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極私的コレクションの話

ものを集めたい気持ちは大きくあるのですが、残念ながら財力がないので、集めるものは限られたものになってしまいます。前回、「やっぱり文庫が好き」というタイトルで、堀辰雄の新潮文庫のことをかきましたけれど、実家から送り返されてきた本の中に、岩波の堀辰雄もあった、ということで、現時点での堀辰雄文庫セットが完成しました。

(ちなみに、講談社文芸文庫に『雉子日記』というのがあるんですが、これは探し中です)

といっても、岩波文庫は『風立ちぬ・美しい村』と『菜穂子』の2冊だけなんですけどね。

堀辰雄全集というのが筑摩書房からでていて、全11巻。アマゾンをみても20000円ちょいで売られていて、1冊2000円弱。別に暴利ではないくらいの値付けだと思います。また、電子書籍でも普通に全集が200くらいで買えるようなので、私の集めた文庫に市場価値は全然ないわけなのですが、それでも並べて、一つの小宇宙にしたい、という気持ちって、わかっていただけますでしょうか。

読まねー本並べて意味あんの?って、どこかの実業家には言われそうですが、まあ、それはそれ。私にとっての堀辰雄の居場所は、このくらいの小宇宙でいい、という感じなのです。

で、思うのは、堀辰雄文庫の背表紙の落ち葉のイラストはいったいなんなんだ、ということ。他の文庫には、あんまりみられないデザインなんですよね。そのへんの新潮文庫紛れている本の山を撮影してみましたけれど、堀文庫のようなイラストはほぼ無いんですね。なので、大変やっぱり並べていると、新潮文庫における堀辰雄への意気込みがよくわかります。

名前の上の葉っぱ
ほら、なんとなく新潮にはないよね

また、パラテクストの話になるんですが、本体である小説に様々なテクストが絡みついて、一冊の書籍になるわけですが、日本の文庫は、このパラテクストとしての解説が秀逸だといわれます。堀辰雄に関しては、岩波文庫の『風立ちぬ・美しい村』の河上徹太郎の解説が、とてもわかりやすかったです。もちろん、ちょっと時代感があって、論じます、みたいなスタンスで語るので、最近の読書リテラシーからすると、なにこのおっさんイキってんの、みたいになっちゃうかもしれませんが、それは時代ということでご容赦。

当時わが文壇は前大戦後のフランス文学の影響を大きく受けていたのだが、堀はどっちかといえば、ジイドやヴァレリイのようなメタフィジックなものより、スーポオやコクトオのような超現実派的なものに親しんでいた。例えば彼の初期の短編に「眠っている男」というのがあるが、これはスーポオの翻案、あるいは殆んど翻訳といってもいいような作品である。しかしこんなことをいうのは、それが彼の不見識になるよりも、彼の名誉になるからである。それほど彼がその文体を通して、スーポオに即して生きているのである。そういえば晩年の傑作「曠野」は、わが今昔物語からの焼直しである。では、芥川の「鼻」は?「竜」は?堀の作品系列を見ると、長編、短編、随筆、小品、創作ノート、翻訳など、その時々の都合で形式が変るだけで、堀辰雄というただ一本の文学精神の生長あるいは生命がつながって行くのが見られる。読者はこの生命の開花の清楚な美しさや、健やかさに打たれるのだ、その花は時に色々変るけど。

「解説」河上徹太郎

堀辰雄、文庫のコレクションがあるけれど、実はあんまり中身は読んでないです。思いついたときに、一、二篇読むくらいで。解説とかは読んで、ああ、とわかったふりしてます。

積読。

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