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リーナ、ジェファソンをめざす ~フォークナー『八月の光』 1~

ひどいスランプである。

その原因は、やり遂げなければならない仕事を滞らせていて、にもかかわらず別の仕事が入って、そちらを終わらせるごとに罪悪感が溜まっていくこと。日常のルーティンはこなせるものの、ひとたびイレギュラーな仕事に手をつけようとすると、全然やる気が起こらないこと。家族のこと、親族のこと、PTAや学童のこと、仕事の人間関係のことなど、私自身の問題ではない問題を人を動かしながら解決に導かねばならないこと。それらが覆いかぶさってきていること。

それらを重要度や緊急性に振り分けて、できることからやっていく気力が年々減退していること。その割に、noteは書きたくて仕方がないこと。要するに、テストの前の部屋の掃除のような機能を、note執筆が果たしているという次第である。その前にテスト勉強しろよ、という話なのだが。

それで読み切れていない長編小説のうちフォークナーの『八月の光』を選んだわけだが、kindle unlimitedに光文社の新訳があった。もともと持っていたのは新潮文庫のそれ。長編を読むに際しては物質的なインデックスが必要であるため、新潮版を探したが一向に見つからない。したがってもう、kindleでいくしかない。デジタルで長編が読み切れるのか心配である。そんな心配しなくていいから早く読めよ、というツッコミをいただきそうだが。

Kindleでインデックスをつくること

Kindleで書籍の分量を把握しようとしたとき、まず、各章にしおりを打っていく。全部で21章。やっぱり長い。実際の本の厚みは、フォークナーの本の中でも大きい方だろう。奥付の位置No.が9119なので、1章No.15、2章No.491 …とページ数とは異なる。

章ごとにしおりを挟んでいく

機種によっては、ページ数表記できるものもあるようだが、私のPaperwhiteは、「ページ番号は利用できません」になってしまうので諦めた。

「ページ番号利用できません」

まあ、なんとなくわかればいいや、ということで第1章はNo.476くらいの分量だ。そして、私はフォントをゴシックに変える。

ゴシックに変えたあと。私は明朝よりもゴシックでフォークナーは読みたい。

1 リーナ登場

『八月の光』の主人公はリーナという。アラバマからミシシッピへと流れてきた若い妊婦である。

アラバマ州のどこかでリーナが12歳のときに、両親が亡くなる。そして、ドーンズ・ミルという村にいる兄のマッキンリーのもとへ行く。兄は20歳年上だった。兄嫁はお産で大変だったので、リーナが家事をした。子どもたちの面倒も見た。

20歳になったとき、子どもたちと一緒に寝る部屋から脱出するすべを覚えた。そして、彼女は妊娠した。兄はリーナをとがめるが、リーナは「今に呼び寄せてくれるの」と言い返す。妊娠させた男ルーカス・バーチは、もう村から逃亡していた。

最後に窓から脱出したあと、もう家には戻らなかった。そのままミシシッピ州まで歩いて来たのだった。ルーカス・バーチを追いかけて。馬車に乗せてもらって、リーナはミシシッピ州のポカホンタスの方へと向かっている。そして、さらにフォークナーが創造した都市であるヨクナパトーファ郡ジェファソンへと向かう。

点線の右がアラバマ、左がミシシッピ、赤マークがポカホンタス、ジェファソンはそっちの架空の町

アームスティッドとウィンターボトムは、リーナを見つけた。アームスティッドはリーナに声をかける。親切にしてやりたいが、妻がなんというかわからない。身重であるとはいえ、結構指輪はしていない。アラバマから歩いて来たという。アームスティッドはリーナをのせ、ジェファソンまで20キロのところまできてやる。

アームスティッドは、リーナを家に連れていくか迷い、結局声をかける。家に行くと妻のマーサが見ている。アームスティッドは、妻に事情を説明する。当然、妻はいぶかしむ。リーナは手伝いを希望する。マーサは断る。

「名前はもうバーチになってるのかい」

『八月の光』No.262 

「あたし嘘言いました。名前はまだバーチじゃないです。リーナ・グローヴっていいます」

『八月の光』No.262 

リーナは、ルーカス・バーチが入籍もせずに先にジェファソンへと行ってしまった理由を説明する。長いが一部。

「あの人は、あたしがそうしてほしかったらここにいると言いました。主任に意地悪されてもされなくても。でもあたしは行ってと言ったんです。あの人は行きたがらなかったけど、あたしは行ってといいました。あたしが行っても大丈夫なように用意ができたら言伝をよこしてって言いました。でもいろいろうまくいかなくて、あの人、間に合うように言伝をくれることができなかったんです。…」

『八月の光』No.285

マーサは、リーナが騙されていると思うが、純真な気持ちにうたれ、へそくりをリーナにあげることにする。アームスティッドもまた、へそくりを取り出し、リーナにあげる。そして、「俺ならあんまりあてにしないっていうか…」と余計な一言を挟んでしまう。だが、リーナは気にせず、ジェファソンへ向かうという。決意は揺るがないようだ。

荒くれものの男たちの中に、ジェファソンにいくものがいるかもしれないとアームスティッドは言う。リーナは、そんなあらくれものたちと話す。あらくれものたちも、リーナが騙されているのに、それを信じている純真な心に打たれる。ジェファソン行きの馬車が見つかる。

そして

「旅に出てまだひと月なのに、もうジェファソンにいるなんて。まあまあ。人間ってほんとにあちこち行けるものなのね」

『八月の光』No.464

感想

なんだろう。リーナを理解できるようになって、リーダビリティが上がった気がする。昔は、まず、架空の街ジェファソンの位置付けがよくわかっていなくて、わからなかったことが多かった。フォークナーの作品は、ジェファソンの中で様々な愛憎劇が繰り返されて、閉じた共同体感覚が横溢している。それを踏まえた上で、『八月の光』を読むと、そんな閉じた空間に外部から聖者のような女が…と、心が躍る。

また、フォークナーの筆法で独特な意識の流れも、この光文社の新訳は読みやすい。強調しているよりも、グレーになって薄くなっている方が格段に意識の流れっぽいのだ。この表記法はKindle独特のものなのかもしれないが、場面を情景描写と会話と心内表現で流していくフォークナーのサスペンスがうまく表現されている気がする。講談社文芸文庫のイタリックも嫌いじゃないが、これはよい。

屋上屋を課すが、やはり外国文学はコンテクストという外部情報を積極的に入れて読んだ方がいいと思う。これについては、私の学生時代から、議論はあったが、正直「素の気持ち」というものを私は信じていないので、無垢を装った無知よりも、徹底的に外堀内堀を埋めて攻めた方がいいと思う。特にフォークナーに関しては、新潮社のラインナップだけだと、微妙。短編集もサンクチュアリや八月の光も名作だが、『響きと怒り』『アブサロム、アブサロム!』を読んだ上で、読むのとだとまた違った感興がある。

まだ序盤。感想はこんなところ。

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