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私の中の水が沸騰するとき

これまで生きてきた中で、居てもたってもいられず気づいたら行動に出ていたという経験は少ない。

鮮明に蘇る私の沸騰の記憶は13歳、中学一年生に遡る。

夏休みの宿題の定番、読書感想文をやっつけるため、近所の本屋に行った。普段、本を全く読んでいなかった13歳の私は、悩みに悩み、何とか読めそうな宗田理先生の「あたしのノラ猫日記」を手にする。

家に帰り本を開くと、最後まで一気に読み切ってしまった。詳細は覚えていないが、壮絶ないじめを受けていた女の子の話であった。


この本を閉じたとき、私の中の水が沸騰する。


主人公の典子に深く同情し、文庫本のあとがきで典子にモデルがいたことを知り、その子宛てに手紙を書いたのだ。
確か私が同じクラスにいたらあなたを助けてあげたかった、というような内容だったと思う。当時従姉が不登校になっていたこともあり、それもこの衝動に繋がったのかもしれない。

手紙を書いたはいいが、モデルの子の本名も知らなけらば、住所も知らない。私は事もあろうかもう一通、手紙を書いた。宗田理先生宛てだ。そして、宗田先生宛ての手紙の中に、モデルの子宛ての手紙を入れ、本人に渡してほしいと頼んだ。

それからどれ位経った頃か。
なんと、典子のモデルとなった方より返事が届いたのだ。私よりも全然年上の20歳くらいのお姉さんだった。
嬉しさと驚きの中、私はすぐに返事を書き、それから私たちの文通が始まった。その文通は中学の3年間くらいは続いたかと思う。
高校生になった私は、遊びや自分のことに忙しく手紙を書くことが疎かになっていき、やがて文通は途絶えた。


お久しぶりです。
手紙に、今度従姉のことも相談にのるからいつでも電話してと、電話番号まで記して下さったこと感謝しています。びびりの私は受話器を取り番号を押し、ワンコール鳴らして切ってしまったのです。あの時、お話できていればどんな未来になっていたのかなって今でも考えます。



その時書いた感想文は東京都の読書感想文コンクールで佳作となった。




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