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明るくて楽しい前向きな記事を書き続けた方が幸福(小さな幸せ)が継続すると思うよ💛記事が読者を選ぶって素敵ですよね?「負(マイナス・-)の受容能力」

noteの記事で毎日自分の不幸な出来事を書いている人たちがいます。しかし、彼ら彼女らはそのことで他人を傷つけていることを理解していません。

例えば、性被害に遭った人が、自己紹介欄や記事でそのことを書いていたとします。その時に、読者の私は酷く心が傷つきます。なぜなら、私は共感する人間であり、人の心の痛みが私に伝わって来るからです。

子どもの頃は、人の心の痛みに関して、その種類の多さについてわかっていません。小学生時代の私は、100種類も知らなかったはずです。

しかし、数十年生きて来ますと、心の痛みの種類はほぼ人間の数だけあることを知ります。そのため、身内だけでなく他人の悲しかったり辛かったりした出来事をまるで自分のことのように受け止めてしまいます。

これは、年齢とともに、「負(マイナス・-)の受容能力」が高まるからだと思います。なお、「負(マイナス・-)の受容能力」とは私の造語です。

念のため、「負の受容能力」をネット検索したところこの用語でヒットはしませんでした。しかし、代わりに「消極的受容能力」や「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉はありました。

ただし、これらは私が意味すること(定義)とは異なります。


ネガティブ・ケイパビリティ(ウイキペディア)


今回は、
noteの記事では可能な限り明るくて楽しい前向きな記事を書き続けた方がいい。その方が幸福(小さな幸せ)が継続するのではなかろうか?
というテーマで書きます。

なお、当記事の考えを誰かに押し付けるつもりはございません。

また、自分の不幸な過去を振り返ることで、自分自身の負の感情が浄化され昇華されることは、私も経験済みです。

私の場合、記事の一部でそれらを取り上げており、記事タイトルにしていることはほとんどないはずです。<「はず」と書いた理由は、過去記事を確認していないからです(笑笑笑)。一々面倒なことはしてられないです。




今この瞬間から幸福になれることを知らない人はお子ちゃまである???

今現在不幸な人が、1秒後から幸福になることは簡単です。なぜならば、そう言えばいいからです。

つまり、「私は幸福である」や「私はいつも小さな幸せを実感している」、あるいは誰かが言ったように「生きているだけで儲けものである」などと、前向きで明るいこと言うわけです。

このようなことを言い続けていますと、徐々に人生は明るくなり小さな幸せがたくさん近づいて来ます。そして、不愉快な人たちは自然と遠のくものなのです。

幸福な人は幸福なことを言っています。そして、不思議なことに、不幸なことを言い続ける人は、次から次と不幸な出来事が押し寄せます。これは世の中の仕組みの一つなのかもしれません。

正(+・プラス)の受容能力・・・負の体験から学ぶ

幸福な人は、いつも負の体験からも何かしら学んでいます。そして、そのような不愉快な出来事も正(+・プラス)に変えてしまいます。

ところが、不幸な人は、不愉快なことを不愉快なものとして処理します。これがいけません。

負(マイナス・-)の受容能力」(これも私の造語)が悪いとは一言も言っていません。問題は、「負」を「負」のままにすることなのです。

私の若い頃は今よりも100倍も1,000倍も悪環境にいました💦その生活は過酷そのものでしたが、それらすべての「負」を「正」として受け止めていました。

その受容能力が、現在の私に繋がっています。つまり、充実した小さな幸せを実感する日々を送っているということです。


自分自身と自分の環境を変えられる人が真の大人である

何歳になっても自分自身と自分の環境を変えられない人がいます。例えば、「地方に住んでいるから車をやめることができない」と言う人がいます。

上の切り抜き画像は、「ジャスコ(今のイオン)まで110キロメートルも離れているから車をやめることができない」という人が張り付けたものです。これはYouTube(ユーチューブ)動画にもありました。

しかし、この人は自分の環境を変えることができていません。こんな悪環境ならばそこから抜け出せばいいのです。

おそらくこのような地域ですと、人口が少なく、近い将来財政破綻になるような自治体であることが容易に想像できます。そのような自治体では「増税(住民税や固定資産税など)」や「水道光熱費の高騰」が避けられませんので、いずれ生活できなくなります。

そもそも、スーパーまで100キロメートル以上離れている地域は、地方というよりも「ど田舎」であり、「地方の地方の地方」です。

それに、このような極端な例を持ち出すことは卑怯です。そして、一般と特殊(特別)を混乱させて議論する人は馬鹿です。これは、フランスへ逃げた某インフルエンサーが使う手法とそっくりです(笑笑笑)。

明るくて楽しく前向きな記事を書き続けた方が幸福(小さな幸せ)が継続すると思うよ💛

不幸な人は、使用する言葉が汚かったり聞いていて悲しくなったりすることが多いです。

私の場合、そのような人の記事を読んだりYouTube(ユーチューブ)動画で視聴したりすることは極めて稀です。

それに対して、幸福な人は、言葉が明るくて聞いていて楽しくなります。そして、noteを含めたネット記事を読んでいますと、こちらまで元気になります。

人間は誰でも一時的に幸福なることはできます。しかし、大切なことは、幸福な期間が長続きすることです。

おそらく私の幸福期間は50年以上になるはずです。それは、誰よりも使用する言葉に気を付けているからです。

私のご先祖様たちは、草葉の陰から私のこのような人生を心から喜び微笑ましく見ているはずです(笑笑笑)。

ちなみに、私は記事で「(笑)」を使用することが多いです。これもまた私の楽しさアピール(笑)の一貫なのですが、今現在楽しくなくてもまずは口で唱えたり記事で書いたりすることが重要と言えます。過去記事で斎藤一人さんの天国言葉の重要性を書いている理由もまた、まさにそれです。

最後に 何歳になっても他責にする人は幸福にはなれない

25歳以上の大人になったら、一部の社会的弱者を除き、自己責任だと思います。それは今日の記事でも書いた通り、幸福の環境は自分で選択できるからです。

上のど田舎在住の人は、自分の選択権を放棄しています。諸事情があって転居できないならば話は別なのですが、おそらく責任転嫁している時点で問題解決能力も相当低いはずです。

何歳になっても他責思考から抜け出せない人は、何歳になっても幸福にはなれないです。

今日の記事は多少厳しめなことを書きましたが、私の読者のように読解力の高い人々ならば、いずれ理解してくれると信じて記事を書きました。

なお、このような記事を書きますと、多少フォロワーが減ります。しかし、言いたいことを我慢してまで、フォロワー数に拘ることはナンセンスですよね?

<今日の3行日記>記事が読者を選ぶって素敵ですよね?

私たちnoteクリエイターの記事は、自動的に(笑)読者を選んでくれています。これは非常にありがたいことで、私のnoteではあまり阿呆が近づいて来ません。これにあることを加えたところもっと選ぶ精度が高まったのですが、それに関しては別の機会に書きます。

<余談>記事が読者を選ぶに関して

「記事が読者を選ぶ」に関しては、私の下書き一覧に幾つか残っていて一度も投稿できていません。念のため、noteの右上で検索したところ上のような結果になるのですが、下の記事ではそれについては全く触れていませんでした。どういうこと???


昨日の記事

会社生活や日常生活では我慢と忍耐が続いている人も多いかもしれません。そんな人たちはnoteなどで言いたいことを書いておいた方がより健康的な人生を送れる可能性もあります。

なお、ヤフーなどのネット記事のコメント欄を利用することもありでしょうが、如何せん長文は書きにくいですから私には不向きです。

「パンダ 明るくて楽しい」というテーマでイラストを1枚お願いします。

私の「明るく楽しい」イメージとは異なりますが、可愛いのでこれにしました。ChatGPTさんもいつもありがとうございます。


今日の記事はここまでです。
最後までご覧いただきありがとうございます。

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