
幸せになりたければ幸福な人に近づいたり生き方を真似したりすればいい💛
人は幸福になるために生まれて来ます。それらの幸福感や幸福観は人それぞれ異なりますので、各自が成長過程で自分なりの幸福を見つければいいだけの話です。
ところが、この自分なりの幸福を発見したりそこへ到達したりすることが、私たちの想像以上に難しいのです。もし仮に「生まれた時から私はずっと幸せだったよ」と言う人がいたならば、その人は神様(?)や創造主(?)に選ばれた人かもしれません(笑)。
少なくとも今の私が自分自身の幸福を実感できるようになった時期は、つい最近のことです。つまり、今の幸せを掴むために半世紀以上かかったことになります。
なお、真の幸福は、自分の人生でどん底を経験しませんと味わえないかもしれません。これは、谷底が深い艱難辛苦の人生を歩んでいる人ほど、高い幸福や平凡かつ小さな幸せを実感できるという意味です。
ですから、生まれた時から長期間平坦な道のりを歩んで来た人には、真の幸福を経験できない可能性もあるわけです。もちろん、私の人生は決して平坦ではなかったです。もしかしたら、地下10キロメートルの谷底を歩んで来たかもしれません(笑笑笑)。
今回は、私たち人間が短期間で幸福になるための方法について少しだけ考えてみました。時間がないので、少しだけです。
幸福感と幸福観の違いについて
グーグルAIによれば、「幸福感とは、心地よさや満ち足りた感覚、達成感などの感覚」を、そして、「幸福観とは、幸福とは何かという考え方」を指すそうです。
詳細は、下の切り抜き画像をご覧下さい。

自分なりの幸福を見つけるしかない
人それぞれ生まれ育った環境が異なります。先天的に持っていた才能も後天的に身に付けた能力も異なります。また、両親やその他のご先祖様、兄弟姉妹、出会う友人、巡り合った良書も異なります。
まず最初に、私たちは「自分たちは皆違うのだ」という自覚を持つ必要があります。そして、「自分が人と同じである必要がない」ということも。
ですから、他人と比較することなく、自分なりの幸福を見つけるしかないのです。
ところが、強固な自分軸を持っていない人は、頻繁に周りの価値観に振り回されます。このブレる価値観がその人を不幸にします。
幸福な人の多くは揺るぎない価値観を持っている場合が多いです。もちろん、それらの価値観は人それぞれ異なるのですが、それでいいのです。
幸せになりたければ幸福な人に近づくことが手っ取り早い
私たちの身の回りには、必ずしも善人だけがいるわけではないです。悪人や性悪な人もいて、彼ら彼女らは私たちを不幸にすることを何とも思っていません。
ですから、そのような人とは距離を置くことは大前提となるわけです。
そして、前述した人たちとは逆の人々に囲まれた環境で過ごせば、幸福になりやすいということになります。
では、幸福な人の見分け方とは何か?
幸福な人たちには幾つかの共通点があると思われます。今日の記事ではそれらすべてについて取り上げることは不可能ですので、今短時間で思い付いたことを羅列して行きます。
言葉に優しさと思いやりがある人
幸福な人は自分が発する言葉の大切さを知っています。そして、それらの言葉が未来の自分の幸福に繋がっていることも経験上理解しています。
そのため、幸福な人の言葉選びは非常に慎重で厳格です。
その結果、このような人たちと会話をしていますと、こちらが傷つくことはほとんどないです。
この「相手を言葉で傷つけない」ということが、自分への幸福に深く関係していることを賢い人たちは皆知っているのです。

余計なことを言わない人
世の中には言わなくてもいいことを言う人たちがいます。余計なことを言う人は、間違いなく頭が悪いです。
「余計」の状態とは、必要以上に「モノ」や「コト」がある状態のことです。ということは、それらは不要なのです。
不要なことを頻繁に言う人が賢いということは絶対にないです。そのような人たちはトラブルメーカーになりやすいので近づかない方が無難です。
言葉が汚くない人
言葉が汚い人に、良識的な多くのファンや友人がいることは極めて稀ではないでしょうか。私の知る限りではそのような人を見たことがないです。
言葉が汚い大人は、育ちが悪いか、馬鹿です。馬鹿が幸福であるということはないです。
ですから、言葉がきれいな人に近づいた方が幸福になりやすいです。
美辞麗句を並べ立てない人
語彙力が豊富で美辞麗句を並べ立てる人がいます。しかし、このような人たちが必ずしも幸福であるとは限りません。なぜなら、口だけ番長ということもあるからです。
世の中にはまるで口から先に生まれて来たのではなかろうか、という人がいます。そのような人は、深い思慮もなくきれいな言葉を言いまくることがあります。
多くの場合口先だけですので、あまりにも口が達者の場合、深く関わらない方がいいでしょう。もしかしたら、頭の悪い詐欺師にもいるタイプかもしれません。「かも」と書いた理由は、私はそれ程詐欺師との接点がないからです。たまにネット上で見かけるだけです。
言動一致している人
幸福な人は言動が一致しています。つまり、行動力があるのです。そして、約束を守り、行動力不足で誰かを不快・不愉快にすることがないです。
私がnoteで毎日投稿をする理由も、自分の行動力を示したいという意味合いもあります。
絶対ではないですが、行動力はその人の誠実さの一面を現わしていることもあります。
他人を干渉しない人
幸福な人は、自分と身内、大切な友人、お客様などしか、頭にありません。それゆえ、他人の人生や生活を干渉することはないです。
また、自己成長こそが、それらに深く関与していることもわかっているので、余計なところでエネルギーを浪費しないのです。
なお、このような人の上層にいる人たちが、地球人全体の繁栄と幸福を考えて行動しているものなのです。
しかし、昨今の日本や世界を見回しますと、そのような著名人が少ないように思われます。
最後に 現実社会に幸福な人がいなければ
自分の身近なところに上記の該当するような幸福な人がいない場合、ネット上で探すことが一番だと思います。
現代社会において、インターネットは、私たち人間の幸福に欠かせないものになっています。使い方さえ間違わなければ、毎日の充実した人生に寄与してくれることは確かです。
ちなみに、今の私の幸福も、インターネットと深い関係があります。例えば、私の知識欲を満たしてくれているものは、まさにそのインターネットで得られる情報なのです。個人の検索力が上昇すれば、その人の生活が豊かになることは事実です。
<今日の3行日記>
いつの時代も物欲がない人は幸福になりやすいのではないでしょうか。性欲や食欲も度が過ぎず程程であれば小さな幸せを実感できるはずです。人々の幸福がその人たちの欲望と密接な関係があることは確かなようです。
昨日の記事
下の記事は私の予想以上に反響が大きかったです。ありがとうございます。
イラスト素材:紙吹雪のなかで喜ぶパンダ
いつものサイトで「パンダ 幸福」で検索したところ、下のイラストに出会いました。私にとっての幸福の1つは静かな平安なので、このイラストは私のイメージとは異なります。でも、大勢の人々に紙吹雪で祝福されることは幸福の1つかもしれませんね。

今日の記事はここまでです。
最後までご覧いただきありがとうございます。
いいなと思ったら応援しよう!
