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当事者にしか共有できない歴史があるという気づき。それは痛みを伴うものだった。
当事者と当事者でない、の圧倒的な壁。
2025年1月17日(金)。阪神淡路大震災から30年が経った日ということを、朝の先生との雑談で知りました。
今日参加した災害について考えるイベントで聞いた
「災害は全員が当事者になる」
という言葉がずっと引っかかっている。
本当にその通りだと思った。
逆に、経験してない人は絶対にその災害の当事者にはなれない。
私はその現実に気づいた時、体全体に痛みが走った。
一昨年の年末、雪が降る季節、宮城県に行った。
目的は、半分人に会うため、半分震災を学びに行くため。
宮城県にはそれまでに数回行ったことがあったが、震災について触れたことはなかったので良い機会だと思ってついて行った。
いろんな学習館や震災遺構に連れて行ってもらった。
語り部の方にも話を聞かせてもらった。
それはもうショッキングな映像と、遺物たち。
焼け焦げてそのまま残っている校舎、その時間で止まっている時計、頭上の遥か上にある「ここまで津波が到達しました」の看板。
言葉にならない気持ちだった。
それでも私は、分からなかった。
そこに誰がいたのか。いた人はどんな心境だったのか、どんな表情をしていたのか、何を・誰を思いながら必死に動いたのか。
見てるものたちは何もかも沈黙しているものたちで、結果として目の当たりにしているものは頭で理解はできても、そこで実際に何が起きたのか、経験したことのない私の想像には及ばなかった。
当日、知り合いの家に泊めてもらった。そこは地域の居場所運営を行なっていて、同世代の人たちとご飯を食べながら交流もした。
その話の中で、「ここも浸水したけど、他のとこに比べたらなんてことなかったよ」という話を聞いた。
ここに津波の浸水が…?同じことを皆が等しく体験している…?
当事者でない私には理解し得ないことだった。
むしろ、分かってはいけないとすら思った。
震災の当事者であること。それは、局所的な地層の重なりのように見える。
その辺りの人たちでしか共有できない歴史なのだ。
それに歩み寄ろうとすることはできても、分かった気になってはいけない。
「分かりますよ」なんて口が裂けても言えない。
そんなことを思い出す1月17日でした。
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