんだけど」
「ん?」
「皆、血が繋がってないの。捨て子だったり、親が死んだり、連れて行かれて、大戦の後、戻らなかったり、そんな感じ」
「そうか・・・とにかく、何か買って、家に帰ってあげて。店はどこかな?」

 ここは、聞きしに勝る、酷さの巣窟だ・・・。助けようなんて、関わろうとしても、何もできない、上から睨まれるだけだからと、親に言われたことを思い出していた。

 通りを抜けようとした所に、屋台があった。老夫婦が、雑穀スープを売っていた。

「いらっしゃい」
「えーと、大きな袋二つ分」
「はいよ、後は?」
「そこの揚げパンを、十個」
「待ってな、今、揚げてやるからね。揚げたて、持っていきな」

 お爺さんが、ビニール袋に、雑穀スープを入れている間に、お婆さんが揚げパンを揚げてくれた。

「沙夜ちゃん、よかったねえ、優しいお客さんに連れ出してもらって」

 沙夜は、頷いた。少し涙目だった。なんか、皆、事情を知っているのか?

「家は?」
「向こうの一角の奥」
「解った。そこまで送るから、今夜は、それを皆に食べさせて、君も食べて、ゆっくりと休んで」
「でも・・・」
「いいから」

 家に帰ると、電気は消えていた。彼女が鍵を開けて、電気をつけると、ベッドがあり、そこに、三人はくっついて眠っていた。寒い時期じゃないから、煤けた薄い毛布一枚でも、何とかなっているようだ。灯りに、それぞれが、目を覚ました。

「ん・・・あ、姉ちゃん、お帰り、もう、仕事終わったの?・・・あっ」「さっきのお兄ちゃんだ」
「一緒に来たの?お姉ちゃんと」
「ああ、送ってきただけだから、じゃ、帰るから」
「あ、待って」

 沙夜は、俺の腕を掴んだ。俺は、念を押す。

「これ、食べさせてあげて、君も、ちゃんと、食べるんだよ」
「うわあ、スープだ」
「こっちはパン、あげたやつ」
「いいにおいだあ」
「皆、待ちなさい、お兄さんに、お礼を言って」
「・・・なんで?」

 年嵩の子は、俺を睨みつけた。

「頂いたの。だから」
「・・・お仕事したから?」

 沙夜は、その子の肩に手を宛てて、首を横に振った。

「そうなの?兄ちゃん」
「ん、まあ、なんていうか、ちょっと、俺も儲けた所だったから、リンゴの代わりな」
「すごい。・・・いいよね、お姉ちゃん?」
「うん、用意しようか、太刀たち、大丈夫だから、頂きましょう」
「今日は、もう、行かなくて、いいの?姉ちゃん」
「そうよ、この方がそうしてくれたの」
「本当?兄ちゃん」
「ん、まあ、一先ず、今夜はね。まあ、食いなよ、腹減っただろう」

 子どもたちは、要領よく、雨水を受けたらしい、バケツの水を持ってきた、柄杓ひしゃくで掬って、手を洗い、アルミの鉢を用意し、雑穀スープを分けたり、色々とやっている。旧いテーブルに、それらを並べ、手を合わせ、挨拶をして、勢いよく、食べ始めた。

「ああ、俺の分はいいから」
「・・・兄ちゃん、ありがとう」
「ありがとう」
「ありがとう」

 年嵩の子が、俺の顔を見て、頭を下げた。リンゴを渡したりした時にする仕草だった。下の子二人も、同じようにした。

「あの、良かったら、一緒に」
「うん、兄ちゃんも食べよう」
「ああ、俺はいいよ」
「たべよう」
「いつも、くれてばっかだから」

 壊れかけた椅子だったが、勧められた。一先ず、壊れないか、気を付けながら、ゆっくり、腰かけた。                 
                              
                               つづく

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