見出し画像

初心者を保護できないなら衰退する

誰しも自分の好きな物が爆裂大批判されていたら反感を覚えるものだと思うけど、Amazonでとある新人漫画家の描いている私の大好きな漫画作品がその道のプロと思しき人々から大批判されていた。
少しそこから「初心者を保護できない業界はいずれ滅びる」という事を考える。

最初は全員クソ

基本的に誰しも初心者から始める。
後にノーベル文学賞を取る作家だって最初はクソみたいな文章を書き殴る事から始めるし、同じ事はどんな業界のどんな初心者にもほぼ成立する。
ペンを手に取った時からサラサラと文学の歴史を変えるような名文を書ける奴は存在しないのだ。

初心者を育てるから成立する

世の中には何故様々な分野の様々な産業が存在しているのだろうか?
…とか言い出すとバカみたいな話だけども、巨大な製造機械や製造装置を前にして初めから完璧な製造オペレーションができる奴は居ない。
最初は色々なミスをして、それで先輩や上司に怒られたりしながら必死で学んでいくからできるようになるのだ。

従って、理論上「最初から完全即戦力」みたいな人材はこの世に存在しない。
サッカー未経験者がサッカーチームに入って、最初の試合からゴール決めまくりのエースストライカーになっちゃうようだったらそもそもサッカーなんて競技は成立しない可能性の方が高い。
誰しも最初はごく基礎的な練習から始めて身体に動きを叩き込み、技術や方法を色々な形で学びながら少しずつ上達してゆくのである。

ある意味、「誰しも最初はド下手糞」であることがこの世の様々な技能を技能足らしめていると言ってよい。
技能とは徐々に習熟し熟達してゆくものなので、最初はみんな初心者である事が構造的に最も重要な意味を持っていると言っても良いと思う。

初心者保護の重要性

そこで例えば「初心者を保護する」という事の必要性が出てくる。
新入社員として企業に入って、まだ右も左も分からない状態の新人をちゃんと保護し、適切に教育できるかどうかという事は、その企業・事業が将来的に成長するかどうかを左右する重大事である。

これは企業活動のみならずスポーツにも、クリエイティブな仕事にも適用できる話だと思う。
中学生のサッカーチームやユースクラブが存在しなければJリーガーを育成する事は不可能であるし、登竜門として適切な文学賞が用意されていて仕事の早い出版社や腕の良い編集者が居なければ作家が優れた文学作品を発表する事も少なくなっていくだろう。

初心者狩りの存在

何でなのかよく分からないが、世の中には一定の割合で初心者の保護をガン無視して、寧ろ初心者狩りをしようとする人間がいる。
新入社員は奴隷だからこき使い倒せと主張する企業の人々に始まり、よりクリエイティブな業界に行っても「新人の作品など語るに値しない」とハナから切って捨てるような態度をとる人がいる。

本当にそれで良いんだろうか?
初心者・新人・新顔は問答無用に奴隷で、年功序列社会における最下層の人員という事で良いんだろうか?
私にはよく分からないのは、そういう態度を取り続けた結果として日本では多くの業界が衰退したのではないのか?
何故彼らにはそれが分からないのか?

丁稚奉公の奴隷化教育システム

思うに、日本の産業構造は若者を含む初心者・入門者を修行と称して奴隷化する事で成立している側面が少なからず存在しているのではないか
「若い内は何でもやると良い」とは対偶を取れば「言いつけられたことは何でもやる便利な若手以外は死ね」という事でもある訳で、それが教育として成立している内はまだ良いとしても、お茶汲みやらコピー取りに張り付いている若手がそれで何かの経験を得られるとはとても思えない。

ある意味昔はそれが正しかった。
寿司職人を目指したところで、最初の何年かは魚に触らせてもらうことも無く丁稚奉公の坊主として色々な雑用をやって、初めてそれから訓練が始まるのだ。
その段取りを踏襲しているという意味では新人や若手を虐め倒して奴隷化するという現行のシステムは日本の古式ゆかしい職能教育システムをそのまま引き継いでいるだけの話なのである。

けど、それで本当にここからの時代生きて行けるか?
私が問いたいのはそこである。

奴隷化教育の速度論的限界

今やどんな分野で生きていくとしても、一つの分野だけに知識が偏った専門職人になると食っていけるかどうかかなり怪しい。
世の中の変化が速すぎて、自分の仕事すらも変わってしまう・消滅してしまう可能性があるためである。

だから生き残ろうと思ったら必然的に一つの技能に素早く習熟して、次から次へと色々な技能で熟達して行ってネクシャリストにならなくてはならない。

その時に、新人・若手をこき使って奴隷化する現在の産業人材構造だと、恐らく数十年後に膨大な数の失業者を出して社会が大破綻するだけである。
だって、一番学習能力の高い若い時代をスキルも知識も身につかないような奴隷ワークで浪費しているのだから、当然知識力やスキル的に将来必ず足りなくなってしまう。

で真に問題なのは、そういった土台となる基礎能力が身に付けられないまま年齢を重ねてしまうと、自分の経験・スキルから新しい事を発想して実践してゆく能力が顕著に低下してしまうという事である。
(これが現代の日本企業で発生している停滞現象の実態であると私は思うけど、どうしてそれが人々には理解できないのか?)

AIに仕事を奪われたまま取り返す事もままならない人間が大量生産されてしまうのである。こうして業界が衰退し、社会が衰退するという流れが出来上がって行ってしまう。
現在の日本の人材育成体制は、明らかに世界の「速度」に追いつけないのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?