少年と犬/馳星周
久しぶりに本を読んで泣いた。
と言うか泣く事自体が久しぶりだった。
最近は、やりたい事とやらないといけない事に追われて本への没頭する感じが前より遥かに減っているのを感じていた。
でも本を読む事は辞めていなかった。
少しずつだけど読み続けていた。
読んでよかった。そう思えたのも久しぶりな気がする。
私も東日本大震災の経験者ではある。
当時小学6年生だった。
1番後ろの席に座っていた私は机の下で身を守りながら揺れがおさまるのを待っていた。
教室で飼っていたメダカの水槽から水が溢れ、
床に降ってきた水槽の水に驚いた事を今でも思い出す。
幸いにも被害が大きい地域ではなかったが、地震へのトラウマはある。
この本に出てくる「多聞」という犬は疫病神のような犬なのかと大きな勘違いをしながら読んでいた。
読み終わった今はただ、ただ一途な愛に溢れた犬だと思っている。
特に私が好きだったのは「娼婦と犬」と言う章。
犬は言葉を発さないから、人間は犬の存在を都合よく解釈する。
答え合わせをする方法を人間は言葉しか知らない。
答え合わせが出来なくても人の心を動かし続けられる犬、犬というか動物の力こそが愛なんだと思う。
言葉がなくても伝わる愛が人間の心を動かし、行動させる。
そう思うと、実家で飼っていたゴールデンレトリバーのバディーは多聞に比べるととってもお転婆な女の子だったな。
可愛いかったなぁ。
と、昔飼っていた犬の事を本を読みながらは思い出さなかったなと今これを書きながら気づいた。
犬ではなく出てくる人間にばかり気を取られていたからだろう。
確かに、犬の気持ちには共感できないからそれは仕方のない事だろう。
常日頃、夢を人に語る時に必ず言うのは
長野の山奥でゴールデンレトリバーと一緒に暮らしたい。と言っている。
きっと潜在意識の中で犬=バディーになっているんだろう。
街中でチワワを見ても「犬だ!」じゃなくて「小型犬だ!」と頭で咄嗟に思う。
いつか夢が叶うといいな。
なんだか何が書きたいのか分からなくなってきた。
とにかく、経験していない事は語るべきではないな、と改めて思わされた。
今回折っていたところには
「多聞、いるんだ。ここに」と書いてある。
本当にその通り。ずっといるんだよね。それは人間も同じ。
そして、防災リュックをしっかり準備しておこうと思う。
これを書いてる今、時刻は夜中の2:58。
読むのが止まらなくなってこんな時間になったのは久しぶりだ。
やっぱり本は楽しいね。
このまま寝ずに次の本を読み始めそうだ。