群青の火が点くように
『イマジナシオン』の帯には、歌人の山田航から「短歌が魔法だったことを思い出してしまう」というコメントが寄せられている。toron*のつくる短歌を、現実を変形させる魔法として捉えるならば、上記の作品がこの本のなかで最もうつくしい魔法だと思う。直喩によって最短距離を走ってくる魔法。いまから飛び立つ子どもたちへ向けて、卒業式にて弾かれる校歌。彼らの未来や、未来に向かっていく身体や心を飾る比喩として、なんとあざやかな言葉だろう。
ぼくが短歌をはじめたとき、最初に手に取ったのは『短歌タイムカプセル』という書籍だった。現代短歌作家の名歌をあつめたアンソロジーで、ぼくの短歌との関わりはそこからはじまっている。短歌を読み始めたばかりの頃から、載っている好きな作品を友だちに薦めていたりした。そのときによく使っていた推薦文は、「景色が変わってしまう」というものだった。短歌の短さも相まって「(一瞬で/一読で)目の前の世界を変えてくれる」というふうに語られやすく、自分もそのように短歌を評価し、ほかの人に薦めていた。
ところが、時間が経つと、短歌の魅力はそれだけではないことに気づく。写生や、捩れ、トートロジー、ぐっと立ち止まって読まされる作品がある。速度や比喩だけが短歌の強さではない。
だからこそ、"思い出してしまう"というフレーズが来る。toron*の短歌は、短歌を読む人なら誰もが通ってきた、とびっきりの比喩の、その力を思い出させてくれる。三十一音の中にある距離が、「ああ、比喩は短歌の大きな魅力なのだ」と思わせてくれるのだ。
そして『イマジナシオン』の性格として、外を向いている短歌が多い。自分の内面、というよりは、外の世界のことを詠っている。そして、自分を詠った作品よりも、外向きの作品にこそ光るものがあるように感じている。
上記は、歌集のなかでも特に好きな一首。きみへ向けられた目線。近づいてくるごとに、私の感情の高まりに呼応するかのごとく「きみ」が徐々に光を増していく。歌集をひらくたび、この作品に出会えることにワクワクしてしまう自分がいる。
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短歌には「立っている」という形容がある。「一首で立つ」「一首が立っている」というふうな。明瞭な景や感情が含まれて、一首だけでも多くの人の鑑賞に堪える作品。
短い詩形のなかに、とっておきの魔法を仕込んだtoron*の作品たちは、文脈から取り出したとしても、遠くへと飛んでいく強さをそなえている。まさに一首一首が立ち上がって、それぞれが世界を背負うのだ。
《群青の火が点くように起立するきみらに最後の校歌を弾くよ》、歌集も終わりが近い132ページにて、この歌にふたたび辿り着いた。歌集の最終盤に屹立するこの歌は、本に収まる形で作者の手を離れて立ち上がった短歌たちへ向けた、祝福のようにも聞こえてくる。
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