今日も、チョコレートをひと粒。
チョコレートは私の一部。
力強く言い切れるぐらい、私はチョコレートが好きです。どんなに機嫌が悪くても、チョコレートをひと粒食べるだけで機嫌が直る。心のモヤモヤもトゲトゲも不思議とおさめてくれる、まるで魔法の薬のような食べもの。
子どものころは、たくさん食べすぎて親に怒られたこともありました。
「食べすぎると、鼻血出るよ!」
こんな怒られ方をしたのは、私だけかしら。
とにかく、子どもの時に怒られるほど食べすぎたにも関わらず、大人になった今でも大好きです。秋になると、新商品が店頭にたくさん並ぶのが嬉しくて、チョコレートの並ぶ棚を見て心が躍ります。
今では当たり前のように存在するチョコレート。でも、ただのカカオ豆を加工してチョコレートにするには、結構な手間暇がかかっています。
工程をざっくり書き出してみます。
簡単に書いただけなのに、たくさんの工程がありますね。
何を言いたいかというと、チョコレートを最初に作ろうと思った人が素晴らしい。その人がいなければ、私たちがチョコレートを食べられないわけで。
一見ただの木の実でしかない固いカカオの実を、何とか食べられるようにした人がいる。さらに、美味しく食べられるように膨大な時間をかけてチョコレートに加工した人がいる。
もっと言うと、目的は商売だったかもしれないけど、世界中に広めた人がいる。おかげで世界中に広まり、愛され続けている。今でも世界各国で、より美味しくなるように日々研究している人がたくさんいます。
色々調べてみて、チョコレートひと粒に長い歴史と世界中の人々の想いが詰まっているように感じました。それだけではなく、「おいしい」の一言だけでは言い表せない、深みや豊かさも感じられます。
調べた知識は、あくまでほんの一部にすぎません。
でも、一部なのにスケールが違います。
長い歴史のなかで世界中の人が関わってできた、今のチョコレートの形。歴史に想いを馳せたら、これまでチョコレートに関わってきた人たちへ、感謝の気持ちが湧いてきました。
今、チョコレートが当たり前のように存在していることが、ありがたいです。
「お母さん、お母さん。チョコレート無くなっちゃったよ」
チョコレートのことを考えていたら、長男に声をかけられました。
我が子たちも、チョコレート好きの私の血を立派に引き継いでいます。私がこっそりあとで食べようと思って取っておいたチョコレートを、目ざとく見つけちゃっかり食べちゃうこともあります。私に隠れてたくさん食べすぎて、鼻血を出したのも数知れず。
「ほら、食べ過ぎて鼻血出ちゃったじゃん」
ティッシュで作った鼻栓を二男の鼻に突っ込みながら、私からの遺伝の強さを日々感じています。やはり私たちは親子なのね。チョコレートを通じてこんなことを考えるとは、夢にも思わなかった。
大人も子どもも夢中にさせるチョコレート。
美味しいだけじゃなく豊かな時間をくれるチョコレートが、やっぱり大好きです。
※メンバーシップ 書く部のお題「好きなお菓子を語らせろ」で書きました。
ご紹介ありがとうございます♪