母親 (1分小説)
「ね、どうしても、一緒に住まなきゃいけないの?」
私は、玄関で靴を履いている父に声をかけた。
父さん、人が良過ぎるよ。毎日毎日、頭下げて身を粉にして働いて。慰謝料払って。
身内とはいえ、そんな苦労をかけさせた人と、また一緒に暮らすなんて。
「母さんが駅についたようだから、迎えに行って来るよ」
父さんは、私の問いには答えず家を出ていった。
母が、15年の刑期を終えて、このアパートに帰ってくるという。
3歳の頃から、ずっと父と2人でやってきて、もう、2人の生活が当たり前になっている。今さら一人増えると言われても。
学校の友達も彼氏も、この家には遊びに来るし。
いきなりふって沸いてきた母親を、どう説明すればいいっていうのよ。
家に火をつけて、隣近所にまで、さんざん迷惑をかけた母親だなんて、誰にも紹介できないわ。あれこれウワサになって、ややこしい話になるのはゴメンだ。
それに、再犯の可能性だってあるじゃない。うかうかと、普通の生活もできやしない。
しばらくすると、玄関のドアを破錠する音が聞こえた。
ヤダ、本当に帰ってきたんだ。
「美野里、ただいま」
それは、面会も電話も、拒否しつづけきた私が初めて聞く母の声だった。
「美野里、美野里」
家の中を探しているようだ。
私は、ベッドの上で固く目を閉じ、身体を丸める。
ガチャ。部屋のドアが開かれた。
「美野里。まぁ、こんなに大きくなって」
母が近づいてくる。
背中越しにでも、泣いていることが分かった。
「寝ているようね」
手を伸ばして、顔をなでてくる。
その感触に驚き、うすく目を開けると、ケロイド状にただれている腕が、かすかに見えた。
この跡、私にもあるわ。
その夜。
私は、夕食も食べずひたすら寝たふりをし、2人が寝静まるのを待った。
午前2時。ベッドから身を起こし、自室を出てゆく。
どうしても、母のあの火傷が気になる。
ふすまを開け、父の部屋に入ると、狭い6畳間には新しい布団が組まれており、その中で母は熟睡していた。
私は、フットライトを頼りに、母に近づいてゆく。
暗がりの中、私によく似た女性の顔が浮かび上がる。どうやら、顔には火傷の痕跡がないようだ。
なぜか、ホッとする。
私は、母の右腕に手を伸ばし、真新しいパジャマの袖を、ソロソロとめくった。
…あった。
幅20センチほどの棒状の火傷が、くっきりと腕に残っている。
私は、自分の右腕をまくりあげ、母の右腕の内側に合わせてみた。
濃淡はあるが、火傷の跡がひとつの線に繋がった。
まさか。
「火傷は、背中一面にもあるぞ」
隣で寝ていた父さんが、ムクリと上体を起こした。
「できることなら、お前には黙っていたかったが。
母さんは燃え盛る炎の中から、お前を守ろうとしたんだ」
もしかして。
「炎から守っただけじゃない。幼い娘に過酷な道を歩ませるより、自分が代わりに、と言って聞かんかった」
火を出したのは。
静寂の中、幸せそうな母の寝息だけが、いつまでもいつまでも、ただ響いていた。