ウチのオースター 2
いわゆる中期、90年代のオースターの著作は、入手が非常に困難だった。
まず、『偶然の音楽』。
原本が、1990年に刊行だから、ギリ80年代の著作だけど、ロードムーヴィーな雰囲気は、90年代に少しだけ足がかかっているのかも。三省堂の仮店舗で購入。これはやっぱり代表作なんですね。
『ムーン・パレス』以降は、私自身も文学の方向性が変わっちゃって、あんまり現代文学を読まなくなっちゃったんですよね、一時期。戦後生まれはだいたい現代文学という認識だった。
次、『リヴァイアサン』。
カッコいいよね。一生に一回は、『リヴァイアサン』っていうタイトルの作品書いてみたいよね。ホッブズも、まともに読まないと思うんだけど、意外に面白いんですけどね。ジュリアン・グリーンの『レヴィヤタン』は未読。
この辺から、出版順が錯綜する。
原本順だと、
『リヴァイアサン』が1992年に出る
『空腹の技法』というエッセイ集が1992年に出る。
『ミスター・ヴァーティゴ』が1994年に出る、
『スモーク&ブルー・イン・ザ・フェイス』が1995年に出る、
Hand to Mouth(日本で刊行された部分訳編集版として『トゥルー・ストーリーズ』)が1997年に出る、
『ルル・オン・ザ・ブリッジ』が1998年に出る、
『ティンブクトゥ』が1999年に出る。
でも、
翻訳文庫版順だと
『スモーク&ブルー・イン・ザ・フェイス』が1995 「オ 9 2」
『ルル・オン・ザ・ブリッジ』が1998「オ 9 5」
『偶然の音楽』が2001「オ 9 6」
『リヴァイアサン』が2002「オ 9 7」
『空腹の技法』が2004「オ9 8」
『ミスター・ヴァーティゴ』が2007「オ 9 9」
『トゥルーストーリーズ』が2008「オ 9 10」
『ティンブクトゥ』が2010「オ 9 13」
なんだよね。
だから日本での受容の順番(文庫)は、『幽霊たち』があって、映画の上映と合わせて『スモーク&ブルー・イン・ザ・フェイス』があって、『孤独の発明』が刊行。で、『ムーン・パレス』にいたり、『ルル・オン・ザ・ブリッジ』が出る。
自分の記憶だと『ルル・オン・ザ・ブリッジ』までは、本出たなと意識していたけど、小説の形式ではなかったので、買わずにいたら、1999年ごろに自分の意識は小説から一旦離れたので、2001年の『偶然の音楽』(文庫)刊行には気づかず、いつしか順番に刊行され続けていた、という流れなんじゃないか。
これでた順の連番の数字がちょっと変なんだけれども、
まず、2013年刊の『ガラスの街』が「オ 9 0」になっていて、ポール・ベンジャミン名義の2022年刊の『スクイズ・プレー』が、「オ 9 101」なんだよね。なんだ、この数字。別名名義は「101」なんだね。しかも、「オ」で。
さて、『偶然の音楽』と『リヴァイアサン』の表紙は塩田雅紀。
『ミスター・ヴァーティゴ』の表紙イラストはアート・スピーゲルマン。マウスという作品が有名。
スモークは映画のワンシーンから切り出され、空腹の技法は写真。ルルも写真。
文庫カバーの絵も、なんだかんだでいろいろ工夫あるよね。
あんまり意識されないし、造形物としては無視されがちだけど。
ただ、徐々にGettyからの転載が多くなってくるね。
自分が働いていた頃は、アフロに借りに行くことが多く、当時は(今も?)東銀座に事務所があったので、時々行かされた。
なんかでも、仕事をしてる感じで、ちょっと楽しかったな。今はネットなんで、その辺も全部デスクで出来るのかな。
『トゥルー・ストーリーズ』『ティンブクトゥ』はGetty。
スモークとルルは、ネットでまあまあ高値で買っちゃった。
『トゥルー・ストーリーズ』は、白山通りと靖国通りの交差点の東南の角にある新刊書店。
『ティンブクトゥ』は覚えてる。
まだ、松本にいる時で、小さいアパートに住んでて、その近くにブックオフみたいな新刊書店と古本屋が混じり合った書店があって、大学の近くだったから、いらなくなった教科書とかたくさん売ってて、やっぱりそこにも文庫均一コーナーがあって、そこで買ったんだよね。
でも、その後古本屋を回っても『ティンブクトゥ』置いてるところなかったから、これ、レアだね。
いい話だよ、犬がさ、飼い主と心を交感するんだ。でも一方通行で、時々ズレる。でも犬はわかってるんだけど、飼い主はわからないから、そのチグハグが泣ける。で、犬は飼い主が亡くなっても、その指示をなんとか達成しようとするんだよね。最後は大通りを向こう側まで横断しようとして、光の波に呑まれていく。
『ティンブクトゥ』が絶版って、これ、世界の損失だと思うけど。
この『ティンブクトゥ』の置いてある本屋の隣には、洋食屋があって、オヤジとヨシエの二人でやってて、なんで「ヨシエ」さんだけ名前を知ってるかっていうと、料理人だったオヤジがよく客に配膳してる奥さんを「ヨシエー!!」って呼んでたんだよね。オヤジは明らかに常軌を逸していて、採算度外視の大きさのハンバーグを1000で夜ランチに提供していて、あんまり味がこなれてなくて、うまくはないんだけど、でも大きくて、腹一杯になるからよく通ってた。
最初、「ヨシエ」さんはモラハラ夫にいじめられてる可哀想な人という印象だったけど、なんかオヤジの方が調子が良くなくて、逆にそれをサポートして、楽しく話している場面もみたし、客が全然来なくて私一人ということもしばしばあったので、それでなんか慰めてるのもみたし、まあそれはそれで夫婦だったのだろう。
結局、店は私の引越しと同時に閉店して、どこかに行ってしまった。ただ、あの店のハンバーグはあのクオリティで1000円はなかった。今なら1800円は取るだろう。大きさもそれくらいだ。
『ティンブクトゥ』を見ると、その時期に見た弘法山一面の桜や、鹿教湯温泉に行く途中の三才山トンネルでトラックから豚が逃げ出して、通行止めになって、しょうがないからみんなでブタを通せんぼして追い返したことを思い出す。トイレに最後すごく行きたくなったことを思い出す。