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乱歩と大東京

1949年に刊行された白石潔『探偵小説の郷愁について』(不二書房)という探偵小説批評の中で江戸川乱歩が「序文」を書いていて、主張としては探偵小説を愛するあまりに苦言を呈する、という内容になっているそうなのだけれども、乱歩はそれを歓迎して序文を書いている。

その末尾に

私は白石さんの郷愁に同感し、その情熱にうたれ、作家として同好者としても、この著述に対して感謝の念を禁じえないものが有り、喜んで序文を書かせてもらった。無遠慮で正直すぎて、序文の礼を失した文章であることはお詫びしなければならない。

とある。

最後の一文が、儀礼であるか謙遜であるか言い訳めいて見えるか、は人によるのだけれども、私は乱歩を謙遜の人とみる。したがって、乱歩の自己作品評については、割り引いて読まなければならないのではないだろうか。

淑禎先生の『乱歩とモダン東京』、それぞれの章のリズムがわかってきたので、読む速度が上がってきた。

東京の変貌を特徴づける都市的現象を取り上げて、その現象が中期作品の中に現れていることを確認、その現象についての社会史的記述をして、どのように作中で扱われているのかを論ず。

そんなリズムで、麻布台に現れた張ホテルを代表とするプチホテル・ブームや、鶴見花月園といった遊園地と行楽ブーム、大正通り、昭和通り、京浜国道といった大道路の整備、文化住宅とマイホーム・ブーム、大東京の形成と郡部の編入による現23区の形成、などが書かれていく。

特に、張ホテルである。

張ホテルは、麻布の丘の上に建てられたプチホテルで、おそらくは外国人の居住していた家を改装してできたもの。永井荷風がよく使っていた山形ホテルも近隣にあり、そういうエキゾチックな雰囲気を湛えたものだった。

乱歩は、京浜国道沿いの芝区車町の土蔵付きの家に引っ越した。芝区車町は、田町駅を慶應大学側に出て、箱根駅伝で箱根へと走っていくあの第一京浜を品川の方に歩いていくと、右側に郵便局が見え、すぐに坂道との合流があり、そこの角だという。

そんなの知らんがな、という感じだけれども、私は一時期田町の仲見世通りの飲み屋街の中のアパートに一家ですんでいたことがある。この郵便局は、配達されなかった荷物を取りに行く局で、下の子が転んで前歯を少し欠いたということがあった局である。

土蔵付きの乱歩の家は、もうビルで影も形もないけれど、その坂道は、三田の坂道から降りてくる、変な道だったことをよく覚えている。

その土蔵が気に入って住み出した乱歩だけれど、第一京浜の車の往来による騒音、塵煙、悪臭によって、音を上げてしまい、一時期張ホテルに滞在し、作品を書こうとした。

1ヶ月の予定だったけれど、半月で出てしまい、作品はうまく結実しなかったらしい。この時期を作品化したのが、久世光彦の『一九三四冬ー乱歩』である。このエキゾチックな洋館ホテルで「梔子姫」を書こうとする乱歩、経験記述の空白を埋める試み、そんな作品である。

そうした事柄は知れる、『乱歩とモダン東京』は、史料引用の癖さえ慣れてしまえば、大変に面白く読める。

現時点で、第9章まで読み、それらは、中期乱歩の長編の中に現れる新しい東京のうごめきとそれらの新しい部分に対する「あこがれ」の表象について論じられていた。その「あこがれ」と新奇性が、乱歩人気の原動力であり、車を使った大胆なトリックや、旧市域と新市域の間に横たわる落差のようなものをつかった描写などが、見るべき部分なのではないか、ということである。

中期乱歩については、まだノートにもしてないけれど、作家として再起する中で、大衆的人気を得ていく。そして、東京に落ち着き、東京都内で終の棲家を捜す時期にあたる。

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