北区赤羽
埼玉県民にとって、北区赤羽は親しみのある街だった。
しかし、御殿場から来た民族楽器奏者のO君は、「あかはねほどヤバい街はないですよ」とボヤいていた。ちなみに、赤羽を「あかばね」と濁らせて読む地域と、「あかはね」と濁らずに読む地名が散在しているようで、O君はいつまでも「あかはね」と呼んでいた。私も諏訪に住んで「あかはね」(赤羽根)と濁らない読み方があることを知った。
民族楽器奏者のO君の兄は、態度の悪い煽り運転の車の前でわざとサイドブレーキを引く、これまたヤバい人なのに、そんなO君が「ヤバい街」という赤羽の印象を、私は理解しきれなかった。
これは沿線あるあるなのか、例えば埼玉県民は、松戸や蒲田に対して異様に構えるが、千葉県民は松戸を何とも思わない。同じように、神奈川県民は蒲田をなんとも思わない。身近さが異質さを緩和するということなのか。【ごめんなさい、冗談です。埼玉県民はその辺の草でも食ってろと『翔んで埼玉』で言われていますので、平にご容赦を。】
私の小学校のころ(1980~1986)に、たぶん、不良文化は地方へと拡散して、都心ではすでにハイブロー化が進んでいたように思う。成増や十条が悪かったのも、とんねるずの石橋さんが高校生くらいのとき(1977~79?)だったろうし、私が中学校に入る直前(1986)には、廊下をバイクで走る先輩や、日本刀をもって殴り込みにくる他校生がいるという話を聞いた。
そこから推論すると、赤羽も私が都心に何かをしに行く時代には、そこまで悪い不良たちがたむろしていた場所ではなくなっていたと思われる。
しかし、O君の「ヤバい街」という評価は、そういう不良文化の名残ではないらしい。O君も、言葉を濁すものだから、いつまでもその秘密が解けずにいたのだが、清野とおるさんの『東京都北区赤羽』は、その「ヤバさ」の一端を垣間見せてくれたように思う。
ただ、「ヤバい」といっても、それは昭和的な人情味にあふれているというもので、わざわざ「ヤバい」と表現すべきものだったのか。
私が築地の場外に勤めていたころ、カッターで段ボールを朝方切っていたら、誤って親指の脇を深く切りつけてしまい、聖路加病院で6針くらい縫ってもらったことがあった。麻酔効かないので、麻酔薬を垂らしながらやりますねー、と言われて、卒倒しそうになったが、縫う痛みと切れた痛みが相殺されて、2倍の痛みにはならなかった。とりあえず今日は帰って休みなさいと言われて、早退した。
時間は朝の7時。昨日の夜12時から働いていたのだから、午後イチで終わった感もあって、そのまま家に帰ることも残念なように感じた。
一杯、どこかで、と思ったとき、降り立ったのが北区赤羽であった。朝からやっている飲み屋は、築地の中にはあったが、指を切って帰れって言われているのに、築地に戻って飲んでいたら何を言われるかわからない。なので、知っている朝まで営業の飲み屋は、五反田か赤羽か。
当然、帰り道にある赤羽で降り立った。名前は忘れてしまったし、今もあるのかわからないが、私はとある居酒屋でビールを飲んだ。割と人がいて、罪悪感はあまりなかった。本当はケガによくないはずなので、今なら飲まないが、あの頃はそういうのがかっこいいと思っていた。指は痛くなったり、痛くなくなったりしていたが、少し酔って、マンガ喫茶(当時の呼び名)に行き、ジョジョの奇妙な冒険の第5部を完読し、赤羽岩淵の駅の方にあったブックオフと町の古本屋を流して帰った。
「〇〇さん、赤羽のヤバさっていうのは、そういうのが日常だってことなんですよ」とO君は言っていた。ああ、「ヤバさ」とは、悪さではなく、常識の緩さが生き残っているところなんだな、と、やっと理解した。
確かに、昔の飲み屋には、隣の人と何となく話し込めてしまうようなところがあった。どんぶり勘定の会計で、いい加減だけれども後を引かない爽やかな関係がつくれる飲み屋があった。それをわざわざ「昭和」とは言わないが、人間関係の妙が織りなすやり取りは、今はなかなか難しくなった。
北区赤羽に限らず、清野さんがやっているように、人とのコミットがあるところには、不思議と「昭和」というような人間関係がある。私も東京都港区芝の仲通り商店街にやむなく住んでいたときには、周囲の飲み屋の人にはずいぶんと気を使ってもらったものである。「芝五」は子どもたちの遊び場だったのだ。
最近は、地域共同体の力が弱まっており、人間関係が希薄になってきたと言われる。その通りかもしれない。あげたりもらったり、というやり取りよりも、売ったり買ったりを厳密にやる方が、楽なところはあるだろう。しがらみに捉えられることもなく、面倒がないから。
しかし、最近は少しだけ、北区赤羽的なやりとりにも、懐かしみが出てきた。自慢も虚飾もマウントも粘着も諍いも色恋沙汰もない人間関係というものがあれば、北区赤羽も悪くない。
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