血のはなし
よくある御盆前の會話
久し振りに實家の母に電話をかけた。御盆休みにいつ歸るかと訊かれたので、決めてゐないと囘答した。先日、親戚の方が亡くなつたので、御線香をあげに行きたいと云つてゐた。弟も歸省してゐるタイミングだから、丁度よいだらう。
粉瘤の話
そこで話は變はり、父の粉瘤のことが話題になつた。粉瘤とは。ひとことで云へばデキモノである。
さう、私が昨年出した音源『メランコリック・ウェイ』CDの附録に、漫畫『粉瘤事件』といふものを描きおろしたことを記憶してゐる人も少なくないだらう。あれは私自身に起こつた ほゞ實話 で、今から四年前の夏、血と膿に染まつたシーツ、澀谷の某醫院での手術、等々、まるで昨日のことのやうに思ひ出されるのだ。
それは私自身の話だが、實は父もかなり昔から、同樣の症狀に惱まされてゐたのだ。最近どうにも我慢できなくなり、病院を探してゐるといふ。それで上記の體驗と澀谷の某醫院を紹介してあげたのだつた。(先月頃)
ひとまず實家の近くの醫者をあたつたといふが、結果はイマイチだつたといふ。樣子見、と云はれて保留されたり、別の病院を紹介するとタラヒ囘しにされたり…(水戸は田舎ゆゑ、困りますね)。 それで遂に、例の澀谷の某醫院に行き、その日のうちに施術を受けたといふことだ。
そんな譯で、親子揃つて粉瘤に困らされたといふことで、これは完全に遺傳の問題だらうといふことになつた。しかし弟は何ともないらしいが、母曰く「川澄家の成分の割合、血の濃さ、に依るところである」と。粉瘤は、私が正眞正銘の川澄家の嫡子であることの證據である、といふことらしい。誇らしく思ふことにするか。
弟のはなし
その日、たまたま歸省してゐた弟が實家でゴロゴロしてゐたので、電話を代はつてもらつて話をした。弟は現在某大學の四年生である。 弟が云ふことには、最近は哲學に關する文章を書き上げたところ、らしい。それで、通販サイトのAmazonがやつてゐる電子書籍のアップロードサービスを用ゐて、文章の販賣を始めようとしてゐる、らしい。まだ開始できてはゐない、らしい。
弟はかなり専門性の高い學校に通つてゐるので、順當に進めば將來の職種は決定してゐるやうなものである。しかし、それに對する失望と不安感があるやうだ。
弟は
「私は、文章や繪を創作して生活してゆきたい」
と云つた。
「周圍の(俗世間の)人間たちと關はりたくない」
とも。これは以前から私が思つてゐることとほゞ同じだ。
「それで、生計を立てゝゆけるのかい」
「えゝ、それが問題でして…」
「それに、創作をしてゐても人との關はりは必要だと思ふぜ」
「…」
まるで自らに云ひ聞かせるやうに、弟を諫める兄。まるで過去の自分を見てゐるかのやうな心地。
「私はね、今は某電機屋で設計職に就いてゐるぢやない。でも大學では、建築を専攻してゐたんだよ。當時は自分が建築に對して興味が持てないとか、金にならないとか、さういふ理由で道を變へた譯だがね。實際に仕事にしたらどうなつてゐただらうか、つてことは今でも思ふことがあるよ」
「へえ、さうですか」
「うむ。元々、電氣系なんか全く興味ないのに、今かうしてやつてゐる譯だからね。學校の勉強と仕事ぢや、全然違ふよね」
「さういふものですかね」
「逆に今も建築關係の職に就いてゐて、ゆくゆくは一級建築士に、なんてことになれば、それはそれでよいぢやないか」
「確かに」
「つまりどういふことかと云へば、何になつても最終的にはそれなりに滿足するつてことさ」
「なるほどね」
「だから今の狀況で何をすることが有利か、考へてみるとよい。御前が今までに苦勞して培つてきたものを、活かせる道へ進めばよい。他に乘り變へることは後でもできる」
「確かにさうですね」
結論
結局のところ、血に抗ふことは難しい。父は私の丗年後の姿を、弟は私の五年前の姿を冩してゐるやうに思へてならない。
それを不快に思ふこともあるが、一方で諦めてしまつた私もゐる。それでよいのだと思つてゐたい、今の私である。
令和五年七月丗一日
「血のはなし」完
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