ロイヤルミルクティー・ボイパ・読むことは生きること ~村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス』44~
私は『ダンス・ダンス・ダンス』の感想の最後を、行きつけのイオンモールの中の喫茶店で、ロイヤルミルクティーをのみながら、二つ隣の老人夫婦のうち夫の方が鼻をすする大きな音を聴きながら、これを書いている。鼻をそんなにすすったって、鼻道に空気は通らないと思う。花粉症の季節なんだから。
正直なところ喫茶店で、ミルクティーを頼むことなんかほとんどない。私はコーヒー派だからだ。ただ、荒れた胃には、ちょうどいい。今日は、ミルクティーの気分だ。たまには、リモート業務をノマドぶって、外の喫茶店でしてもいいではないか。
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まとめよう。
「僕」・・・主人公
ユミヨシさん・・・「いるかホテル」の受付業務をしていた女性
羊男・・・「いるかホテル」の不思議階の部屋にいて「僕」を待っている存在
ユキ・・・「いるかホテル」で出会った13歳の娘。
アメ・・・ユキの母。衝動的な行動に出やすい。
牧村拓・・・ユキの父。アメとは別居している。
別れた妻・・・「僕」が別れた妻。
キキ・・・妻と別れた後、2カ月くらいくらした女。突如として消え、五反田君の映画に出演していたことで再会する。
メイ・・・五反田君に紹介されたコールガールの娘。誰かに殺害される。
ジューン・・・ハワイで牧村拓があてがったコールガール。後を追って行ったら、6つの死体のある部屋にたどりつく。
五反田君・・・「僕」の古い友人。イケメン。俳優になる。
文学(刑事)・・・メイの事件を追っている刑事。「僕」を取り調べする。
ディック・ノース・・・アメの面倒を見ている、片腕の詩人。交通事故で亡くなる。
ディック・ノースの本当の妻・・・ディック・ノースの妻。
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「僕」とユキの物語。
「僕」と五反田君の物語。
「僕」とユミヨシさんの物語。
「僕」とキキの物語
別れた妻、羊男は「僕」の過去、「僕」の幻影である。
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二つとなり席の老夫婦の夫がうるさい。鼻をすする音。口をすする音。こんなにうるさいものなのか(苦笑)とても偉そうにしゃべっているが、途中で合いの手のように繰り広げられる、口の音がボイスパーカッションだ。
チュッ、ツッツッ、チェッ、ブホオー、チッチッ、なんで二回連続で、口を鳴らすのか、不思議である。歯に何か挟まっているなら、楊枝か何かでとればいいのに。
その割に、店に対する愚痴を述べている。愚痴のはざまに口が鳴る。参ったな。それにしても、なんで二回規則的に口をすするのだろうか。気になってしょうがない。
自分もそうなのかもしれないが、男はどうして細かな身体音を出すのだろうか。
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ユキは自分の思春期、五反田君は自分の青年期、キキは自分の他者意識の具現化だとして、全部自分の内側で起こったドラマだと理解することもできる。
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ボイスパーカッションにやられてしまって、感想がまとまらない。
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ユミヨシさんと、再び、暗黒の「いるかホテル」の部屋を訪れる。そこには羊男もいないし、死体もなかった。諸共、消え失せた。一緒にいたはずのユミヨシさんも、壁の向こう側に消えようとしていた。「僕」は必死で引き留めた。
「僕」は目覚めた。ユミヨシさんはそこにいた。ユミヨシさんは消えていない。現実の手触りを思い出した。これから、ここで仕事を見つけ、生きていくだろう、と決意した。
「僕」は言った。
「ユミヨシさん、朝だ」
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要するに自分がこの一連の読書感想でやりたかったことは、橋本治にとっての『小林秀雄の恵み』であり、小林秀雄にとっての『本居宣長』であり、安岡章太郎の『果てもない道中記』であり、福田和也の『甘美な人生』であるのだと思った。
それらはそれでも全て著作であり、商品である。商品にならない場所で、村上春樹についての読みを書く、という贅沢な試みをしてみたかっただけである。ジャンクなものだが、嘘も衒いも韜晦も含めて自分である。
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読むことは生きることである。そうなのだろうか。疑問に思っていた。書籍が伝えることを、USBのデータをデスクトップに移していくように、内容がスライドしていくのが読書だと思っていた。内容は移し替えられた時に起こるちょっとした起動音、それが感動とか理解とかいうものではないかと思い込んでいた。
しかし、そうでもなかった。
今なら、読書即生生即読書、と言えそうだ。
おそらく。