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だからあなたも生き抜いて【事実婚したい理由】

なんとなく本をめくると、ある一行が光っていた。

自分から進んで探しに行ったのではなく、本が勝手に語りかけてくるあの瞬間。私のために書いてくれたと信じたくなるほど嬉しい一瞬、文字が迫ってくる感覚を知ってしまったら、もう後戻りはできない。そうやって私は読書を好きになった。

大勢の人に憎まれるよりも、愛するひとりの男に「困った女だ」と思われることの方が辛い」鎌倉時代、武士よりも誰よりも志が強すぎて何度も迫害を受けたとある人物が、私の悩みをたった一言にまとめてしまった。

その方の名前を挙げたいけれど、いかんせん偏見や間違った解釈をされがちな方なのでやめておく。私のnoteはできる限り色々な人に読んでもらいたい。個人的な思想のおかげで、ここに書いてある内容まで毛嫌いされては困るのだ。

別れに踏み切ろうとしていたあの時期、彼はずっと困った顔をしていた。怒っているけど不安げで、どうしたらいいか戸惑うような。信じてた女はどうしようもないやつだったのかなって顔。

もちろん、私だって困り続けてたよってこちらの言い分もある。全部自分が悪かったと言い切れるほど私はお人好しではない。ガガ様いわく『Born This Way』少々気が強く生まれてきたのだから、相手の悪い部分からも目を逸らさない。

でも間違いないのは、彼に変わってもらう、成長してもらうという彼任せの人生では彼を、そして私自身をも幸せにしないということだ。

人生の主人公は自分。それは自己中心的な「困った女」とは真逆の生き方。たったひとつの私の物語で主人公であり続けるために、たった今から「いい女」でいようとすること。型にはまったいい女になるのはつまらないから、少々尖っていこうと思う。


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事実婚についての考えを自分なりにまとめる中で「あれ、私はそもそもなぜ事実婚したかったっけ?」とわからなくなってきたので、今日はそれを書こうと思う。

事実婚したい理由はいくつかあって、「〜だからだよな」と頭の中で時々振り返ってはいたのだけど、掘り下げて向き合ってみないと本当にそれが理由なのかはわからない。内面を淡々と文章にして、自分を一歩引いたところから眺められればと思う。以下、理由をひとつずつ説明していく。


①名字を変えたくない

生まれ持った名字が好き。名字と名前を書いた時の絶妙なバランスと、読んだ時の音が好き。画数まで気にして付けてもらった名前、ただただ気に入ってる(仕事と人間関係に苦労する運勢っぽいけど 笑)。ちなみに元婚約者の名字になったら、くさかんむりが2つ連続になっちゃうのが少し不満だった。

入籍日が決まり、今の名字でいられるのもあと何日か……と考えると、なぜか後ろ髪を引かれるような気持ちだった。結婚したからといって距離ができるわけでもないのに、実家の家族から離れてしまうんだなという寂しさ。「それを乗り越えてこその結婚、愛でしょう」とガチガチ法律婚肯定派に怒られたとしても、はにゃ?って感じ。片方の我慢から生まれる愛って何?それってほんとの愛ですか?それならなんで一方(多くは女性)だけが乗り越えなきゃいけないんですか?まじで。

②嫁になりたくない

夫の実家家族に上手に気を回して、頻繁に会って気を遣って気に入られるように……それは私の「気」持ちではない。嫁としての責任を果たすとか私は無理かもと思う。そんなことしてたら疲弊して、自分のやりたいことができなくなる。

そもそも「嫁」という字が嫌いだ。結婚=家の女になるって時代錯誤も甚だしい価値観そのものを表してる。今でも平気で嫁って言う人たちは、その意味をちゃんとわかって使っているのだろうか。

夫の妻になるだけ。その家の女になるのではない。

これはポリシーとしてブレずにいきたい。この先どんな人に出会おうとも、どんな出来事が待ち構えていようとも。

もちろんある程度の夫家族との交流は大事だ。私が夫に出会えたのは夫側の家族のお陰だし、生まれてくる子どもには親戚がいる賑やかさを体験してほしいから。

そのためには(向こうの家族がどんな人間たちかにもよるけれど)「私はここまではできるけどこれ以上はできないよ」という境界線をはっきりさせて、ちゃんと夫に説明して納得してもらいたい。実家に行く頻度とか、冠婚葬祭・お盆お正月はどうするかとか、お互いの親の老後はどうするかとか。

③でも、子どもが欲しい

さてさて、どうしたものか。①②ときて子どもが欲しいとは。
これを書いている今もまだ、わがままなんじゃないかと正直思ってしまう。結婚(法律婚)してから子どもをもつものだと信じ込んでいる(洗脳されている)人はきっと多いし、特に私の親世代はそうだろうなと。

私だってそうだった。実は元婚約者と付き合っていた頃、事実婚もいいかなと話題に出たことがあった。でも当時は法律婚しないと子どもをもてないものだと洗脳されていたので「子どもほしいなら結婚だよね」で終わらせてしまったのだ(あの時もっと話していれば、もっと調べていれば……と、たらればに期待してしまうが、たぶん遅かれ早かれ別れていただろうな 笑)。

自分の子どもが欲しい、相手の子どもを産みたいという人間として持って当たり前の純粋な欲望は、結婚制度に縛られなくても良い。フランスの制度が日本にそのまま合うとは思わない。でも本当に若者たちに子どもをじゃんじゃん産んで欲しいのなら、VUCAの時代に自らを適応させようと必死に生きる若者に合った結婚制度に、国は見直して行くべきなのだ。

事実婚で子どもありの事例を本で読んでみると、子育てで困ることはほとんどないと書かれている事例がいくつもあった。先駆者の存在は何よりも心強い。事実婚の経緯や子育ての実際など、皆それぞれ十人十色。誰かのやり方がそのまま自分に当てはまるというものではないから、続く人々にとってパターンは多ければ多いほど良い。いつか私も、その中に。

④「皆◯◯してるから私もしなきゃ」精神が大嫌い

思春期くらいから「みんなと一緒」が嫌になった。急にクラスの皆が幼くなり私だけ大人の冷めた目で見つめる日々だった。

周りと違う自分で生まれたことは恵まれたことだが、かなりしんどくもある。強制的に置かれた世界で生きていくには自分を押し殺して皆に合わせるか、孤独につき進むしかないからだ。どちらを選んでも苦しい。皆に合わせるのとひとりになるのとバランスを取れるほど器用じゃないし、それが許されるほど思春期の世界は甘くない。

社会に敷かれた幸せのレールに身を委ねること、「ゼ◯シィからのた◯ひよ」的なステップアップに私は憧れていた。入籍、結婚式、同居、妊娠、子育て――ありきたりな幸せを欲した自分。「らしくなかった」今ならそう思う。

「結婚する人増えてきたし、そろそろ……」
「親に孫の顔を見せてあげないと」
こんな理由でぼんやり勢いで結婚するのは嫌だ。結婚や孫が目的なんじゃない。パートナーと共に2人だけの世界(字面通り“だけ”ではない。2人にしか作れない世界という意味)を作ること。現代人がパートナーを求める理由にそれ以上も以下もあるだろうか。

一番大事なのは妻と夫、二人の関係。「周りと同じような人生を歩みたい」という願望はきっと人間本来のもの。無意識に刷り込まれてるというか、生存本能のひとつでもあるだろう。

本能を越えて、私らしいパートナーシップを目指したい。

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「もし仮に元婚約者とやり直すのなら入籍はしないだろう」こう思ったのがきっかけとなって事実婚について学び始めた。嫁になりたくない理由にも関わってくることだが私と彼だけの事情ではない色々な事情もあり、婚約破棄となった。まあそれも全部ひっくるめて、手を取り合い寄り添って困難を乗り越えられなかった私と彼2人の関係性の問題といった方が潔いのだが、どうもそうとは言い切れない。

そんな人縁がなかったのだからやめておけ、というのはもっともな意見だろう。

でも、入籍しての結婚にあわなかったとしても一緒に生活し子供を育てていくことに向いている2人かもしれないじゃないか。事情が事情だからと諦めさせてしまう結婚制度なら、そんなの私は使いたくないしほかの道を探してみたい。


どれほど論理的でひろゆきに匹敵するほどの論破王(それは最早ひろゆきでは)に、あなたは間違っていると言われても、家族や友人にやめておいたほうがいいと言われても、私は私の道を行く。

そう決めてしまえば、不思議と何も怖くない。元婚約者とこれからどうなっていくかわからない怖さを除いてだが。

こんなに諦めの悪い私だって、今日も生きてる。
だからあなたも生き抜いて。




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