見出し画像

リーナとバイロンの旅立ち ~フォークナー『八月の光』 21~

明日は月曜日という、日曜日の深夜に、最終章の前説を書いている。この気分、ちょうど最終章にはイイ感じ。

日曜日の夜は、Bill EvansとScott Lafaroの組んだ演奏で、Sunday at Village Vangurdeの中に入っている「Gloria’s Step」の気分であり、これを聞きながら、終わりたい。

最後の章は、重苦しい前二章に比べ、ちょっと心温まる章で、ほっこりする。

なんて言ったって、バイロン・バンチの情けない感じがとてもいい。

リーナに挑んで、軽く嗜められて、恥ずかしくて、一瞬どこかにいくんだけれども、また朝に戻ってくる。

そして、また旅を続ける。

これ、黒原さんの訳が、ほんといい味出してるので、諏訪部訳、黒原訳、どっちでも読んでほしいです。

あらすじ

テネシー州にホテル代を節約するために部屋のようにつくろった荷台つきのトラックで行く男が、2人の男女を乗せた。

2人は夫婦なのかと思ったけれども、どうもそうでもなさそうだ。男の風態と女=リーナの若さがしっくりこなかったからだ。しかし、子どももいるので、夫婦だと思わざるを得ない。

男=バイロンは荷台に乗り、女は子どもを抱きながら、運転手の隣に座った。どうやら、この間、殺人事件の犯人がリンチされて殺された街から来たようだが、どうもそれについては話したがらない。

夜が近づいた。ホテルでも探すなら、そこまで乗せていくぞ、と2人に聞くが、どうもその気配がなく、野宿するような雰囲気だ。なので、トラックの荷台に寝ていい、と言って、運転手は自分は焚火の横で寝ることにした。

すると、2人の話し声が聞こえてしまい、すべてがわかった。

男=バイロンは、自分(=御者)が寝静まったことを確認すると、女のもとへ行き、一戦交えようとした。しかし、簡単にたしなめられて出て来た。

バンチさん。駄目でしょ、こんなことしちゃ。赤ちゃんが眼を醒ましてしまうし。それから男はトラックの荷台から出てきた。のろのろと、自分の足で降りたんじゃないみたいだった。
『八月の光』No.8461

そして藪の中へと行方をくらました。

朝になった。女は一人で出発するという。男はさすがにバツが悪くて戻ってこれないのかと運転手は思う。まあ、いいか、誤解されないようにしなきゃな、と思いながら、馬車を走らせる。

すると、カーブのところに、あの男が立っていた。そして、吹っ切れたような顔をして、でも、恥ずかしそうな顔をして、乗り込んで来た。

おどおどした顔だけど、同時に腹が決まって落ち着いたみたいな顔でもある。前の晩にこれが最後のチャンスだとやけくそをやったあとで、もうやけくそになんてならなくていいんだと判ったみたいな感じだった。
『八月の光』No.8513

テネシー州に入った。すると女は、驚いた風に言った。

まあまあ。人間ってほんとにあちこち行けるものなのね。アラバマを出てまだふた月なのに、もうテネシーだなんて
『八月の光』No.8526

感想

バンチは結局リーナについていき、結婚を前提として、事におよぼうとするも、リーナは受け流している。でも、バイロンと一緒に旅をするのは嫌ではないようだ。

リーナとバイロンは、ルーカス・バーチを追って旅をしているというが、もうそれを追うという目的は名目上のことになってしまい、2人はどこかで家族になるかもしれないような予感をもって、この物語は終わっている。

気弱で善良なバイロン、無邪気で芯の強いリーナ。そして、ジョー・クリスマスの死と前後して生命となった子ども。不思議な関係だが、こうした接ぎ木的な家族こそ、アメリカの再生と繁栄の源であるようにも思える。『この世界の片隅に』で、戦災孤児となった子どもをすず夫妻が拾って、夫の姉の子どもで空襲で亡くなったひろみちゃんの代わりに連れていくシーンを思い出して、血にとらわれない神話の創造をシーンを思い起こした。

ハイタワーは血にとらわれ、クリスマスも血によって殺された。血を振り切っていくことは、ヨーロッパという伝統から脱け出してフィールド・オブ・イノセンスのために遠くまできた開拓民のイメージも思い起こさせ、アメリカ的なものの活力の一つである底抜けの清々しさを感じられた。

バイロン・バンチは、ある意味で女性の処女性にこだわらない、過去にもこだわらない、現代的な騎士道精神の体現者であるとも思える。クリスマスとミス・バーデン、ハイタワーとその妻、この2つのストーリーはどちらも悲劇を迎えた。バイロンとリーナも、決して楽天的なハッピーエンドとは言い切れないが、それでも、前を向いて生きる姿に心打たれるものがある。

『八月の光』、すぐに読み終わると思ったんだけどな。結構、かかっちゃったな。眼が悪くなったり、なんだりで、途中、色々と止まっちゃったりしたり。

今回再読して、今まで、読み飛ばしていたがゆえに全然頭に入っていなかったハイタワーの章は、新訳という味方もあって、おおよそ理解できたような気がしました。そして、ハイタワーという人物についても、若いときに比べれば各段に内部に入り込めたような気がします。

ジョー・クリスマスの話だけだと、ほんと重苦しい話だなあ、と思うけれども、バイロンの存在がやはり希望を持たせます。バイロンは、もしかするとリーナと今後結婚も何もできないかもしれないけれど、なんだろうなあ、結婚とか、性愛とか、そんなんだけが人生じゃねーぞ、とまあ、48歳のおっさんは思うわけです。

次、ルーカス・バーチに出会ったときは、ボコボコにしてやってほしい。そんなどうでもいい、感想が最後の最期で浮かんできました。

なんか、ちょっと寂しいですね。




この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?