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気遣いの人・乱歩

乱歩邸が立教大学の管轄であれば、その内部資料を利用できる優先権は、立教の先生にあるだろうと思って、藤井淑禎先生の『乱歩とモダン東京』を紐解いてみた次第。

案の定、淑禎先生、管理者の任を拝命している。その上で、乱歩のあまり評価の良くない中期の長編に目を向けて、その再評価を行なっている。

中期作品に対して、乱歩自身が芳しくない評言を放っていることは有名だ。しかし、作家の自己評価が、作品の評価と直結するだろうか。本音かもしれないし、謙遜かもしれない。

私は、これは申し訳ないけれども、作者と社会と時代が、等分の割合で作品を「書かせている」と思っている。いや、作家の自覚次第で、作者の割合が増えることもあるだろうけれども、商品として流通するからには、他者の目に晒されて、修正を余儀なくされる。その他者の目こそ、社会であり、時代であると思う。

作者自身が書きたいけれども書けないもの、言いたいけれども言えないもの、全知全能なら書きたいこと言いたいことを全て言えると思う。意識的にせよ、無意識的にせよ、自己抑制は作品の中に生じる。言語を選択する際に、すでに想定読者の目が作者の中に宿る。共感の外に出ようと思いながら、それでも共感を求めずにはいられない。それが、社会であり、時代の反映で、いわば「テクスト」としての作品ということになりはしまいか。

まあ、それはそれとして、第一章では作者自身の評価に抗って作品を読む、とはどういうことか、その姿勢について書いている。

乱歩は自作への自己言及が多い作家で、その総決算が『探偵小説四十年』という文章にある。ただ、この文章は、あらゆる時期に書かれたフラグメンツを、パッチワークすることで、一つの全体を作っている。だから、その自己評価がいつの時点のものか、その評価は以後変わらなかったのか、という未決の問題があるという。

淑禎先生は、多くの中期作品低評価は、多少は本音のところがあるだろうけれど、大部分は同業者への気遣いがある、のではないかと述べている。私も、それはそう思う。

戦後の乱歩は、日本の探偵小説、推理小説を牽引してきたという自負がある。名声も得た、そんな中で、自らの権威性にも敏感だったに違いない。だから、若い作家が萎縮してしまわないように、自らの作品を低く見積り、かつ、将来の探偵小説、推理小説のために、その文化的ミームを残してあげようと、『幻影城』などの資料集を丹念に編んだのではないかと考える。

乱歩は若い時、色々な仕事をした。色々な人とかかわり、大変なこともあっただろう。飽きっぽくもあったのだろうが、気遣いの人の印象も強い。気疲れして、一つのところに長くいられなかったのかもしれない。時折、放浪の旅に出てしまうのは、その現れなんじゃないか。

中期の作品も、『芋虫』で当局の処分を受け、権力のなんたるかを知り、それによって子ども向け、大衆向け作品に自らを限定せざるを得なかっただろう。戦時中は町会の取りまとめをしたりと、人となんとなくやれる人だったんじゃないかと思う。だからこそ、敢えて、ということは考えられそうだ。根拠は聞いた話だけだけれども。

第二章では、淑禎先生、中期作品に現れる東京の変貌を話題にしている。大震災後の帝都復興の中で、整えられていった新ガジェットを作品の中に取り込むことによって、「あこがれ」という要素を組み込んだという。お茶の水の電車から見えた文化アパートメントがそれで、明智小五郎の住居として、登場する。

私にも住居的な憧れがあって、ビルの屋上にあるプレハブに、ずっと住みたかった。『美味しんぼ』の山岡士郎が住んでる類の家である。今も高いビルの上から、ビルの屋上にあるプレハブの城を夢想する。そうした大衆の「あこがれ」を、どこに場所を定めても成立する中で、うまく組み込んでいった。これが、中期の一つの表徴であり、読むべきポイントではないか、と言う。

長くなるので、とりあえず、ここまで。

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