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事件の前日 ~フォークナー『八月の光』5~

心身の不調が重なる。空をみると、雲が上へ上へと嵩を増している。もう夏だ。でもまだ八月ではない。六月だ。風は、心地いい。湿気もまだそれほどでもない。こんな日は、仕事などせずに、郊外へと出たくなる。

アメリカ合衆国に行ったことがないので、南部の風景を知らない。ただ、最近はGoogle Mapがある。ミシシッピ州のある地点に降ろしてみると…街と国道以外は、低木の生い茂る森。やばいな。アメリカ、ヤバい。何がヤバいのかわからないくらい、ヤバい。樹に登りたい。

というわけで、ただただアメリカの風景に圧倒されてしまう。ただ、この小説に出てくるクリスマスやブラウンがよくいく街であるテネシー州メンフィスは、結構アメリカの中でも治安の悪いリストに載ってしまうくらいの都市のようですね。

都市と郊外の自然のコントラストが、日本以上にスケールが大きい。また、敢えてヨクナパトーファ郡ジェファソンのモデル都市でもあるミシシッピ州のオックスフォードの地図を見ると、メンフィスまで138㎞。いけない距離じゃないですね。東京から宇都宮くらいで、まあ、なんとか行けそう。鉄道は通ってないみたいだけど。

あらすじ

事件前日、真夜中、酒に酔ったブラウンを黙らせようとクリスマスはしていた。クリスマスは苛立っていた。ブラウンを絞殺しそうにもなった。自分が暴発しそうだとクリスマスは意識していた。だから、神に祈った。

クリスマスは2年前、ミス・ビアードと関係をし始めた。ただ、クリスマスは繰り返し一つのことを気にしている。

あの女は俺のために祈りだすべきじゃなかった。

『八月の光』No.1775

夜中、クリスマスは家のまわりをうろうろとしている。眠れずに家畜小屋に来て眠ろうとしている。朝になった。丸太小屋に戻ると、ブラウンが寝ている。そして、身支度を整えて、家を出る。

今まで住んでいたところを離れて、歩いて行く。クリスマスは、思う。

俺はもうやってしまったのかもしれない。/あれはもうこれからやろうとしてることじゃなくなったのかもしれない。

No.1846-1857

そして、ブラウンは密造酒を全部捨てて、夜七時には町にいて、九時になると床屋にいるブラウンに会いに行った。だが、すぐ離れて、町をさまよった。彼は、自らのアイデンティティに迷っている。「黒人」街、「白人」街をさまよう。そして、自らの見た目が、「白人」のようであることを、アフロ・アメリカンの酔漢たちに証明させようともする。

夜10時になり、11時になり、12時の鐘が鳴ったあと、ミス・ビアードの屋敷の方へクリスマスは歩いて行った。

感想

ここの場面は、クリスマスの焦燥と困惑が描かれている。

昔読んだフランツ・ファノンの『黒い皮膚・白い仮面』を思い出す。アフリカ系知識人のアイデンティティの二重性。自らを奴隷化した文化を学び、その文化の認識のもとで、自己のルーツをとらえ返さねばならぬことの悩ましさのようなものが、断章的に記されていた書籍だった。

ファノンというとアルジェリア解放の闘士で、積極的な運動家のようなイメージがあったが、この『黒い皮膚・白い仮面』は個人の内面のきしみを客観的に見つめようとする本だった。奴隷化を正当化しようとする論理の中に、奴隷化を批判する論理を見つけること。見つけたからといって、喜ぶわけには行かない。それは、結局、同じコインの裏表だから。

ファノンの悩ましさと類似したクリスマスの苦悩。見た目は「白人」のようだが、血には「黒人」が混じっている。今、そんなことを、と思うかもしれない。どっちでもいい、知らない、というかもしれない。クリスマスにとっては、どちらにしても自分は排除の対象なのだ。それ以上に「忌まわしいもの」として、人々からはみなされる。

神は俺のことも愛している。

『八月の光』No.1749

重いぜ。



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