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デジタルで見られるアナログへの軽視について

近年、ネットの利便性によりリアルに対する扱いがひどいと個人的には思っています。

これを見受けられた方には老害と言われるかもしれませんが私は一応Z世代です。

もしかしたらZ世代も死語の可能性あるので意見が合わないと思った方は精神年齢アナログ人間と称しても大丈夫です。

私がネットでタイトルのように感じた理由は自身の推し活によるものです


①デジタルとアナログの違い

私は情報弱者なので一般的なデジタルとアナログの違いを調べてみました。

デジタルとは量を "段階的に区切って" 数字で表すことや、情報を "離散的な値"のあつまりとして表現し " 段階的な "物理量に対応させて記憶・伝送する方式や、データを "有限桁の数値" で表現する方法である 

Wikipedia

アナログとはアナログは、連続した量を他の連続した量で表示すること。デジタルが連続量をとびとびな値として表現することと対比される

Wikipedia

ご覧のように意味がわかりません。
正直私もこのタイトルにした理由を考えているところです。

私の考えたデジタルとアナログの定義が全く違うので私の経験したことと私が上記の題名にした理由を見た上でこの定義についてのそれぞれの意見を交わしてほしいです。
コメント待ってます🫡

②私の経験したこと

私は某グループを推していましたがそのグループは些細なきっかけで炎上しました。

最初は「よくあることだよね、自分の好きなことを応援し続ければいい」と思っていました。

ですが、月日が経てば収まると感じていた炎上もそれをきっかけに人々が群がり粗探しをされ誹謗中傷の的になってしまいました。

「ここの顔がかわいくない」「性格終わってる」
「人気ないくせに」「実力がない」etc

本人達が名誉挽回をする行動を起こしてもそれらの言葉は消えず刺激の強い言葉が残り負の感情を載せた投稿が爆発的に伸び、拡がっていく。

この経験だけを汲み取ると「盲目だ」「見なければ済む話だ」と言われるかもしれません。

しかし好きなものを追いかければ追いかけるほどに嫌な言葉、過去の出来事がグループの名前を検索すれば見えてしまうのがネットなのです。

そんな自己肯定感を罵詈雑言で得る者を咎めた先には何が返ってくるかは皆さんもわかると思います。

「ネット向いてないよね笑」

最近の流行語大賞並に使われている言葉です

確かに私はネットが向いてないかもしれません。しかし罵倒し他者に当たる者がネットに向いている人なのでしょうか?

この行為がネットの世界での模範なのでしょうか?

そんな私の疑問を他所にそのような言葉を使う人がネットを語り、あたかもネットは「そういう人達」の居場所だと主張をしますが私はそのように到底思えないです。

③言いたいこと

全ては私の経験したことであり自分本意な考え方なのは重々承知ですがこの経験を通して言いたいことは、

「ネットを通して人をまるで実体のないもの、デジタルのように扱っている」

ということを言いたかったです。

ネット、実体があるか定かではないものでリアルを見て軽視する。
それはまるでネットの世界で生きる人形、アニメ、AIに対して苦情を出しているような軽い思いを感じるんです。

しかしスマホを触っているあなたも私も熱があり息があり感情を通して日常を生活している一個人なんです。


これを書きたかったのですが
デジタル」と「アナログ」≫「実体のない」ものと「実体のある」もの

そのように区別していたのですが深く掘り下げると意味合いは違ったようです。

この経験と2つの言葉に共通点を私なりに挙げるならば目新しいものや影響力が全てではないということです。

実際、今を生きて現実を感じることができるのであれば醜いネットの言葉に共鳴はしないからです。


この件を介して影響を受けた記事と本
・推し燃ゆ
・記事:なぜSNSには「極端な人」ばかり集まるのか…「ネット世論」がまるで参考にならない根本原因。SNSは人類が初めて経験する言論空間
byPRESIDENT Online


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