漫画みたいな毎日。「またいつか、ふたりに戻る日には。」
朝イチで、宅配便を営業所に持ち込み発送をした。今は、スマホで発送の予約登録が出来るそうで、その方が送料がお得になる。さらに営業所に持ち込めば、更にお得になる。荷物が届く際も登録しているメールアドレスに、「お荷物到着予定」の連絡が来るし、受け取りの都合が悪ければ、ネットで受け取り日時を変更できる。
なんとも便利な時代である。
私が子どもの頃は、「時間配達指定」どころが、「配達日指定」など出来た記憶がない。再配達というものも、いつから出来たのだろう。不在時に届いた荷物は、「205号室の〇〇さんにお預かりいただきました」と通知が入っていた。
「荷物預かっていただいて、ありがとうございます。」と受け取りにいったり、ご近所のお荷物を預かることもあった。受け取りに行くのが面倒に感じることもあったが、ご近所さんと顔見知りで、「お互い様だから」という関係の上に成り立っていたのだなぁ、と思い出していた。
何を注文し、何処から、誰から届きたものなのか、荷物の内容も明らかになる。今では成り立たない形態だろう。今の時代では考えにくい形態。
どちらが良い悪いではなく、そんな時代もあったね、と思うのだ。
脳内BGMは中島みゆきの「時代」である。
配達業者の営業所の場所が曖昧だったことと、駐車場が狭いと停めにくいかも、と夫に一緒に来てもらう。子どもたち3人は、「行ってきていいよ。」「留守番できるから。」と、留守番をかって出てくれたので、たまにはと二人で出掛けることになった。
「こっちのがスムーズなんだよね。」と私が考えていた道とは別の道から向かう。両脇に公園があり、道路を囲むように紅葉が綺麗だ。思いがけず、紅葉ドライブだ。子どもたちの居ない車内は静かだ。小さい声で話をしても、ちゃんと聴き取れる。不思議だなぁ、と思うけれど、13年程前は、このような状況が日常だったのだ。
家に居ると夫の会話がスムーズに行かないことは多い。子どもたちの会話に遮られたり、喧嘩が勃発したり、何か用事で呼ばれたり。まぁ、賑やかである。静かなのは、子どもたちが眠りに就いて、目覚めるまでの間。
スーパーで買い物をする前に、夫と二人でコメダ珈琲のモーニングにでも寄ろうということになり、モーニング終了時間の間際に滑り込む。
のんびりとディカフェのカフェオレを飲みながら、目の前のこと以外の話をする。
日常の中では、ついつい目の前の出来事に心を傾けがちであり、そのことに必死にさけなっているのかもしれない。
たまには、こうしてもう少し先の景色の話をする時間が、日々の慌ただしさの乗り越えるエネルギーになる気がする。
10年後には、きっと、夫と二人の生活になっていくだろう。
その時に一緒に飲むお茶は、どんな味わいだろう。
お互いにどんな景色を眺め、その先に何を見出しているのだろうか。
何にしても、あたたかいお茶を飲み、ケーキでも食べながら、「美味しいね。」と共に笑っていられたらいいなと思う。
学校に行かない選択をしたこどもたちのさらなる選択肢のため&サポートしてくれた方も私たちも、めぐりめぐって、お互いが幸せになる遣い方したいと思います!