子どもという名のトリガー
実家の祖母がまたもや、薬に頼っている。
これといった基礎疾患がなく、あるとすれば高血圧くらいなのに、どういうわけか長年大量に処方されていた薬。新しいお医者さんが赴任してせっかく減らしてもらったのに、夕方の分を増やしてもらったらしい。
「飲んでる方が体調良い気がして」年々子どものように頑固になっていく祖母が、医学のプロ中のプロに粘り勝ちした瞬間だ。
彼女がよく訴えるのは「足が痛い」「頭が重い」の2つ。運動しろ、水分を摂れと父が何度言い聞かせてもどこ吹く風。仕事をすることで自然と身体を動かしていた祖母には、昔から運動習慣がない。そしてなぜか水分も嫌いだ。だから不調の原因を、何か病気があるのではと自分の内側に求める。
話し相手がおらず、家族にかまってもらいたいという気持ちは多かれ少なかれあるだろう。そんな祖母に対して「『仕事』と『子ども』以外になにか大事なものがあればな」と、私はいつも思ってしまう。
祖母たちが若かった頃は、人の運命が真っ黒く塗りつぶされた時代だった。戦争によって。
モノやお金、人生の選択肢すべてが乏しいと、働いて子どもを産み育てるしかない。あれをやってみたい、こう生きていきたいと希望を見つけても、「しょうがない」と切り捨てることしかできなかったのだと思う。
だから、祖母が運動の大切さを知らないのは、自己責任と言い切れない。水分を摂らないのもこれといった趣味がないのも、ある意味しょうがない。日本がまだ戦争に巻き込まれていない今を生きる私たちには、なかなか理解しがたいことだけれど、あの世代にはどうしようもない「しょうがなさ」があるのだ。
さて、令和6年。女性だって管理職になれる時代。寿退社なんてもはや死語で、子どもが生まれても働き続けることが昔に比べたら楽にできるようになった。祖母が今の時代に生まれていたら、全然違った人生になっただろう。
それでも私の周りには、家事と子育てでずっと家にいる女性がいる。そうなることを望む女性もいる。もちろん仕事を続けている女性もいれば、独身もいる。
他人の生き方を否定するつもりはない。抱える事情はそれぞれ違うのだから、どんな生き方をしても正解だ。その人がその人らしく自由を感じられれば良いのだ。
でも、と思う。家庭の収入がどんなに安定していても、毎日ずっと家にいてずっと子どもと一緒にいるのは、本当に幸せだろうかと。その時は幸せを噛み締めていたとしても、必ずくる未来が不安になりはしないかと。
必ずくる未来。それは「子どもの巣立ち」「夫の老い」「自分の老い」だ。
何が言いたいかというと、夫がどんなに高収入でも自分の食い扶持を夫だけに全振りするのはリスキーだし、自分の人生を子どもに全振りするというのはもっとリスキーだ、ということ。さらに厳しく言えば、働き方も楽しいことも色々な選択肢があって、世の中は見たことも聞いたこともないモノで溢れているというのに、自分の人生を狭めていたらいつかきっと後悔するだろう、ということだ。
「子どもを育てる大変さがわからないからそんなこと言えるんでしょう」と反論が聞こえてきそう。確かにそれはある。子育ては私の想像の100倍は大変だ(←確定事項だから語尾が「〜だろう」にはならない)。
だからこそ、外に出て働いてほしい。家にいながらできる仕事をしてほしい。そうでなくても、家庭を越えた外になにかの役割をもつ。そうすればほんの一瞬でも、親という大変な役割から逃げることができるでしょう?働くことだってストレスフルだけれど、子育てに耐えられる人は働くことだってできると私は信じたいのです。
「日本の若い女性は、子どもだけになっちゃう人生とか推し活だけになっちゃうのが怖いことだって、もっとわかってほしい」祖母の話を母と電話でしていたら、いつの間にかどこぞの政治家みたいな口調になっていた。これが私の本心なのは確かだけど、なんか偉そうだなって自分でも思った。
熱く語るのは羨ましさの裏返し。「愛する人の子どもを育てたかった」今でもその想いは、私の中で淡く光っている。
「子どもだけが人生のトリガーではない」と伝えたくて書いたこのnoteの引き金は、彼の子どもに会いたかったという気持ちに他ならない。
ここまで書いて、私は弱い人間だと思った。そして同時に、書くことで自分の弱さを受け入れられる、とも思った。
「これをしている時は、自分の弱さを受け入れられる」あなたにそう思える大切な何かがあるのなら、それは歳を取っても続けられることなのかもしれない。
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