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HSPの私が「HSPブームの功罪を問う」を読んだ感想

こんばんは、すみれです。

今回は「HSPブームの功罪を問う」を読んだ感想を話します。


HSPブームの功と罪

著者の飯村周平さんは世のHSPブームに対して「功」と「罪」があることを示し、特に「罪」について3つの観点で話しています。功罪について以下にまとめました。

功(良い側面)

HSPという言葉が広まったことでそれまでの生きづらさが腑に落ちたり、名前が与えられたことで安心する人々が存在すること

罪(悪い側面)

①「私はHSPだから」という謝った自己理解をすることで、本当は支援が必要なのに適切な支援が受けられない人が出てしまうこと

②HSPを名乗る人をターゲットにした科学的根拠のない医療を高額で提供するクリニック、マルチ商品、カルト宗教などの悪徳ビジネスの出現

③HSP自認が自己理解や他者理解を狭めてしまう

具体的には、発達障害が疑われる子供に対してHSCラベルを貼ることで適切な支援が受けられないケースが現に発生していることや、生きづらさから解放されたいHSP自認の方をターゲットにした悪徳ビジネスによる被害もまた発生していること。

また、「電話が苦手だからHSP」「本音を言おうとするとHSP」などあらゆる生きづらさやエピソードは全てHSPが原因と一部のHSP自認の中には存在することや、HSPというラベルは目に見えない生きづらさの原因を言語化したものであり、良くも悪くも「何か説明した気になっている」言葉としても機能していると、著者は述べます。

正直、そんな罪(悪い側面)があったのかと驚きました。また、HSPを理由に自己理解した気になっていたのかもしれない…?という今更ながら戸惑いがありました。

著者はこんなことも述べています。

ラベルを貼ることで一時的に
楽になるかもしれない。
HSPとの出会いをゴールにするのではなく
それをスタートにして環境を調整していく
視点が「生きづらさ」の改善にとって不可欠。

HSPブームの功罪を問うp56

全てをHSPのせいにするのではなく、
だからこそ自分は生きづらさに対しての対処法、生きやすくなるための行動・考え方を模索すべきだと改めて思った部分です。

以下のこの言葉にはグッときました。

HSPというラベルに囚われすぎず
多面的に自分を見つけることが
適切な自己理解につながる

HSPブームの功罪を問うp72

私はHSPだからとどこか諦めていたような
自信が持てないことも多かったのですが
自分で自分にレッテルを貼っていたのかなと。

HSPという言葉で片付けられるほど人間の構造は単純ではない。便利な言葉として使い、自分の可能性を狭めていたのは自分だったのか…?とも思いました。

ですが、HSPという言葉で助けられた事実は変わりません。

HSPという言葉を与えられたことにより
いい意味でポジティブになれました。

自分で自分の機嫌の取り方を学んだり、
100%ネガティブ思考が80%に減りました。
これは、自分の気質を知れたからです。
20%のポジティブは
気質を知り行動を起こした結果です。
私は知って功(良い側面)の方が多かったです。

しかし、
HSPの情報の適切さを見分ける。
1度立ち止まって情報を吟味する。

これも大切なことです。

根拠の無い造語、論文無い、エビデンス無い。
動物占いと一緒。HSPなんて甘え、存在しない。

という考え方がある。
これらも頭に入れておく。
一方の情報で全てを判断しない。
その重要性も学びました。

一方から自分を見るのをやめよう。
HSPだけど、HSPという言葉に囚われすぎない。
もっと自分に自信持っていい🌸

スッキリしたし、
前向きになれた本でした。

まとまりないですが、この辺で。
最後まで読んでいただきありがとうございます!

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