こどもたちが、地域資源を開拓する。~地域資源として、活用される〈私〉を組み立てて行く。~
地域資源とは・・・・地域資源とは、自然資源のほか、特定の地域に存在する特徴的なものを資源として活用可能な物と捉え、人的・人文的な資源をも含む広義の総称。
先日、長男がトランペットのレッスンに行く際にお金を落とし、たくさんの方にお世話になった話を書いた。
それを、友人に話すと、彼女は、「K(長男)は、地域資源を利用して、開発しているよね。彼の行動で、地域の人たちの持っている能力も、引き出される。そういう子どもたちが、あちこちにいたら、自然に、地域と子どもたちが繋がっていけるよね。」と。
彼女は不登校の子どもの居場所をつくっている。
長男は、ときどき、その居場所にも顔を出すこともあるが、今は、他にやることがあるからと、ご無沙汰している。
もっぱら、最近の長男の行き先は、近所の公共施設だ。生き物を扱うその施設に、生き物調査で知り合った方がたまたま勤務している場所であることもあり、ちょくちょく行くようになった。
学校のある平日の昼間にやってくる小学生。
きっと、はじめは職員の人も不思議に思ったことだろう。
でも、「学校は?」と聞かれたことはないそうだ。
もう少し年齢が高いとボランティア登録をして、作業を手伝うこともできるそうなのだが、彼の年齢はまだ及ばない。
そんなことは、何処吹く風。
彼は、ほぼ毎日、足を運び、わからない生き物のことを職員の人に質問し、教えてもらう。
そんな日々が繰り返されていたある日、帰宅した長男が、「今日、びっくりしたことがあるんだよ。」と切り出した。普段、あまり驚かないタイプの長男。はて?なにか困ったことでもあったろうか?と思って聞いてみると・・・
「今日ね、事務室に自分の荷物掛けができてた。名札もついてて、<Kちゃん>って書いてあったよ。」
なんと。
職員の事務室に、長男の荷物掛けを作っていただいたと。
母の予想としては・・・
いつも、リュックや虫籠、虫網など大量の荷物で出かける→重たいので、施設のベンチに置き去りにする。→盗難なども心配だし、他のお客さんの座る場所がなくなる。→いつも来るし、荷物掛け、作ろうかね~。
とか考えていただいたのだろうかなぁ・・・。何にしても、ありがたい。
公共の施設にも関わらず、「上に確認しないと」とか、「前例がないから」とかではなく、フレキシブルな対応をしてくださって、本当に頭が下がる。
出来ないではなく、いつもやってくる、目の前に居る子どもの姿から、「あったらいいよね。」と思ってくれたのだろう。
私が、施設に伺った際に荷物掛けについて、お礼を言ったところ、職員の方は、笑いながら、こう言ってくださった。
「みんな、Kちゃんに期待してるんですよ。」
ここでいう〈期待〉とは、おそらく、次世代に対する希望、みたいなものなのかな、と感じた。
これから生きていく未来の世界を楽しく切り拓いてれるだろう力をもっている子どもたちへの期待。
そんな話も知っていた友人は、
「Kみたいな子どもが、大人の持っている能力も引き出すよね。質問されたら嬉しいし、自分の知っていることがアウトプットされて、子どもも喜んで。きっと、Kが大きくなって来なくなっても、また同じように訪れる子どもがいたら、〈あ、またKちゃんみたいな子がきたな〉って、免疫ができているから、受け入れる体制が自然にできてる。それって、地域が自然と子どもたちと繋がっていけるってことだよね。そういう子どもが色々なところで、地域資源として、場や人を活用したり、開拓していったら、いいよねぇ。」
国や自治体が「地域とのつながりを大切にしましょう。」と打ち出しても、実際どうしたら、そうなるの?と、わかりにくい気がする。
仮に、誰かのお膳立てで「交流の場」がつくられたり、発生したとしても、受け身になりやすいし、横のつながりにはなりにくく、「教えてあげる」「教えてもらう」の構図にもなりがちかもしれない。
その場限り、となってしまうことも多いだろう。お膳立ては必要ない、悪い、ということではなく、単なるきっかけとしての「お膳立てのその先」にどう繋がっていくのか、なのだ。
実際に、長男は、地域の方々に色々なことを、教えてもらっている。
でも、そこには、「知りたい」という自発的な気持ちがあり、相手がそれに自発的に応じてくれている、という構図がある。一方が受け身でない関係。自発的な関係。
長男が自分の〈居場所〉を自分で増やしていくたびに、ちょっとずつ地域や人の持っている能力が引き出されたり、開発されたりしているとしたら、それはとても面白いことだ。
彼は、近所のおばあちゃんたちの家にも訪問し、革細工を教わったり、山菜の場所を教わっている。
ある時は、生き物の調査で通りかかる家のおじいちゃんと挨拶を交わすようになり、カブトムシの幼虫をもらってくる。
またある時は、近所で畑をやっている高齢のご夫婦と知り合いになり、「カエルの餌のミミズをKちゃんという子に届けたい!」と、わざわざ我が家の場所を近所で訪ね聞いて探し、玄関先に、置き手紙と共にミミズを届けてくださったこともあった。この時は、ミミズだけでなく、野菜までいただいてしまった。
私が知らないところで、彼の交友?関係は広がっている。
これは、大人(親)の目が届かない良さかもしれないと思っている。大人を介さず、彼、個人が地域で人との関わりをつくっている。
これから、彼がどんな風に自分の周りを開拓していくのか、どんな人と知り合い、どんな関係を築いていくのか、とても興味深い。
面白くて仕方がないのだが、彼の邪魔にならないように、なるべく、そっと、薄目を開け、それを垣間見られたらいいなと思っている。
私は、大人側として、慌てず、急がず、〈大人が無理に子どもにお膳立てするものではないほうが、いいのではないか〉ということを日々、心に留めておきたいと思っている。
草の根的で、きっと時間がかかるし、大きな波となっていくことではないかもしれない。
むしろ、大きな波でない方がいいのかもしれない。
大きな波は、一気に知らせ、伝えるという点では、とても有効だろう。
本当に必要であれば、どんなことも、根付いていくのだろうが、大きな変化が急にやってくると、揺り戻しも大きい。
ちょっとずつ、ちょっとずつ、気がついたらそういう流れになっていた、というのが、無理なく広がり、続く秘訣のような気がしている。
まずは、〈自分で地域資源を開発していく子どもの存在に大人が気づくこと。〉が始まりではないだろうか、と思っている。
そして、そんな子どもたちが自分の元を訪れたときに、〈地域資源としての自分〉という人材が、十分に活用されるように、自分の引き出しを増やしておきたい。その時の為に、私の引き出しをどんどん増やしていきたい。
あなた達の然るべきタイミングで、「私」という地域資源を、十分使い切ってくださいね!こどもたち!