デザイン思考がこれからの建築を変えるー未来のオフィスビルの行方ー
先日、『デザイン思考が世界を変える』を読んだ感想をまとました。
そこで、デザイン思考とは、「ちょうどいいところ」を見つけるチカラだと言うことを書いたので、これを機に自分の仕事のちょうどいいところについて考えてみたいと思います。
ぼくのしごとについて
これを考えるにあたり、ぼくの仕事内容について簡単に紹介します。
ぼくは、東京で建築の設計を10年間生業にした経験を糧に、施設の事業計画、経営、運用までの戦略提案を行うコンサルタントをしてます。
建築の設計をしていて、それなりに賞をもらったりしましたし、自分の携わった建物が建築雑誌に掲載されることもありました。
それはとても名誉なことであり、とても嬉しかったことを覚えています。
評判がよくなると大きい仕事が増えました。
具体的に言うと駅前の再開発や超高層ビルの設計です。
お金でいうと、実に数百億円から一千億円の予算規模の事業です。
設計というものは、その土地に対するもっともよい解を創りあげる作業なのですが、超高層建築というもののは、やっているうちに、なんだかこれは違うんじゃないか?と思いました。
自分のいいと思えるものを創れないと感じたのが職を変えたきっかけです。
ヒトに求められたものをカタチにする観点から、超高層はなんだか虚しい。設計をしていた身としてこんな直感があります。
そういったこともあり、今回はこの都市のなかの超高層ビルにフォーカスして、心地よい暮らしとはなにか、建築のちょうどいいカタチについて考えてみたいと思います。
超高層ビルの成り立ち
超高層ビルとはなにか。建築基準法によると、高さ60mを超える高さのものは国土交通省大臣の認定を受けないと建てることのできない超高層建築として取り扱われます。
まあ、平たく言うととても背の高い建物のことです。階数でいうと20階を超えるようなもの。今では地震大国日本でも200mを超える高さのビルも珍しくなく、300m規模の建物も計画されています。
さて、そんな超高層建築を可能にしたのはエレベータの発明です。
詳しく知りたい人はこの本に詳しく書かれているのでそちらを読んでみてください。
エレベータの発明と、少ない土地の有効活用、当時活発だったデカルトの合理主義的思考の影響が、床を水平に連続させる超高層建築を誕生させました。
超高層建築の誕生と時をほぼ同じくして、ユニバーサルスペースと言う空間思想が生まれます。
それは、鉄骨大量生産による建物が可能になったことで、柱・天井・床のみの構成で均質な広い空間を取ることができるようになったこと、また広い空間を自分で自由に仕切ることで、自分の好む空間を自由に作り出せるというものです。
これは当時広まりつつある、自由への機運と相まって瞬く間に世界中に広がりました。
そうして出来上がってきたものが今の私達の暮らす都市環境です。
現代における超高層建築
現代では、通常超高層建築というものは、オフィスと住宅の2用途に限定されます。
超高層におけるオフィスとは、集まって仕事するためのもの、一方で超高層における住宅とは、集まって暮らすためのものです。
すなわち、いずれも集まることに価値があるのだという思想に基づきます。
しかし、その空間構成は全く異なります。
ユニバーサルスペースの考え方を踏襲した超高層オフィスに比べて、超高層住宅とはLDKをベースにした小割りの空間体系です。
どうしてそのようなことが起きたのか。
本当にそれは、快適だったのか?
それは、ユニバーサルスペースという自由な空間というものが、ヒトにとって快適なものではなかったからです。
なんでも実現出来るという、合理的な空間ではかえって何もしたくなくなる。それが人間の出した答えでした。
実はユニバーサルスペースという考え方が提唱された初期の時代に設計された住宅がいくつかあります。(ファンズワース邸など)
それらはいずれも美しく、世界遺産にも登録されているものもあります。
しかしながら完成した当時は、あまりの住みづらさからオーナーがすぐに手放したエピソードがあることでも有名です。
そういった歴史上の過ちを反映するかたちで、集合住宅には人間生活が馴染みやすいLDK方式が採られたのです。
超高層ビルを設計していた身としては、超高層建築を簡単には否定できません。
土地の効率的利用において、これより勝る解答はありません。
でもこれは人間生活にとってベストではなかった。
人間の求めるものは合理性ではなかったのです。
さらに、こうして無理に作ったものが、間接的に満員電車、ヒートアイランド現象、大気汚染…不快な、そして環境に優しくない(サステナブルでない)都市環境をつくってしまった。
今回、特殊な社会状況下(コロナ)でみながテレワークの有効性に気づきました。
よく考えてみれば住むとき(住宅)に不快だったものが、働く(オフィス)ときに快適であるはずもありません。
そうなった今となっては超高層建築、中でも超高層オフィスの価値は本当に揺らいでいると思います。
心地よい暮らしと働き方
さて、前提が長くなりましたがここで改めて心地よい暮らしとはなにかについて考えてみたいと思います。
これについては、前述したデザイン思考スキームをもとに考えてみます。
①共感(これっていいよね!)
均質空間で働くことは必ずしも快適でない。そこで、快適に働けるそんな街づくりや生活環境を進めることが必要だ。
一方で、人と人が集まることの価値は依然としてある。
②定義(それってつまりどういうこと?)
集まりとして考えられる規模感は一体どのくらいあるのか?
集まる人に応じて考えてみると、ざっとこう考えられる。
1000人以上…イベント、LIVE→大ホール空間、アリーナ
100人規模…中規模の集会→学校の体育館など中規模のホール空間
10人…会議体→小規模の会議室
4人…チーム内のアイデア出し→小さく区切られプライバシーが保てるスペース
1人…資料作成→自宅や、近所のカフェ
1000人以上大規模なイベントのために1つの企業が空間を専有することは経済性に欠けるため、昔通りにアリーナや大会議室などの貸しスペースが担う。
次に100人規模の集会を考える。
大企業なんかだと、社長の顔などみても年数回しかなく、お互いが集まる価値が実はあまりない。このあたりはWEB会議に集約されそうだ。
最後に単純な事務作業であれば一人でやるほうが効率的である。これは自宅やカフェが担う。
そういった想像から、オフィスに必要とされるのは、実は4〜10人くらいのユニットがうまく繋がれるイノベーション空間なのではないかと考えてみる。
③概念化(具体的に実現できるアイデアを生み出す)
少人数がうまく繋がれる空間とはどういったものか。
そこには多様性が認められた空間であることが必要だと思う。
例えば、ある空間では美味しいコーヒーが飲める、ある空間には豊かな自然が見える、ある空間では眺望がいい、など。わざわざ人が集まるのだから、そこで生まれるアイデアを活発化させる工夫が必要だと思う。
最近できた建物だと例えば小堀氏のNICCA INNOVATION CENTERなどがイメージに近い。
このような多様性を持った空間が今後もっと必要とされるように思う。
そうした価値の高い空間をシェアオフィスとして実現することでオフィスの数自体は減らして、価値ある空間のみを都市に残していくことが可能になるのではないか。
そうしたら、無数にあった均質な空間は不要になる。そうしてできた土地の余白は自然に還して、公園にでもしたらいい。そうすることでサステナブルなよい都市環境が作れるのではないか。
④試作(なるべく簡単に始めてみよう)
そうするには土地に対する不動産と言う考え方から脱却し、不動産型収入モデルからの脱却が必要だ。
ここまで考えて、手が止まった。
既存のモデルに変わる新しい収益モデルが必要だ。
これから先は、これからのぼくの仕事のなかで知恵を絞って顧客に提案し、実現できるコンサルタントでありたいと思います。
⑤テスト(さあ、ためそう!)
To be continued...
終わりに
建築設計という仕事はひとつひとつが複雑であり、業務細分化が起きています。
計画、構造、設備、電気、意匠、施工…。
複雑化や細分化により、設計をするのが精一杯で美しくない建物、若しくは機能性を度外視した住み心地の悪い建物が横行している。
というのもそれぞれの分野の目指すベストは利益相反が生じることが多く、
統合することの難易度は日々あがっているからです。
そうした中、設計という枠組みのなかにいると、この仕組みを変えられないと思ったのです。
デザイン思考の視点に立って経済的、技術的、有用性の両立を考えた結果、ぼくは今、施設の事業計画、経営、運用までの戦略提案を行うコンサルタントをしてます。この立場なら、今の建築の仕組みそのものに変化が創れるのではないか、と思っています。
これからの10年、自分が何を残せるのかを考えていきたいと思います。
2020/7/12 sumi__
新しい生活様式とか言ってるけど、子どもが生まれて変わった生活様式と比べたらたいしたことないと思う今日この頃…
娘よ、頼むから夜は寝てくれぃ。それでも可愛いからいいけど。
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