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ハインズ夫妻の告白 〜フォークナー『八月の光』 16〜

やけに蒸す六月の給料日前は汗ばかりでて暑いのになぜか懐だけは寒い。懐が寒いなら不貞腐れてしまって、本でも読んで感想でも書きつけておこうという気持ちがより高まる。筆者としては良い傾向なのかもしれないが、生産性がない、マネタイズもできない。永遠の素振りを繰り返すのみである。

自分としては、読書感想文というのは、バッティングセンターでマシンから出る球を打っているようなもので、それはどんな格好で打ってもいいはずだ。誰も、私のフォームを見ているものなどいない。時に、いいあたりがあって、周りが少し瞥見するようなものだ。

ただ、最近闇雲に言葉を連ねることを習慣にしたせいで、少しだけ忘れっぽさが緩和したような気がするのは気のせいか。目は疲れるが、脳にはそれなりの負荷がかかっているようで、少し前の自分よりも頭の方はキレている感じはする。

確かに、筋肉をつけたり、持久力をあげたりするためには、少しづつ負荷をかけていかなければいけない。練習も、難しいものに挑戦しなければ、上達はない。読書もしかりで、それなりに文章的にも内容的にも難しく複雑なものを噛み砕いていかないと、脳に負荷がかからない。『ペスト』とか『八月の光』はそれなりの負荷を自分の頭にかけているのだろう。それにしてもインプットとアウトプットがボケ防止の活動になっているというのも、情け無い話である。

フォークナー作品はあらすじがまとめづらいが、心掛けていることは、行為だけを時間の順序に沿って書き起こすということだ。論説が、論理展開を主軸にまとめるのと同様に、物語は時間の順序によって各人の行為とその結果をまとめていく。そうなるとフォークナー作品は、すっ飛ばす部分が多くなる。解像度は、低くなるが、全体の枠が把握できる。ジグソーパズルの外側だけ作ってしまうのと似ている。あとは各パーツをはめていって、空白を想像や推測で埋めてやることだけだ。

あらすじ

日曜日、バイロンはハイタワーの家を訪れた。そして、ジョー・クリスマスが捕縛されたことを伝えた。バイロンの顔には、何か厄介ごとを頼みたい色が浮かんでおり、ハイタワーはそれを見て取って、牽制した。自分はもう社会とかかわりたくないのだ、と。

バイロンは、ハイタワーにクリスマスの祖母が見つかった、と告げる。バイロンはふたりを迎えに行き、部屋に案内する。そして、元牧師であるハイタワーに、これまでのことを話してくれるように促す。

クリスマスは、このハインズ夫妻の娘の子どもなのだ。しかし、ミセス・ハインズは一度もその赤ん坊を目にすることはなかった。「アンクル・ドック」が、その間にも余計な口をはさむ。ハイタワーは困惑するが、話は続く。

ハインズ夫妻は、アーカンソー州で製材所をやっており、その周辺をサーカスの一団が通過した。その際、馬車が川に落ちてしまい、それを引き上げるために、丸太用の滑車を「アンクル・ドック」のもとに借りに来た。そして、ハインズの娘ミリーは、サーカス団の一人であるメキシコ人と恋に落ちてしまう。

ミリーはその男と駆け落ちしようとした。それを察知した「アンクル・ドック」は、追いかけて、その男を射殺。ミリーを無理やり連れ戻す。のちにサーカス団の団長が詫びを入れに来たとき、その男には「黒人」の血が混じっていると告げたのであった。

ミリーは、出産と同時に亡くなる。やはり、「アンクル・ドック」が撃ち殺したのだ。そして、そのままジョー・クリスマスをどこかに連れて行ってしまう。そして、5年ののち、夫婦でモッツタウンに引っ越してきたのだという。

「アンクル・ドック」は、孤児院でずっとジョー・クリスマスのことを見つめていた。そう、あのジョーを監視していた、あの男こそ、若き日の「アンクル・ドック」だったのだ。例のアバンチュールを楽しんでいた栄養士の女と若い医者が、クリスマスを発見したときも、「アンクル・ドック」はその状況を見ていたのだ。そして、マッケカーンのもとに、ジョーは連れていかれる。

ハイタワーは、それらをゆっくりと聞いていた。バイロンは、先を促す。ミセス・ハインズは、望みを言う。

もしかして、皆さんが一日だけでもあの子を許してくれればって思ったんです。あれがまだ起こってないみたいに。世間様にあの子のことを悪く思う理由がまだないんだっていうみたいにです。そうなれば、あの子はただ旅に出て大人になって帰ってきたっていうようになるんです。一日だけそんな風にできればって思うんです。そのあとはいっさい邪魔しません。あの子がそれをやったんなら、わたしはあの子とあの子が受けなくてはならない罰の間に、割りこんだりはしません。そう、たった一日だけでいいんです。あの子が旅に出てて帰ってきて、わたしにその旅のことを話してて、まだこの世の誰ひとりとしてあの子を悪く思ってないっていうみたいにです
諏訪部浩一訳『八月の光』p.206

ハイタワーは、観念しながらも、言う。「この人たちは、私に何をさせたいんだ?」と。バイロンは、言う。

あの男は彼女を殺したことを認めてません。それに、あの男に不利な証拠といえばブラウンの言葉だけで、そんなものはほとんど無に等しいです。あなたには、あの夜にあの男がここで自分と一緒にいたと言うことができます。
諏訪部浩一訳『八月の光』p.209

ハイタワーは悩みながら、拒絶する。しかし、三人が出て行っても、まだ悩んでいる。

感想

泣ける。

引用したミセス・ハインズの言葉に泣ける。

そうもありえたという可能性が、この場面の強さになっている。

いつも児童虐待のニュースをみて思うのだが、違う人生もありえたという無数の選択肢の存在が、逆にその運命の一回性を強調して、痛切に胸に響く。そのような場面だ。

今回は、それだけ。

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