見出し画像

【書評】『内向型人間のすごい力』 内向型は外向型のようにふるまうべきか

学校や会社などの組織の中で「明るく社交的に見られなきゃ」というプレッシャーを感じたことはないだろうか。

私たちは、小さいころから学校で「積極的に手を挙げて発言しよう」と周りの大人に言い聞かせられる。さらには成長するにつれて、求められる積極性は、プレゼンや大人数での飲み会など、より実社会に沿ったリアルな圧に変わってゆく。

現代社会では、声高に自己主張をして、すばやく意思決定をし、社交的にふるまうのが理想的な人物だと信じられているように思う。しかし、なぜそのような外向的な特徴が理想となったのだろうか?外向型が素晴らしい存在ならば、なぜ内向型の人間は大昔に淘汰されなかったのか?

『内向型人間のすごい力』では、外向性が重んじられる一方で、慎重さや思慮深さ、思索的などの内向的な特徴は軽視されがちな風潮に疑問を投げかけ、内向型の必要性や強みを紐解いていく。

印象的だったのは、「偽外向型」の人について触れているところだ。偽外向型とは、人前では外向型のようにふるまうが根は内向的な人物のことを指している。

内向型と聞くと、教室のすみで一人で本を読み、友達の輪には加わらないような人物を想像するかもしれない。しかし、実際はそういうステレオタイプな内向型ばかりだとは限らない。

小さいころに、社交的で明るくしていると周りの人に喜ばれると感じ、本当は教室や家でゆっくりしていたいときでも誰かといることを選ぶ。それがいつしか、「外向的であるべきだ」だという固定観念に絡めとられてしまう。偽外向型の人には、そんな経験がある人もいるだろう。かくいう私もそのうちの一人だ。

私は幼少期や思春期を、「友達をたくさん作り、活動的に過ごすべきだ」という考えに基づいて過ごしてきた。疑問を抱くことはなく、そうするものだと思っていた。しかし、学校やら部活やらをして帰るころにはへとへとになってしまう。たくさんの友人と交流すべきだと考えているのに、軽い会話がすらすら出てこないし、自分を消耗してゆく感覚がある。

自分の根本は、かなり内向的だったのだ。だから、自身に課した「こうすべきだ」という像と実際の自分とのギャップに「何でみんながやっているようにうまくできないのだろう」と落ち込んでしまうことが日常茶飯事だった。しかも、そうやって自分の好みを無視することが当たり前になってしまうと、本当にやりたいことを見失ってしまう。

著者であるスーザン・ケインは、時には外向型のようにふるまわなければならない場面があることを認めている。特に、やりたいことを成し遂げるためには、避けられない場合もあるだろう。ただし、過度のストレスに見舞われないためには、本当の自分に戻れる「回復のための場所」をつくったり、外向型をよそおう場面を本当にやりたいことのためだけに限定する必要があるとしている。

今ならよく分かる。私に必要だったのは、無理をして外向的になろうとすることではなく、自分の内向性を認めた上で、その部分とうまく付き合うことだったのだ。

この本では、著者の度重なるフィールドワークと豊富な実験結果の引用から、外向型に照準を定める現代社会でどう生きるかのヒントを与えてくれる。外向型がよしとされている環境に窮屈さを感じている人は、一見の価値ありだ。





この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?