アートはじぶんのこころの中に。
二男は、楽しいことが好きだ。
音楽や、踊り、絵を描くことや、自分で「キャラクター」を創るなどするのが好きな様子。
先日、そんな二男と、アートスクールの体験レッスンに行った。
「ペンキってどうやったら上手に塗れるかな?」という内容。やってみたい、ということだったので、申込みをした。
大きな布に数名でローラーを使って、ペンキを塗るのだが、布を広げるにも、適した場所を持たないと、シワが寄る。何処をテープで止めればズレないか考える。二男は、黙々と、周りの様子を見ながら、誰かに支持されなくとも、自分で考えて、動く。
「共同作業をする」ということも、誰かに教えられなくても、自分で獲得していくのだなぁ、と彼の動きを見ながら感じていた。
ローラーを手際よく動かし、布に色をつけていく。教室いっぱいに広げられた布は白からライトグリーンになった。
彼は、ギターを習っている。レッスンを受けることを決めたのは、体験レッスンを三ヶ所で受け、最終的に今の教室に決めたのは、体験から5ヶ月経ってのことだった。
「○○先生は、だいたいふつう。△△先生は、半分面白くて、半分ふつう。○△先生は、だいたいぜんぶ面白い。」
彼は、「だいたいぜんぶ面白い」先生のレッスンを受けることに決めた。
アートスクールの体験レッスンを受け、もし、レッスンを始めるとしても、彼が自分で「やる」と決めるのには、時間がかかるだろうな。と思っていたので、特に何も聞くことなく過ごしていた。
そんな中で、土曜日、画家のご夫婦が開催する「クレヨン作りワークショップ」に参加した。
創作活動と共にアートスクールも運営しているそうだ。
食用油と蜜蝋と顔料で作るクレヨン。簡単で、且つ、色も自分で調整できる。完成形も自分で形作ることができる。
私は、末娘の付添いでちょこっと手伝ったが、楽しい。あの色とあの色を混ぜたら、どんな色になる?植物で色をつけられるっていってたな・・・じゃあ、山ぶどうは?とか、頭の中でぐるぐる妄想する。
長男も二男も末娘も、それぞれ自分で好きな色を選び、クレヨンを作ることに没頭し、味わっている。その姿も三人三様だなぁ~と眺めて、ほんわかする。
ワークショップを開催してくださったご夫婦は、札幌在住ではないので、アートスクールも地元で運営している。でも、札幌ので開催も検討している、というお話だった。
子どもたちの選択肢は多いほうがいい。
いつか、「コレ、やりたい」「ここに行きたい」の選択肢のひとつになったらいいなと、子どもたちの興味に沿った「場所」や「こと」を、ちょっとづつ拾い上げている。
いろいろ見たり、体験したりして、自分にしっくりくる「場所」・「こと」を選べたらいいんじゃないだろうか。
かといって、選ぶこと自体が目的でもなく、こんな事もできるんだ、こんなこともあるんだ、いろんな人がいて、いろんな仕事があり、いろんな場があるんだな~ということを実際に体験し、味わえたらいいなと思っている。そんな体験を自分の引き出しに入れておいたら、ふとしたタイミングで出し入れできるかもしれない。
帰宅する車の中で、子どもたちは父親に、クレヨンを作りの様子をそれぞれ伝え、私は夫にアートスクールの札幌開催の計画もあるらしいよ~。と報告した。
帰宅してから、作ったクレヨンを触ったり、試し書きしている二男に、「今日の先生たち、すぐにではないけど、札幌でレッスンするかもしれないって言ってたよ。」と話すと、
「知ってる~。車の中で、お父さんと話してたの聞いてた。」と二男。
「もし、いろいろ、今日の先生たちとやってみたい、っていうならできるかもしれないよ~。」と私が軽い感じで伝えると、
「あのね、自分のこころの中にもね、もう、アートがちょっぴりあるから、教室とか、いかなくても大丈夫かな~。」
と、返ってきた。
〈こころの中にアートがある。〉
そうなんだ!!!!!そうなんだよね!!!!
私は、何も余計なことを言う必要なんてないなぁ・・・と実感した。「ちょっぴりある」っていうのが、彼らしい謙虚な表現だなと思う。そして、そんな様子がとっても魅力的だけど、あなたの中はアートでいっぱいだよ!と母は思っている。親馬鹿、バンザイ。
生きること、そのものが、アート。
生きていること、そのものが、アート。
また、子どもたちから、ひとつ教わったな。