漫画みたいな毎日。「手紙を出したいと思う相手が存在していること。」
なんとも可愛いらしいお葉書が、届いた。
差出人は、noterのakmitaさん。
幼稚園から疲れて帰ると、可愛らしい猫ちゃんたちが私を出迎えてくれた。
あぁ、お手紙って、しあわせ。
私にも、我が家の偉そうな長男にも素敵なメッセージをいただいた。まだお会いしたこともなく、noteの中だけでのやりとり。それなのに、こうして親しく思っていただけること。
アキミタさんが、新しい扉を開けてくれた。
長男も真剣な面持ちでメッセージを読ませていただいていた。
長男は、スマホや電子機器が基本的に嫌いである。パソコンで、生き物の調査報告や市場調査、生き物のことを調べるなどはするが、そういった程度。
そんな彼には、数人の文通相手がおり、いずれも女の子である。
やるな、長男。
生き物繋がりであったり、幼稚園繋がりであったり、沖縄で友お世話になった方の娘さん。彼は、手紙が届くと、せっせと返事を書く。ツンデレであるが、なかなかマメである。
そこに、登場した新星・akmitaさん。
長男の新たな文通相手になっていただけたら、嬉しいです。
というか、私が文通したいです。この場でプチ告白してしまいました。
流れの早い時代において、ゆっくり手紙を書きながら、相手を想う時間。
それは、時間の流れをゆるやかに、そして、豊かなものにしれくれる。
手紙を出したいと思う相手が存在していることに、感謝の気持ちが溢れてくる。
アキミタさん、お返事書きますので、どうぞお待ち下さいね。ありがとうございます。
・・・ここで記事を書き終えようとした。
アキミタさんに、記事に書かせていただくことを了承していただき、
「北海道では、ソメイヨシノがほとんど観られない」ということをつぶやいたら、こんな投稿が。
30年以上を東京や神奈川で過ごした私にとって、桜といえば、ソメイヨシノ。
普段は、まったく育った土地に帰りたいと思わないのに、この桜の咲く時期だけは、ホームシックのようになる。
この時期は、桜にまつわる出来事が、私の記憶フォルダが、一気に開かれるのだ。
あの淡い桜色がたまらなく恋しくなる。
空の青と淡い桜色のコントラストが、美しく、首が痛くなるほど、見上げていた。
保育園の子どもたちと、桜の花弁を舞い上げで遊んだ。子どもたちの転がるような笑い声。
長男が産まれ、退院した日は、桜が満開だった。まるで、桜にも、「この世界にようこそ!」と歓迎されているようだなと思った。風に舞う花弁が美しく長男を抱っこしながら、手を伸ばした。
ソメイヨシノから、「普遍的な美しさ」と共に、「生きるとは、変わることである」ということを感じるのだ。
アキミタさんのソメイヨシノの写真を見ながら、泣けてきた。
ソメイヨシノの淡い桜色には、ほろりと流れる涙も似合う気がする。
来年は、子どもたちと、あの淡い桜色を感じる旅に出たい。
いままでは、一気にやってくる北海道の力強い春を受け止めきれずにいたが、今年は、また違う角度で味わえる気がしている。
☆連日、noterのみなさんのやさしさを、たくさんいただいています。みなさん、ありがとうございます。なんというか、なんとも、やさしい気持ちが流れ込んできます。とてもとても心地よいです。ありがとうございます。☆