助六由縁江戸桜、8年前。

自分の好きなものをハッシュタグ「#とは」で書け、というお題なので、故・中村勘三郎が最晩年の2010年に見せてくれた楽しい歌舞伎舞台、『助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)』をふりかえってみたい。
なにぶん数年前のことだから、セリフの引用等、すべて記憶によるもので、正確でないため平にご容赦いただきたい。

たぶん、東京歌舞伎座改修のための取り壊し前最後の公演であったと思われる。
内容は、まあ、ごくふつうの荒事と和物の典型で、ファン・サービスが中心なためか悲壮感がなく気軽に楽しめる演出であった。
それよりも、役者陣の豪華なことと言ったらない。
主演・助六(実は曽我の五郎)役は、故・市川團十郎。
その兄で曽我の十郎役は、尾上菊五郎。
主人公の助六にとっちめられてしまうサンピン役、なんと片岡仁左衛門。
そのサンピンに弾みでぶつかってしまい、因縁をつけられる運送業者(超脇役!)が、故・坂東三津五郎という贅沢ぶりであった。
江戸吉原の郭を舞台に、助六の侠気・士魂両面の清濁を存分に見せつけながら、大アクションを繰り広げるわけだが……

その大アクションに、ひとりの場違いな男が迷い込む。
通人の里暁。
〔遊び人〕のようなものであろうか。
この里暁が現れたとたんに巻き起こる喝采は、團十郎や仁左衛門が登場したときのそれとは、質が違っていた。
里暁の役者が、中村勘三郎だったのである。
この最強の布陣には、舌を巻くよりほかはない。
が、喝采の質が違っていた理由は、それではない。
『夏祭浪速鑑』など数々の荒事で主役を張ってきた勘三郎が、今回はひ弱そうな町人姿で、通人といえば聞こえはいいが、いかにも軽薄なお調子者といったフット・ワーク。
踊るように上手から現れた途端、深刻な復讐劇であるはずの曽我の五郎・十郎兄弟の演目を、いちどに和ませてしまったものだ。
仁王立ちして沈黙裡に見得を切る助六の前へ座り込み、勘三郎の里暁はどこまでもおどけて、
「あれ? おまはんどこかで見た顔でゲスなあ。あ、そうでゲス! 成田屋さん」
はしゃいだかと思うと急に泣きそうな顔になり、
「おまはんには申し上げたきことが山ほどあるでゲス。大病を克服してくれて、本当に本当にありがとうございますよ」
土下座して、團十郎ファンの大喝さいを巻き起こす。
そうしておいて、ふところから手ぬぐいを取り出し、ぱっと広げて見せるのであるが、ここには何らかの家紋が染め抜かれており、やはり喝さいと爆笑が湧きおこる。
恐らく、市川團十郎の屋号・成田屋の家紋であろう。
そいつをひょい、とかぶって勘三郎、座った姿勢から、仁王立ちした團十郎の股間にホレボレと見入り、何を思ってか秘所を指さして歓喜の奇声を上げまくる。
このとき、團十郎が笑いをかみ殺して押し黙っているのが分かり、それがまたウケる。
続いて尾上菊五郎の前に、同じように座り込んだ勘三郎。
「あれ? おまはんもどこかで見た顔でゲスなあ。そうだそうだ、音羽屋さん!」
またしてもはしゃいだり泣いたり、
「おまはんにも申し上げたきことがあるでゲス。しのぶちゃん、おめでとう~っ!!」
菊五郎の娘・寺島しのぶによる、ベルリン国際映画祭最優秀女優賞受賞を賛美する。
「しのぶちゃん、世界に羽ばたいたでゲスよ」
ここでも喝さいをほしいままにし、さきほどの手ぬぐいをひょい、と裏返して見せれば、なんとそこには別の色で別の家紋が染め抜かれているのだから、なんとも粋としか言いようがない。
この家紋、言うまでもなく尾上菊五郎の屋号・音羽屋のそれであろう。
さらに、
「ここで一句。

しのぶれど世界に羽ばたくしのぶちゃん
それに引き換えこのあっし
からくれないに股くぐるとは

というような意味の、天才的なアホを言い放ち、尾上菊五郎の股をくぐり始めたではないか。
こうしてさんざん團十郎と菊五郎を持ち上げた勘三郎は、最後のダメ押しと言わんばかり、
「この歌舞伎座がなくなるのは、さびしいでゲスなあ。しかし、また次の新しい歌舞伎座で、夢を見させてもらおうじゃあ、ありませんかええええ」
大見得を切り、
「工事中はでゲスな……」
歌舞伎座以外の公演場所の宣伝もちゃっかりと入れ、
「ついでに中村座でも、やっておりますのでどうぞご贔屓に~」
最後の最後になって初めて自らの屋号・中村屋を宣伝するあたり、一見無茶苦茶なようでいて、実に奥ゆかしいのである。

こうして通人・里暁が舞台を去ったあとは、またストーリーの展開に戻る。
つまり勘三郎は、ファン・サービスの役割を一手に引き受けたのであった。
里暁以外のキャラクター達は、ことごとくマジメに役を演じ、歌舞伎座改修とか團十郎復帰とか寺島しのぶ受賞といった内輪ネタへの言及は一切なくて、したがって勘三郎ひとりがこのように大暴れしても、なんら鼻につかないのだ。
また、成田屋や音羽屋の役者を中心に組まれた舞台において、中村屋の勘三郎が広報を担当したからこそ、宣伝と言うよりは応援という色彩になって、嫌味がないのかも知れない。
それでいて、この回の『助六由縁江戸桜』で最高に印象にのこった演技は、やはり勘三郎のそれなのであった。

(セリフ等の引用は、すべて記憶によるもので、正確ではありません。)

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