「お手伝い」の本当の目的
冬休みに入って早一週間が過ぎようとしています。今年の我が家は、家族みんなで主人の実家に帰省しています。おじいちゃん・おばあちゃんのお家でいつも以上にのびのび過ごしている子どもたち。親として気になるのは宿題ですが、今年は自分たちでペースややり方を考えてやると言っていたので基本おまかせ。兄妹それぞれで性格の違いも出ていて、見守っていて発見がいっぱいです。
その宿題の一つに"お手伝い”という文字が並んでいます。前に夏休みの後の懇談会で親同士がフリートークする時間を担任の先生が与えてくれたことがあります。その時話したのも「お手伝い」について。ほかの保護者の方のお子さんの様子を聴いているとフムフムと思うことがあったり、なるほど~!と新しい発見があったり、その点は我が家と違うなという点も見えてきたり、とたくさんの気づきがあったことを思い出します。
どの家庭でも割と困っていることとして出てくるのが「お手伝いをしてくれない」いうトピック。わかる、わかる~!と思って聴いています。
やってくれない・・・という方のお話を掘り下げていくと、
声をかけないとやらない
同じお手伝いが定着しない
やり方が雑(に見えて)口出ししてしまう
といったことがありそうです。我が家も、あるあるで特に口出ししてしまうはご法度と思いつつもやってしまっていた失敗案件でした。
失敗を失敗で終わらせないように気を付けている私がその時したこと。
「お手伝いってそもそも何のためにしているの?」
と改めて目的を考えてみました。
私は、アドラー心理学の教えで子育ての目標を知り、普段そこに向かうように工夫しながらの子育てを心がけています。お手伝いも同じでそこに向かうように子どもと接することが大切だと教えてもらったのです。
お手伝いをすることによって得られるものって、
「私は(ぼくは)、お手伝いをすることによって、人の役に立つチカラ(能力)があるんだ」って思えること。
「家族はみんな私の(ぼくの)仲間だから、仲間のためにみんなが気持ちよく過ごせたら、みんなのためになったらいいな」って思えること。
そういう心を育てていきたい。
そう思うと「声をかけないとやらない」とか「同じお手伝いが定着しない」っていうのは、子ども自身「やらされている」と思っているかも。「そのお手伝いをすることによって誰かが助かっている、誰かのためになっている」と思えていないのかも。
「やり方が雑(に見えて)口出ししてしまう」ことによって自分は「人のためになるチカラ(能力)がない」とおもってしまっている、かも。
なんていう可能性が浮上してきます。そんな風に思ってしまっていたとしたら本末転倒です。
「私は(ぼくは)、お手伝いをすることによって、人の役に立つチカラ(能力)があるんだ」
「家族はみんな私の(ぼくの)仲間だから、仲間のためにみんなが気持ちよく過ごせたら、みんなのためになったらいいな」
あなたがいることでどれだけ助かっているか。
あなたはここにいていいんだよ。
あなたの居場所はここにあるよ。
あなたのチカラはみんなのためにこんなに役立っているよ。
そんなことをお手伝いを通して伝えられたら、とっても素敵だなぁと思います。
じゃあどうやって伝えていこうかな?
子どもと話し合うこと。
彼の彼女のチカラ(能力)ってどんなものがあるかなって考えること。
やってみて続かなかったり難しそうだったらそれはいまのその子には合っていないということ、無理にそのお手伝いに固執せず違うものにサクッと変えてみる。そんな、軽やかさもとっても大切だなって思います。
自分のことを大切にするのは大前提として。
そのうえで、自分一人のためではなくて、社会やほかの人のためにも自分のチカラを使って生きる人に育ってほしいと私は思います。
「お手伝い」はそれを親子間で伝えていく「ツール」。
この冬休みはとっても良い機会となり得る、かな?
試行錯誤の毎日です。
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