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『地獄の季節』にみる象徴主義的詩作技法

 以下の文章は自分自身に對しての忘備録の意味で記述するものである。それと共に多くの人に響く内容かもしれない。
 しかしながら、實際のところは素人の戯言のやうなものであるので、造詣のあるひとには當たり前の内容、誤つた内容、等々あるかもしれないが御容赦願ふ。

 それは詩であれ、繪畫であれ、はたまた音樂であれ、全ての諸創作を行ふにあたり必要となる意志は、既存の權威を破壊せんとする意慾である。優れた作品は世に多かれど、これから新たな作品を創造するにあたりその行爲の意味を附與できるのは作品の價値である。そしてその價値とは即ち「新しさ」であり、創作者の技量はこの「新しさ」を如何に表現するか、である。
 「新しさ」を表現するにあたつて必要になるのは、過去の名作を分析すること、そしてそれをそのまま眞似するのではなく、自分の色を加へること…。
 今囘はその一環として、早熟の天才詩人ランボーの『地獄の季節』を分析した。象徴主義的詩作技法を習得し、詩作の表現の幅を廣げることを目的とした。以下はそのメモである。

心掛け
・詩は言葉で語り得ない質感を表現すること


2つの心得
・主體の變容
(自分探し、心の内面を語る、などとは逆のこと。自分が何かになる)
・詩的言語の革新
(言語に對して批判的な態度)


ランボーの態度:反抗
「美」の否定、醜い内實を晒すことにより「美」を再構築。すると「未知」なるものを表す。

「或る晩、私は「美」を膝の上に座らせた。苦々しい味がすると思つた。それで私は、さんざん罵倒してやつた」

『地獄の季節』より

「物書きに描冩や教訓を垂れる才など、無い方がよい」
・描冩:小説みたいなもの(起きて、ご飯を食べて、着替へて、家を出て、…)
・詩は思つた質感そのままの提示(言葉の物質性)
・詩は教訓ではなく、思想だ

詩人としての心構えみたいなものか?


「錯亂Ⅱ」に在る詩人の必要條件
・想像力、幻想的ヴィジョン
・反抗的精神


手法①
「惡い血」:詩人のルーツ探しの章
しかし、詩人は自分探しをしてはいけない。
愚かな自分、みじめな自分 の確認で充分。
更に
分裂する自分を認識する
(思ふが儘に彼自らであり、亦他者であることを得る)

上記の主體の變容 に繋がる内容?

手法②
ルーツの否定:センチメンタルな抒情の否定
近代の否定:理性や科學の否定
つまり
詩的言語←國語からの逃走(異教徒の言葉へ)
詩人はアングラである

手法③
「地獄の夜」:撞着語法(極端なイメージの竝置)
・喉が渇く…草、雨、湖水
・月の光…悪魔は鐘楼に…
・火のひと滴(洗禮の「水のひと滴」との對比)


愛と詩の關係:詩を書くことによつて愛の不毛を修復しようと圖る
對立構造「狂氣の處女」と「地獄の夫」→詩人と作品


詩的言語

異教徒の言語
・魂から魂へと向かふもの
・諸々の匂ひ、音、色彩、等全てを要約しており、思考を摑み、引き寄せる思考から成り立つもの


手法④
云ひ表し難いものを書く=「沈默を書く」

詩は意味ではない(意味があるもの:小説、エッセイ等)
つまり
書く内容は決めてはいけない

『愛は詩の言葉が表してゐる意味ではなく、愛は詩によつて云ひ表し難いものへ高められ、また詩も愛によつて云ひ表し難いものへと言葉を届かせる』


「未知なるものへの到達」←アナロジー(神秘體驗)
・工場を見て
 ↓
 囘教寺院、天使の太鼓の學校、空を驅ける四輪馬車、湖の底のサロン、妖怪變化、樣々な神秘


「わが魔法の詭辯」←イロニー(自己否定、別の自己を生み出すこと
そして
「語たちの幻覺」
・作者が語たちを幻覺したのではない
・語たち自身が幻覺の主語である

(語を竝べてゆくにつれて、テーマや雰圍氣が作者の意圖とは無關係にずれてゆく樣、と個人的な解釋)

まとめ
詩の本質:意味ではない、もつと澤山のものをひつくるめた『言語空間の全體的雰圍氣』である

令和六年十月六日

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