見出し画像

ジョー・クリスマスの最期 ~フォークナー『八月の光』 19~

残り3章となりました。

19章は、ジョー・クリスマスのパートのラストになります。

『八月の光』は、何人もの人のストーリーが寄り集まって、大きな太いストーリーになっていくという構成になっています。

その一人であるジョー・クリスマスのストーリーの終わり。

ゲーム風に言えば、ジョー・クリスマスは「バッド・エンド」を迎えます。何度か言及したように、旅の途中で差別があまり問題化されていない北部で暮らすという選択肢も、ジョーにはあった。

また、ミス・バーデンと一緒になって、メンフィスで学校に通い、仕事を手伝う選択肢もあった。

あらすじには抜き出しませんでしたが、殺人を認めれば終身刑で済む、という選択肢もありました。

そのどれもジョー・クリスマスは選択せず、悲劇的かつ屈辱的な最期を迎えます。

それにしても、今日は暑い日でした。もしかすると、ミシシッピ州の8月も、このような暑さなのかもしれません。いや、もうちょっとカラッとして、湿度のない8月なのかな。アメリカ南部を旅することは、一生ないかもしれませんが、8月の光とはこんな感じなのかもしれないね、と、布団を出し入れしながら思った次第です。

長編小説が少しずつ閉じていくというのは少々寂しい気がします。こんなに長く書き続ける気もあまりなかったのですが、スタートは5月31日でした。ほぼ一か月、ジョーやジョアナ、ハイタワーやバイロン、リーナやブラウンとともに頭の半分は生きてきた。

おそらく、残りの2章は、あらすじをまとめるのが難しそうです。まる一か月『八月の光』を読みながら、それに刺激されて色々な事柄をインプットして、アプトプットもできていたように感じます。その一人、ジョー・クリスマスともとうとうお別れです。

あらすじ

ジョー・クリスマスは脱走し、ハイタワーの屋敷に逃げ込み、そこでパーシー・グリムという若い警察官に、撃たれたあげくに陰茎を切られて、亡くなります。それが、この章のすべて。

その流れは、人のうわさによって、構成されていきます。

弁護士のギャヴィン・スティーブンスは、おそらくはクリスマスの祖母であるミセス・ハインズが、使嗾したのだろうと推測しました。駅で、2人の噛み合わない会話を聞いていたからです。

ミセス・ハインズはとにかくこの30年の後悔を取り戻すことを考えていた。だから、バイロン・バンチに言われたハイタワーの証言を頼ってみたんだと思われます。一方、アンクル・ドックは、自らの手で処刑してやろうと、別の意図を持っていたのですが。

クリスマスはミセス・ハインズの言葉を信じ、広場で手錠をかけられながらも逃げ出し、ハイタワーの家に転がり込んだというわけです。しかし、ハイタワーを殴ったクリスマスは、そのまま籠城してしまい、撃たれる羽目に至ったというわけです。

誰が、撃ったのでしょう。パーシー・グリムという若い男でした。州軍の大尉でした。第一次世界大戦に従軍できず、くすぶっていた。戦争をしたくて仕方がなかった。クリスマスの事件に関しても、元は、民間人が死刑を宣告する権利などなく、法に服従させることが自らの使命と考えている、まじめすぎる男だった。

グリムは在郷軍人会の一人一人を説得して数を集めた。そして、あたかも州を守る軍隊のように振る舞いはじめた。銃を一人一人携帯して。グリムが一応許可を得ようと保安官のところに行くと、そこに保安官はおらず、グリムは単独行動を始めた。保安官は、その話を聞いた時、即座に制止したが、やはりグリムは勝手に動き始める。

のちにグリムと保安官が言い合ったことによると、護送を自分に任せていれば事は起こらなかったはずだとグリムは主張したという。

グリムが裁判所でまんじりともしていなかった時、クリスマスの脱走は起きた。保安官補が拳銃を2発、空に向けて発砲した。グリムは、命令を出した。「消防サイレンを鳴らすんだ」。グリムはすぐさま、クリスマスを自転車で追いかける。

クリスマスは、一度、グリムを出し抜く。そして、ハイタワーの家に逃げ込んだ。グリムとその仲間が後を追う。扉を開けるとハイタワーが倒れており、頭から血を流している。「どの部屋に行った」。ハイタワーは、叫ぶ

聞いてくれ。あの男はあの夜、ここにいた。殺人があった夜、わたしと一緒にいたんだ。神に誓って言うがー
『八月の光』No.7791

グリムは耳を貸さない。そのまま、クリスマスの隠れているテーブルに発砲した。そして、虫の息のクリスマスの陰茎を切り取る。クリスマスの顔には、平穏が浮かんでいた。

ズボンの腰と股のあたりの切り裂かれたところから、それまで押しとどめられていた黒い血が吐き出される息のように噴き出してきた。それは空へあがる狼煙から迸る火花のように、クリスマスの白い身体から迸るように思えた。その噴きあがる黒い血に乗って、クリスマスは男たちの記憶の中へいつまでも永遠に昇りつづけていくようだった。男たちも、町の人たちも、この黒い血の噴きあがりを忘れないだろう。
『八月の光』No.7814

感想

犯罪ドキュメンタリーはよく読む。しかし、それは感想をうまくうみ出せないので、こうした場所で発信する事はほとんどない。そうしたところで、生い立ちが語られ、その暗黒にやるせなくなることも多い。ジョー・クリスマスについても同様である。両親は祖父に殺され、祖父はクリスマスを孤児院に入れて、監視していた。祖母にその存在を知らせずに。

クリスマスについても、なぜ真面目に働かないのだろう、というような凡夫な感想しか思い浮かばない。自業自得と言えば、自業自得。そんな感想、つまらんですよ。また、どうして南部はこれほどまでに気づかれない殺人が多いのか。これが1930年代南部アメリカのスタンダードだというなら、驚きである。いや、もちろん、神話的世界なので、リアリズムで切れるものではないだろうが。

クリスマスがこと切れる時の描写は、中上健次の『奇蹟』の末尾を思い出させる。死がある意味で安寧のように見えるのは、欧米の文学らしいといえばらしい。

とりあえず、これで。



いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集