漫画みたいな毎日。「未来予想図は、描かない。」
SNSで過去の記事が流れてきた。
8年前の子どもたちとの暮らしの様子である。懐かしいなぁ・・・と思って読み始めたが、最後は、「今と同じじゃないか!」と気付いて吹き出してしまった。
・・・か、変わっていない。
そして、年中組である4、5歳の時から、小学生に「虫をリリースして」としつこくつきまとっていたとは・・・。そういえば、その様子をどうなることかと、ちょっとハラハラしながら見ていた時のことを思い出した。
そして、長時間の虫捕りに付き合う二男よ・・・。
あなたのその「待つ力」にどれだけ助けられてきたことか。
釣り堀での釣りに7時間×2日間付き合ってくれたこともあった。当時の二男は2歳だった。驚異的な「待つ才能」である。
その合間にも、自分で楽しいことを見つけて、「楽し~♪」「じゆ~!(自由)」と呟いては、時間を満喫できるのは、彼の才能だと思う。
「早く帰りたい」と言われた記憶がないのだ・・・。
彼には、ただただ感謝するばかりである。ありがとう。
8年前には、末娘が生まれてくるなど、想像すらしていなかった。
女の子の母親になるとはこれっぽっちも思っていなかったのだ。
それ以前に、母になることすら予想もしなかった、というか出来なかった。
そもそも、結婚もするつもりもなかったのだ。
何故、人が結婚をしたがるのかが、わからなかった。
幼少期より、自分の親を含め、私の周囲に幸せな結婚生活を送っている大人は、皆無だった。「結婚なんてしなくてもいいじゃない。誰も幸せそうじゃないもん。」と幼心に思ったものだった。
〈結婚しても、幸せになるとは限らない。〉
大人たちの結婚に纏わる悲喜こもごもを見て育った私の脳内には、そうインプットされた。その刷り込みはかなり強烈だった。
「なんで私だけ名字が変わるの?名字が選べればいいのに。高倉とか白鳥とか。」「名義変更とか、手間だよね。」「〇〇家の嫁とか無理・・・。」「もう一緒に暮らしているのだから、結婚する意味がわからない。」
結婚や戸籍制度に疑問を呈する私に、一緒に暮らしていた夫は、「婚姻関係を結んでおくと社会制度上どれだけ便利か、結ばないとどれだけ不便か」などを気長に説き続けた。
夫は気が長い。
今まで一緒に居て、「早くして」「急いで」と言われた記憶がない。
今更ながら、これは驚くべきことだと思える。
そして、私は彼と結婚し、いつの間にか3人の子どもたちの〈母〉と呼ばれる存在となっていた。
(最近では、noteの中でも、時空を超えた子どもだと言っていただいたり、前世では兄弟だったといってくださる方もいらっしゃって、とてもありがたい。)
人生って、未来って、本当に予想がつかないものだなぁ・・・。
8年後どころか、明日も、今日のこれからも、予測不能だ。
予測のつかない毎日は、やっぱり面白い。
未来予想図は、描かない。
どんな未来がやってきても、「毎日、色々あるよねぇ。」と、最後にはきっと笑えるはずだから。