漫画みたいな毎日。「むすんで、ひらいて。」
赤ちゃんは、しっかりと手を結んでこの世に生まれ出てくる。
「その掌に大切なものを握っているから」と、誰かが言っていた気がする。
運動機能が分化していくと、子どもたちは、手を自在に動かし、握ったままだった掌は、むすばれたり、ひらかれたりするようになっていく。
童謡の「むすんで ひらいて」には、様々な歴史があるようだが、詳しく知らなかった。
歌詞は作者不詳、作曲はジャン・ジャック・ルソーだったとは・・・。日本の童謡には、時に意味が隠されているものもあると聞くので、詳しく調べていくと、怖さみたいなものを感じることがある。でも、何処までが本当で何処までがそうでないのか、ということは、今となってはわからないことも多いのだろう。
このようにかいておきながら、実は、この童謡について書きたかったわけではなく、「むすぶ」と「ひらく」について書きたかったのだ。
そのきっかけになったのは、kakiemonさんのこちらの記事。
kakiemonさんは、農作業の片付けをされ、固く結ばれた紐を緩めながら、様々な事柄に思いを馳せていらした。そのことが、今、私の中にあるいくつかの結び目のことと重なった。
いつの間にか、できてしまった結び目。
最初は絡まっていたなかった一本の紐は、時を経て、少しづつ絡まっていったのかもしれない。そして、どちらからということではなく、何らかの力がかかり、固い結び目となってしまったのだろうか。
無理に引けば結び目は更に固くなり、解くことが難しくなるのだろう。
それは、人と人の関係に似ている。
初めはお互いに相手のことを考え、紐の引き具合を、紐の行方を、気にかけていたはずなのだ。
それが、いつの間にか、紐は絡まり、固い結び目が出来上がっていた。
解けない結び目を切るのか。
それとも、ゆるゆると力を加減し、いつか結び目が解けるのを待つのか。
もしかしたら、他にも方法があるのかもしれない。
ただ、無理に引けば、結び目はまた固くなってしまうのだろう。
結び目が固くなった要因は私にもあるのかもしれないが、相手の力加減は、私にはどうすることもできない。
私にできることは、結び目を無理に引いて固くしてしまわないようにすることだけなのかもしれない。
むすんで ひらいて
大切なものを手放さないように、ぎゅっと握りしめたくなることもあるかもしれない。
でも、握る力が強すぎれば、掌の中で握り潰してしまうかもしれない。
むすんだら、そっと ひらいて。
ひらいたら、そっと むすんで。
いつでも掌の中から羽根を傷めず蝶が羽ばたけるように。
こちらの記事を読ませていただいたとき、自分の中で悶々としていたことが、ふっと軽くなりました。私は私の日常を。相手は相手の日常を。
それぞれ踏み込み過ぎずにやっていけばいいのだと。
結び目を切ってしまうことは簡単なのですが、そうではない選択を自分の中で残しておくことは、相手の為ではなく、自分の為なのかもしれません。
そんなことを考えています。
今日明日、簡単にどうこうなることではないので、kakiemonさんが書かれていた〈今回のように、力を入れて、絡んだ結び目をほどこうとせず、肩の力を抜いて、自然にどうにかなることを待つことも大事かもしれない。〉という言葉を胸にしまっておこうと思います。
kakiemonさん、ご紹介させていただきましたが、不都合がございましたら、おっしゃってくださいね。素敵な記事をありがとうございます!感謝をこめて。
学校に行かない選択をしたこどもたちのさらなる選択肢のため&サポートしてくれた方も私たちも、めぐりめぐって、お互いが幸せになる遣い方したいと思います!