ボロが出るのが怖い
2025年1月21日(水)。
毎日身近な誰かの誕生日のような気がしてならない。
ボロが出るのが怖い。
自分の良くないところはなるべく見られたくない。
自分ができないことはできるだけバレたくない。
自分は、今の自分の実力以上のものを出せない。
人間は、21日続ければ習慣化すると言われている。
超個人的な経験則では、最初の7日間は楽しさで乗り切り、次の7日は苦しみに襲われ、次の7日は虚無な作業と化す。この21日を乗り越えると、だいたい毎日どこかで思い出すタイミングがあり、よしやるかと腰が軽くなっていることに気づく。
今はだいたい最後の7日間。作業と化していて、若干スランプも感じている。
ここを乗り越えれば、また楽になる。
練らずに文章を書くことが苦手だ。
ボロが出るかもしれないから。
読み返した時に、自分が書いた文章のまとまりのなさと語彙力のなさとオチのなさに愕然とするかもしれない。
だから、短い文章だろうが毎日短時間で書くという作業が今はちょっと苦しいかもしれない。
だいたいこういうことを考え出したら、失速する。自分にとって良くないという独善的な判断で、ぬるっとやめる。
しかし今回は、そんな心を無視しながら、ただ書いてみるということをしている。
自分は、今の自分の実力以上のものを出せない。
そんなことにうっすらと気づき出したのはいつだったろうか。
見栄を張りたがる、背伸びしたがる、誰かの意見をまるで自分の意見のように引用する。
そんな人たちを疲れた目で見ながら、無意識に自分もそうなってないか。
自分の無力・無知が、自分を人知れずそうさせてないか。
自分の妥協が、人をがっかりさせてないか。
誰にも指摘されず、そう思われていたら怖い。
自分の気づかない自分のボロで、誰かを傷つけていたら怖い。
そんな無意識で完璧主義に生きてきたところはあったけれど、ボロが出ないように取り繕うことも見栄だし背伸びだ。
誰かを無意識に傷つけていても、それが自分の今の実力に過ぎない。
思考と身体が力みなく一致するその日を想いながら、両手から溢れそうなほどの目の前の自分の幼さを見つめる。