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不穏な輩たちの饗宴 〜フォークナー『八月の光』2〜

ウィリアム・フォークナーは、ヘミングウェイやフィッツジェラルドなんかに代表される、アメリカの「ロストジェネレイション」に属する作家とみなされている。

第一次世界大戦による旧世界の秩序の崩壊を経験し、価値観の転倒に翻弄されて、その経験をベースに小説を書き始めた世代。正確な定義はわからないし、フォークナーをそこに数え上げていいのかも不安だけれど、なんとなく、こんなふうに覚えている。

価値観の転倒する時代は、いい意味でも悪い意味でも、俗に言う「ヤベー奴」が多数現れる。上にも下にもあらゆるところに行き場をなくした連中が、何かを探しながら生きながらえようとする。

私も就職氷河期世代。厳密に言うと東アジア金融恐慌の影響が出る前に就職活動できた世代だが、二浪したせいでモロに就職氷河期のど真ん中に放り出された。そうなると正攻法ではどうにもならない。自ら「ヤベー奴」の仮面を被らなければ生きていけない。

フォークナーの小説にも、やはり「ヤベー奴」が多数現れる。アラバマからミシシッピまで身重なのに歩いて逃げられた恋人を追ってきてるリーナも「ヤベー奴」、汚れたスーツのようなものを着てスカしながら肉体労働をこなし密造酒を売り捌いているジョー・クリスマスも「ヤベー奴」、仕事はまるでできないのにヘラヘラとジョー・クリスマスの腰巾着に収まって調子に乗ってるブラウンも「ヤベー奴」。要するに、『八月の光』には現代にも通ずるような「ヤベー奴」が多数登場するのだ。

「ヤベー奴」の悪い系をひとまず、ヤカラと言い換えてみよう。フォークナーは、こんなヤカラばかりが集まるアメリカ南部のヨクナパトーファ郡ジェファソンという街を創造し、そこを舞台に様々な物語を書き綴った作家である。

時代はおそらく1930年代。世界恐慌の影響が末端にまで及んだ時代で、フランクリン・ルーズベルト大統領(在任1933~1945)をして、いわゆる社会事業政策としてのニューディールを行わしめた時代でもある。自由放任経済から行政を通じた社会政策(ケインズ主義)へとアメリカ経済政策が転換せざるを得なかったほどのディープインパクトだった(はず)。

さて、そんな折、リーナはジェファソンを目指す。目指した先のジェファソンでは何が起こっていたか。

あらすじ

バイロン・バンチは、製板所の労働者だ。勤勉で、教会通いも欠かさないアラサー。

そんなバイロンの職場に、ある時ジョー・クリスマスといういけすかない男が仕事を求めてやってきた。スカした態度だが、それなりに働く。徐々に身なりが変わる。噂によると町外れで密造酒を作って売り捌いているらしい。あくまで噂の範疇を出ないが。

クリスマスが住んでいるのは、ミス・バーデンの農園の中にある丸太小屋だった。ミス・バーデンが知っていたかはわからない。ミス・バーデンは南北戦争後に移り住んできて、奴隷解放に共感している人物のようなのだけれども、南部では忌み嫌われていた。そして、あることないこと噂を立てられていた。そして、その家が火事になっていた。

続いて、職を求めてジョー・ブラウンという流れ者がバイロンの職場にやってくる。仕事はできないがおしゃべりは一丁前(「ラジオを積んだ自動車みたい」)で色男、クリスマスと一緒に働かされて、そのうちいいコンビになったように見える。噂では、クリスマスの密造酒販売の手伝いをしており、それなりに羽振りもいいという。これも噂の範疇を出ない。

バイロンは独身だ。規則正しい生活には定評がある。日曜日には、50キロ離れた教会で聖歌隊の指揮をしている。そんなバイロンの前にリーナが現れる。バーデン家の火事の野次馬に出てしまい他の従業員はいない。

バーチとバンチを間違えて、リーナは尋ねてくるが人違いだと悟る。バイロンは、リーナと話しをする。そして、恋に落ちてしまう。

リーナは製板所の他の労働者のことを聞く。そこでバンチは、クリスマスとブラウンについて話す。クリスマスの方をバンチは話そうとするが、リーナはブラウンの方が怪しいと悟る。

「見た感じ、どんな人ですか」「クリスマスですか?そうだなあ━」「クリスマスじゃなくて」「あ、ブラウンのほう。そうですね。背が高くて、若くて。色が浅黒くて。女の人はハンサムだと言いますね。そんなふうに言う女の人が多いそうですよ。よく笑う男で、はしゃいだり、人をからかったりするのが好きですね。でも俺は…」バイロンの声が途中で切れる。リーナを見ることができない。彼女の揺るがない醒めた視線が自分の顔にあたっているのが判る。
『八月の光』No.886-897

バンチは、話したことを後悔する。なぜなら、すでに恋に落ちていたから。

感想

リーナがバイロン・バンチと接触したことで物語は動き出す。バンチはオッサンで、なんとも「恋は雨上がりのように」感が半端ない。とは言っても、リーナはバンチのことをなんとも思っていないのだが。若い女に恋するオッサンの気持ちは、私にはわからない。

リーナがブラウンを怪しいと思う理由はわかる。というよりも、そういう方向に読者を誘導するように話題が構成されているから。ジョー・ブラウンが偽名であることを、リーナは疑っている。変な名前と地味な名前。偽名に使うのはどちらだろう。

まだ、冒頭なので、何ともいえないのですが、フォークナーの登場人物たちのヤカラ感は、他人事とは思えません。そして、この排他的な感覚、噂話が膨らんで実体となる感じ、日々の収入が少なくて時間を持て余している感じ、そこでそれでも真面目に生きていこうとしている感じ…現代日本の地方もかくやという感じじゃないでしょうか。

リーナみたいな経験は、匿名SNSにはいっぱいあるし、ブラウンみたいなお調子ものがやらかしてそれを糾弾する動画とかも、結構あります。次に出てくる、バンチと仲良しのハイタワー元牧師も、かなりヤバめのサレ夫ということで、なんだろう『八月の光』は現代SNSや動画サイトの煽情的コンテンツてんこ盛りの内容なんじゃないかと思ってしまいます。

もともとフォークナーは、そんな卑近な人間関係の主題を神話的に書く人という評価だったと思います。「神話的」というのが、どうも私には長らくしっくりこなかったのですが、どこかとおいむかしの話であるかのように、ぼんやりと書いていく、というニュアンスでやっと理解できるようになりました。それが正解かどうかはわかりませんが、それでフォークナーを理解できるなら、間違っていても構いません。

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