自分を愛せそうかもしれない
X(Twitter)のフォロワーさんがおすすめしていたのを見て、じぶんジカンさんのノートを2冊、購入してみた。
詳しくはリンクを見てみてほしいが、簡単に説明すると、ノートは書き込み形式になっており、書きながら自分と向き合う時間を作れるというものだ。
私が購入したのは「やりたいことを見つける/自己分析ノート」と「自分を受け入れる/自己探索ノート」だ。
自分がどうしたいのか、何をしたいのか、未だによく分からなくなり迷子になる。昔から自分の気持ちを抑圧する癖がついていたからだと思う。
まずは、「自分を受け入れる/自己探索ノート」から取り掛かった。
私は劣等感でいっぱいで、何か嫌なことがあるとすぐに頭の中は自己否定の言葉の嵐になる。気力が奪われ、何もできなくなり、そんな自分は生きていないほうがいい、というところまで思考は落ち込んでいく。
べつに生きていていい筈だし、このような思考の癖がよくないことは分かっている。だけどオートでそうなってしまうので、自分でもどうしようもない。
だいたい、2〜3日落ち込んで、たっぷり眠れば、次第に回復する。鬱が酷かった時はこれが1〜3週間くらいかかっていた。最近は1日で回復できることもある。それなら普通の人と変わらないくらいか。
だけれど、落ち込んでいる時間というのはとてもしんどい。死にたい気持ちと戦っている時もある。自己否定というのは、自分で自分を傷つけているようなものだ。精神的な自傷行為とも言えるかもしれない。これをやめたい、と常々思っていた。
ノートは1400円とそれなりに高価だ。だけどそれだけあって、紙が上質だった。
こういうのは書く時の気分も大事なのでは、と思い、普段まったく使っておらず埃をかぶっているガラスペンとインクを取り出してきた。
いざ書き出す。
なぜ自分を認められないのか探っていくワーク。
自分をねぎらうワーク。
過去の自分の思い込み。
書きながら、悲しくなって涙が滲むことも、気持ちが温かくなって涙が滲むことも、両方あった。
書き進めていくうちに、「大切なことを書き留めておきましょう」という欄に、気づけば「自分を愛せそうかもしれない」と書き込んでいた。驚いた。そんな言葉が出てくるなんて。
自分を愛せそうかもしれない?
自己愛の肥大(ナルシシズム)ではない、自分を愛すること。それってどういうこと?とずっと疑問だった。
思ったのは、自分の何が認められないのか、長々と書き出してみて、そのみっともなさを見て、「そうか、自分はこういう人間なのか」と、どこかスッキリしたのだ。
それは、邪悪でもなく、ただ不器用に生きているだけの自分だった。自分が頭の中で責めているような、悪い人間では決してない。むしろ客観的に見ると、痛々しいほど一生懸命なのだ。そういう人間を、自分は嫌いか?というと、そうではない。好ましいと思うかもしれない。自分を、愛せるのかもしれない。
ここまで書いてきて、実はまだノートの半分にも来ていない。
ガラスペンで書いてみたら、それがとても良かった。いちいちインクを付けなくてはならないし、ゆっくりでしか書けない。それが、気持ちを文字に落とし込む、丁寧に考えながら書く作業にとても向いていたのだ。
自分と向き合う作業だ。ゆっくりじっくり、取り組んでいきたい。