大川澂雄
以下の文章は自分自身に對しての忘備録の意味で記述するものである。それと共に多くの人に響く内容かもしれない。 しかしながら、實際のところは素人の戯言のやうなものであるので、造詣のあるひとには當たり前の内容、誤つた内容、等々あるかもしれないが御容赦願ふ。 それは詩であれ、繪畫であれ、はたまた音樂であれ、全ての諸創作を行ふにあたり必要となる意志は、既存の權威を破壊せんとする意慾である。優れた作品は世に多かれど、これから新たな作品を創造するにあたりその行爲の意味を附與できるの
よくある御盆前の會話 久し振りに實家の母に電話をかけた。御盆休みにいつ歸るかと訊かれたので、決めてゐないと囘答した。先日、親戚の方が亡くなつたので、御線香をあげに行きたいと云つてゐた。弟も歸省してゐるタイミングだから、丁度よいだらう。 粉瘤の話 そこで話は變はり、父の粉瘤のことが話題になつた。粉瘤とは。ひとことで云へばデキモノである。 さう、私が昨年出した音源『メランコリック・ウェイ』CDの附録に、漫畫『粉瘤事件』といふものを描きおろしたことを記憶してゐる人も少
第一幕 突然の立ち退き命令 キャスト ・三國渡 ・郵便配達員 ・蕎麦屋のおやじ 第一場 (或る平日の昼過ぎ、町の蕎麦屋の入り口。灰皿が置いてあり、三國が食後の一服をしてゐる。そこに、郵便配達員が手紙を持参し登場。) 配達員 すいません、そこ通ります。 三國 あ、はい。 配達員 (郵便受けに投函) 三國 もしかして、新しい配達員さんですか? 配達員 はい、この春に異動になりまして。 もしかして、以前の担当をご存知ですか? 三國 まあ、さうですね。聞いてゐました。 かう
普通、愚痴や惡口、文句、等々は他人に云ふべきでない、といふ通説がある。聞かされる人の立場になれば分かることだ。 しかし今囘は敢へて、さういふ内容で書いてみる。讀者のことは考慮しない。 私は時々、生きてゐるのが嫌になる。さういふ時、大體は夜、何か上手くいかないことがあつて、しかしそれを解決するのが困難で、それを發端にこれまでの不幸な生立ちや半生を囘顧し、そして未來に悲觀的な豫想が立ち…。といつた感じである。 この一聯の思考を、この文章では『考へごと』と稱することに
聲の大きい人 不必要に聲が大きい人は、頭が惡い。ここでいふ頭の惡さとは、莫迦であるといふ意味である。 一應、辯解しておくが、職種や學歴は關係ない。さういふことで人を判斷したくないし、この偏見には當てはまらない。 大抵の場合、聲が大きい人は無意識のうちに大きい。或る説では、耳が惡く自分で自分の聲が聞きにくい所爲だといふ。 或ひは、野良仕事や建設土木業に從事する勞働者などは、現場での意思疎通の爲に、大きな聲で會話することがあるかもしれない。ボソボソと小聲で何か云は
廿歳前に實家を出てから、ずつと獨り暮らしの私である。大學生時代も仕送りは殆ど無かつたから、餘裕もなかつた。奬學金で授業料を拂ひ、アルバイト代で生活してゐた。 見榮を張り、人前では大盤振る舞ひで酒を飲んだりしたし、良い服など買つて着たりもした。でも、人目につかないところでは生來の吝嗇が顔を出し、貧乏性が抜けなかつた。 友人と飲みに繰り出せば、一晩で數萬圓なんてざらだ。梯子酒が良くない。あとは、女の子のゐる店。(解つちやゐるけれど…、といふやつだ) 酒に限らず。バンドをや
第一囘 狀況説明 今年の秋に、私はローバーのミニ・クーパーを買つた。1996年式である。其れ以來、私の頭の中は常にミニのことでいつぱいである。 私は自分のミニに『絨毯貮號』といふ渾名をつけてゐる。以降、絨毯貮號と稱す。 以上は餘談。 そんな絨毯貮號に乘る時には、車内のオーディオでイカした音樂をかけたいと思ふものだ。私は音樂が好きなのだ。 普通、現代の車にはCDプレーヤーが裝備されてをり、新しい車であればBluetooth對應であつたりして、スマホと連動したりする
先日發表した、アルバム “Melancholic Way” のライナーノーツ(其の2)、として各曲についての文章を以下に記す。アルバム全體については、ライナーノーツ(其の1) を參照すること。 メランコリック ウェイ あれは或る年の春の日であつた。私は遂に氣が附いた。 實家の近所の或る川邉の道は美しい櫻竝木に彩られる。晝は青い空に白い雲浮かび、夜は街燈の霞むなかで。櫻が咲くのは四月に入つてからか、さうだ、もう四月に入つたのだ、と。 大して時間の隔たりがある譯でもな
2022年8月14日に發賣開始を豫定してゐるアルバム ”Melancholic Way” について、作者である小生(大川すみを)が、つらつらと思ひ附く儘に書いてゆかうと思ふ。 アルバム全體・各曲について・そして小生自身のこと…。文章量が増えてしまふかもしれないので、記事を數囘に分けることを想定し、今囘は“其の1”とした。 アルバム作成に至る經緯 2019年1月26日(27日だつたかもしれない。正確に把握してゐる譯ではない)に、當時「當代随一」との評判で世間を賑はせ
人其々、或る期間に於ひて極端に何かを好み、繰り返し嗜好する時期がある。そんなことはないだらうか。 例へば、私は或る時期にバー通ひ・カクテルを飲む遊びをした。居酒屋より凝つた御酒を飲んで、其處ら邉の人の話を聞いたりしながら過ごす時間が好きだつた。 また或る時期には、日本酒ばかり飲んでゐたこともあつた。刺身の盛り合はせなどとともに、グッとくる夜があつた。 別に酒の種類に詳しくなつたりはしなかつたけれども、さういふ經驗は私の中で美しい思ひ出として未だに心の中に在る。一つ
今の家に引越す際に、私は照明を買ひました。其れ迄、私は自分で照明を買ふといふ經驗がありませんでしたので、其れを選ぶ時には思案に時間を要しました。此れ迄に住んだ家には始めから照明が附いてをりまして、考へる必要がありませんでした。折角自分で選べるのなら、宜い物にしたいといふ慾も出ました。目星き物見附けて、通販に注文してから受取る迄の一週間、私は暗闇の中で過ごしました。 其れが遂に届きました。中心部から五つの電燈が、まるで幹から枝分かれした果實のやうに廣がつてゐるデザインです。
今は昔、およそ八年前、私が高校二年生の頃に書いた詞に以下のやうなものがあります。 ”誰かを愛することが生きる意味であり、誰かに愛されることが生きる喜びである“ 此れは今見返しても、ナルホドなあ〜、と思ひますが、實際はだうでせうか。生きる意味とか目的なんて、本當にあるのでせうか。 最近仲が良くなつた(と私は認識してゐる)女の娘(以下、Rとします)がをります。Rは某ガールズバーで私を接客した人です。なので時々、其の店にゆくやうになりました。 然しながら、其の店はカラオ
日本といふ國の中で家系・血筋の話になると、決まつて擧がる言葉が「源平藤橘」でせう。此れはどういふ意味かといふと、現在の日本人の先祖は元を辿れば必ず此の四氏族のどれかである、といふことらしい。さういふ説を唱へる人もゐるみたいですが、本當にさうでせうか。さうかもしれませんね。 … 794年に奈良から京都へ遷都したことで有名な桓武天皇といふ人がゐます。其の孫(曾孫といふ説もある)である高望王(以下、平高望)が平朝臣を賜與され、平氏(高望王流)を名乘りました。實際には他にも樣
現在或る場面に於ひて私は譯あつて大川澂雄と名乘つてをります。然し此れは本名ではありません。私は川澄といふ家に生まれ、育ちました。 二つ以上の名を持つことは私にとつて都合が良く、其々全く違つた人間のやうに振舞ふことができます。 まあ、そんなことはどうでも宜いのですが、今囘の主題は此の川澄といふ一族についてです。川澄氏の辿つた歴史を基として日本史(の極一部ですが)を語つてゆく、といふ壯大なテーマになつてをります。以下、今後の豫定です。 第一章 常陸大掾篇 第二章 小栗判
大學への進學が決定し、遂に私は獨り暮らしを始めることになりました(其れ以前の遍歴は前篇を御覧下さい)。既に此の時、實家での生活に滅入つてゐたし、早く自由な暮らしがしたいといふ願望がありました。 私は宇都宮大學の建築學科へ入學しました。當時の私の漠然とした夢の一つとして、自分の家を自分で設計したいといふものがありました。其れが建築を志した所以です。希望も膨らんでゐました。 ところが、此れも父の暴力の一つですが、大學の寮へ入ることを勝手に決められてしまつたのです。後期入學