承認欲求から始まるnoteという習慣
なんでnoteを書き始めたのかは、今ではよく覚えていない。たぶん趣味のことで記事を書いて、承認欲求を満たしたかったというだけだと思う。そんな欲望はいまや習慣になって、意外と生活をより良いものにしてくれていると思っている。
noteを書き始める時、それは書きたいことがあったわけなので、記事を書くのもスラスラだった。でもそれが習慣化すると、徐々に書くネタがなくなっていく。それでも記事を書いて承認欲求を満たしたいスナガガはネタを求めて生活していくことになる。そんなある種noteに縛られたような生活が、意外と良い。
noteを始める前のスナガガは行きたいイベントややりたいゲーム、観たい映画などがあっても、休日を無駄にだらだら過ごし、それほど興味のナイYoutubeを意味もなく眺めているうちに休日が終わってしまうなんてことも結構あった。友達と遊ぶ約束をしたのに当日になって面倒くさくなる、あの感じだ。
noteを始めてからこういうダラダラが減ったように感じる。なんとなくゲームをするんじゃなくて、新しい発見を求めてカードゲームをしてみたり、ただプラモデルを作るんじゃなくて前回よりも一歩何か新しいことに挑戦して作ってみようと思ったり、今まで行ったことのないところに行ってみようと思ったり、新しい本を読んでみたり。
はたから見たらnote中心でnoteによって操られているような生活に見えるかもしれないが、それでいい。元々やりたいと思っていたことをやっているだけで、それへの取り組みの手数が増えているだけだ。それでも書きたいことが尽きないというのはまだまだやりたいことがスナガガのなかにたくさんあるからなのだろう。
そしてそんな承認欲求から始まったスナガガの習慣は、いつしか自分の体験、軌跡、思い出を残したいという気持ちに変わっていた。やりたいことをたくさんやって、自分という唯一の視点から記録を残したいという感情へと変化したのだ。
きっとこれからのスナガガも、マジック:ザ・ギャザリングで有名になったり、作ったプラモデルが表彰されることもないだろうし、文章力が劇的に上がることもないだろう。もとより特に期待もしていない。それでもただやりたいことをやるために、今日もスナガガはnoteを書く習慣をやめずにいる。