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ジョーとミス・バーデン 〜フォークナー『八月の光』11〜

いつも思うんですけど、書き出しって、難しいものですよね。スパっと決まるときもあれば、グズグズと3回くらい書き直すこともある。なんとなくしっくりくるエピソードかもな、と書いてみたらそうでもなくて、消したりとか。書き直すのを恐れてはいけない、と誰かが言っておりました。書き直すたびに良くなっていくから、とも。

電車の中で立って書くのも座って書くのもどちらも苦ではないが、人がパーソナルスペースに入ってくるような状況だとどうしても思考が鈍る。そういう点ではここ数年は、色々ありながらも快適だったのだが、どうにも最近は、それが破られる。私はただ一人でいたいだけなんだよ。

書き出しを決めて、腱鞘炎の親指を動かしながら、打ち込んでいると、パーソナルスペースに入ってくる人がいる。その都度、文の流れが停止して、再開までに何を考えていたかを想起しなくてはならない。満員電車とは、なんとも文章を書くのに適さない空間だ。当たり前か。

フォークナーも、やっと半分にきました。遅いよ!と30年前の自分が叱咤してきますが、もともと遅いんです。早いふりをしていただけ。もうそんな背伸びをしなくて良くなったので、開放感はありますが、緊張感には欠けています。さて、故郷を離れて、南北に縦断していたジョー・クリスマスはいったいどうなったのでしょうか。

あらすじ

ジョーはミス・バーデンと遭遇する。そして、同居しはじめる。けれども、ミス・バーデンの気持ちをジョーは操作できない。そもそも、わからないのだ。

ミス・バーデンは食事を用意し、ジョーはそれを食べる。ミス・バーデンは、書き物をしたり、講演に行って二、三日家を空けたりする。自分が死んだときのために、遺言などが残されているという周到さも知りえた。

ジョーは、ミス・バーデンと寝た。強引に。しかし、ミス・バーデンは精神的に屈服することはなかった。ますます、ジョーはミス・バーデンのことがわからなくなった。ミス・バーデンを理解するためにジョーは、ありとあらゆる不可解な行動をとる。

ジョーは、ミス・バーデンの視線を恐れるようになる。逆に、ミス・バーデンはジョーを理解しようとする。ジョーは、その理解が怖い。しかし、ジョーはミス・バーデンが北部の女であることは理解する。そして、特異な運命を背負った人であるということも。

ナサニエル・バーリントンの息子は、10人いた。その末の子どもは12歳のとき家出をして、カリフォルニアに向かった。そこでカトリック信徒になり、10年後西部を経て、ミズーリ州に来て、結婚した。それが、ミス・バーデンの祖父のキャルヴィン・バーデンである。

キャルヴィンはカトリック教会への忠誠を正式に拒否して、セントルイスに来た。そこに家を買い、子どもができた。息子は、北欧系の父の体質と、フランス系の母の外見を受け継いでいた。息子が5歳くらいのとき、バーデンは、奴隷制度をめぐって口論となり、殺人してしまった。そして、セントルイスから立ち去った。

バーデンの行動は、破天荒で、頑固だった。奴隷制度と地獄に対する敵意はすさまじかった。息子の名前はナサニエルといったが、14歳で家出した。そしてメキシコに流れ着いた。メキシコでナサニエルは、これまたメキシコ人を殺ってしまったという。

なんやかやでナサニエルは家に戻り、キャルヴィンと邂逅する。そして、喧嘩が始まる。一通り取っ組み合ったあとで、キャルヴィン(祖父)は息子のキャルヴィン(子)の存在を知る。そして、ナサニエルの妻が、自分の妻にそっくりだということも。そして、キャルヴィン(子)の色が、より浅黒く、大きい男であることも。キャルヴィン(祖父)は、そのことに懸念を覚える。

そんな物語をジョーは聞く。そして、そのキャルヴィン(子)が、ミス・バーデンの腹違いの兄であり、その兄は20歳になってすぐ「元奴隷所有者で南部の軍人」のサートリスという男に殺されたということも。祖父も殺された。そして、キャルヴィン(祖父)とキャルヴィン(子)は同じところに埋められ、掘り返されて蹂躙されないように、墓は隠された。キャルヴィン(子)の母も、同じところに埋葬された。

そもそも、キャルヴィン(祖父)とナサニエルは、邂逅ののち、ワシントンにいって、解放奴隷たちの援助をする仕事をもらってジェファソンにきた。そして、事件が起こり、一人になったナサニエルは新たな妻を迎えた。それがミス・バーデンの母になる。その子(ミス・バーデン)はジョアナと名付けられた。そして、いつかジョアナにナサニエルはこう言った。

『覚えておくんだ。おまえのお祖父さんとお兄さんがここで眠っている。ひとりの白人に殺されたんじゃない。おまえのお祖父さんや、お兄さんや、戸父さんや、お前が生まれるずっと以前に、神がある人種全体にかけた呪いのために殺されたんだ。その人種は永遠の呪いを受けて、罪を犯した白人に対する呪いとなる運命に定められた。そのことを覚えておくんだ。白人の負っている宿命と呪いのことを。それは永遠に、父さんへの呪いであり、お前の母さんへの呪いであり、おまえへの呪いでもある。おまえはまだ子供だけどね。今まで生まれた白人の子供も、これから生まれる白人の子供も、みんな呪われている。誰もそこから逃げられないんだ』

『八月の光』No.4249

ジョーは、そういった話を聞いて、ミス・バーデンの父であるナサニエルがサートリスに復讐しなかった理由を悟る。そして、ジョーは言う。

片方に黒んぼの血が混じってたことだけは知ってる。前にも言ったけどな

『八月の光』No.4272-4283

どうしてそのことを知ってるの、と問うミス・バーデンに、知っちゃいないんだ、と答えるジョー。そして思う。

「もし黒んぼの血が混じってないなら、俺はずいぶん時間を無駄にしたことになる」

『八月の光』No.4283

感想

フォークナーを読んでいると、アメリカ社会の差別構造という問題にどうしても直面しなければなりません。また、その差別を正当化する伝統的価値観の強固さ、とも。差別は別に、「黒人」のみならず「女性」「有色人種」「同性愛者」など様々にあるわけですが、建国の意味それ自体をフィクションとして打ち立てねばならなかったアメリカ合衆国としては、このフィクションこそが国民統合の理念なので、同一化する人はもう熱狂的なそれにならざるをえないんでしょうなあ。

フォークナーの創造した街であるヨクナパトーファにおいて、その建国の理念を反復した人物としてサートリスが設定されており、サートリスの係累に関するドラマはこれまた別ストーリーで展開していく、というのはおなじみのことだと思います。今回の『八月の光』は、養父サイモンが象徴的な男性性の理念の体現者として、ジョーにそれを反復させようとしますが、ジョーは自らにかけられた血の呪いによって反復しきれずに、その反復構造から弾き出されてしまう。

後から判明することとは思いますが、ジョーの父母もまた祖父の理念の反復の犠牲者となった人物であり、日本的な自然の反復が全体的な包摂に向かうのとは逆に、理念は純粋さの追求によって排除と殲滅の方へ向かっていくというわけですね。なんとも恐ろしい見立てですが、なんのこっちゃという感じかもしれません。

「毒親」っていいますけど、フォークナーの小説にはホント「毒親」しか出てこない。「しか」は言い過ぎかもしれないけれども、出現率は多いと思う。「毒親」たちは自分の「正義」とその行使を疑ってないですね。それはフォークナーの小説でも同じ。「正義」っていうとなんとなく大げさなので、自分の信念と社会的正しさの一致とその再生産を疑ってない、とでもいいますか。

それにしてもミス・バーデン関連の登場人物って、面倒な名前付けですね。ややこしい。説明しづらいです。とうとう、岩波文庫でいうと下巻に入りました。やったー。

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