2020.0824
事の大小は置いといて
人が不幸な目にあった時
誰かがそれに対してフォローしてたり
励ましてたりするのを見ると
優しい人間多いな平和だなと思う反面
後々になってから
自分はこうやって 誰かにフォローされることも
励まされることも 慰められることもないし
特にその不幸の種が
"醜い誰か"の嫉妬からくるものであるなら
尚更周りの環境に恵まれたその人が憎くなる
自分が幸せな人を見て憎悪が湧くのはこれが理由
とは言っても その人のもとに
勝手に人が集まって来たわけじゃなく
その人にしかない才能や努力や人柄のお陰でありそこに別の誰かが入れるわけもないし
入れたとしても入るべきじゃない
だから 自分が嫉妬する必要も
惨めに感じる必要も 劣等感を抱く必要もない
だけど そんなことくらい
自分が一番分かってるんだよなあ
確かに嫉妬からくる障害は醜い
でも 自分に至っては 寧ろ
その"醜い誰か"側の人間だから
その人がやった事に対して
否定する資格も 肯定する資格もない
人と比較して生きるのが当たり前になった
もう今更どうすることもできないし
"気にしない"で済むならとっくにしてる
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"幸せな人間が憎い"とは言うけど
実際 自分も"幸せな人間"の部類だと思う
幸せの価値観は人によって違うけど
自分を知る人間から見たらどこが不幸なの?と
思われるくらいには幸せな人間に見られてるはず
だから自分もそうでなきゃならないと思う
目に見えるもの全てをそのまま受け取ったって
無意味なことは分かってる
それが全てでないことも分かってる
正直自分が一番分かってる
けどそうやって妥協しないと無理になった
誰かを恨み憎むことでしか
自分を保てなくなった
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ここ一週間 いや二週間
実際のところ希死念慮は無かった
ただずっと気分が沈んで
惨めだ屑だなんだ思ってた
今日は死にたい
死にたいときの文章って
頭の中にネガティブな言葉だけが
ずっと流れてるせいで
脈略も何も無く 後から見ると何が言いたいのか
よく分からない文章になってるから
本当は書きたくないというか いや我慢できない
からここに書くって決めたし 書きたいけど
見返して余計死にたくもなるから 惨めすぎて
今日はまだ軽いから