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ひとつの解に過ぎないけれど

先日、かかりつけ医で発達障害の検査を受けた。
結果、「ASDの判定基準を満たす」と言われた。やっぱりか、と思った。
ADHDの基準は満たさないらしい。それも予想通り。

先月から就労移行支援の施設に通うようになって、支援員さんから生育歴や病歴についてアセスメントされた時に「ASDの方の特性ととても似通っています」と言われた。そのASDの特性というのは、確かに私が日々悩んでいる生きづらさと見事に合致していた。
帰ってからネットで検索をして、「女性のASDは見過ごされやすい」と記事で知った。ASD(かつてアスペルガー症候群と呼ばれた)は男性に多く、その診断基準が男性の特性に偏ったものだったことが見過ごされる原因だったらしい。女性は男性に比べてコミュニケーション能力や適応能力が高く、障害が目立ちにくい。ただ過剰な適応によって心身に支障をきたし、鬱病や適応障害という形で病名がつく人が多いと。まだ読み途中だが、下記の本に詳しい。


私は機能不全家庭や性犯罪被害のトラウマで鬱になったのだと思っていたけれど、ASDの二次障害だった可能性もあったのか、と知る。
子供の時から、まわりの人が当たり前に出来ていることに対して、自分は馴染めていない感覚はあった。同級生たちよりもいつもワンテンポ遅く、「のんびり」「反応が遅い」「マイペース」などと通信簿に書かれていた。
馴染めていないという感覚は思春期以降にさらに強まった。その頃から読書に耽り、人と極力関わらないようにし、またそれがまわりから浮いていたと思う。人とまともに話せるようになったのは社会人になってからだ。仕事で話すことを強制されたら、なんとか出来るようになった。仕事を覚えるのは遅かったけど、一度覚えたら正確に、ミスなく行えるようになった。だからか、職場での評価は高かった。上司が褒めて伸ばすタイプだっただけかもしれないけれど。仕事は楽しかったなぁ、と思う。結局適応障害を起こして鬱になっているので、向いていたのか過剰適応を起こしていたのか、どちらかは分からない。

自分がASDだと診断されてもうひとつ思ったのは、母のことだ。うちの母もASDだったのではないか、と。
母は生活の拘りが強く、ペースが乱されるとすぐに怒鳴り、人間関係が下手で、子どもに悪影響なことばかりしていた。彼女に悪気はまったく無いようだった。むしろ、いつも一生懸命なくらいだった。そして母も30代で体を壊した。鬱っぽくなり、原因不明の視神経萎縮を起こして目が見えなくなった。これも、発達障害の二次障害だったのでは、と思ってしまった。
母の時代には発達障害なんて言葉もなかっただろう。老いた母が発達障害だったかどうか、今となってはたいした意味もないだろう。ただ、母のことを思い出さずにはいられなかった。

今回、私に診断名がついたからといって、これからやることは結局変わらない。対処法が少し変わるかもしれないが、それは鬱病でも今までやってきたこと。ASDはADHDのような治療薬はないし、うまく特性と付き合っていくしかない。その訓練のために、今は就労移行支援に通っている。
これから接していく人たちに対して、「発達障害なんです」という自己開示をするのは有りだと思う。ただ、「発達障害だから」を言い訳ににして配慮をしてもらうのが当たり前、みたいなモンスターにはならないようにしたい。それは鬱病でも同じだが。

人生はどうなるかわからない。
つくづくそう思う。



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