マスクを少しだけズラして
「マスクをする」ということが日常になってから、一年以上は経っただろうか。今これを書いている手を止めて電車の中を見渡せば、例外なく全員がマスクをしている。密集するところでマスクをしないことは、この国ではあり得ない。元々冬場になれば、道ゆく人の半分はマスクをしているようなマスク大国である日本ではあったが、コロナウイルスの発生により全国民がマスクをせざるを得なくなった。
今日はいつもより少し早朝から活動している。前日からの冷え込みもあり、駅に向かう道のりはずいぶんと寒く感じた。僕の耳は少し飛び出ているので、冷えた駅前通りを少し小走りで進めば、あっという間に耳は冷え切って痛くなった。ちょっと急いでいたので、そんなこと気にも留めず、駅へと駆けた。
最初の緊急事態宣言以降、妻にマスクで鼻を出すことはマスクとしての効果が激減してしまうのでちゃんと鼻まで覆うようにと、何度も言われていた。僕は伊達眼鏡をしているので、キチンとマスクをすればあっという間に目の前が真っ白になってしまう。当初は言うことを聞かずに鼻を出して歩いていたが、いつの間にかマスクはちゃんとするようになっていた。えらい。
そうなってからというもの、当然ながらマスクをしているので、外の匂いを感じることが激減する。いつも嗅ぐことになるのは、自分の口のなかの臭い。元々花粉症なので、春先にはマスクをして生活をしているが、自分の口のなかの臭いというのは、いつだってクサイものだ。でもそれが日常。特に疑問もなく、匂いという情報が勝手に遮断された。
陽が出て少し経ったとはいえ、顔に当たった陽はあたたかいと感じるほどでもない。しっかりと冷え込んだ空気を全身で浴びながら駅へと急いでいたとき、ふとマスクをズラして、外の匂いを嗅いだ。冷たい風が鼻を通った。
その瞬間。僕はずっと水の中にいて、音もなくなにも感じずにいた日常から飛び出して、全身で音を感じるフェスティバルのような・・・とにかくその冷たい風から驚くほどたくさんの情報が迸って、駆け抜けていくのがわかった。匂いを感じるということが、こんなにエキサイティングだったことがあっただろうか。
途中にある居酒屋の、少し煤けた匂いはコロナの真っ只中だからなのか、きっといつもよりは抑えられているようにも感じる。今まさに焼かれている美味しそうなパンの匂いがダクトを通じて外に押し出されていく。少しずつ冷たい空気を暖めていく、優しい太陽。お団子屋さんからは炊けたばかりの米の香り・・・この匂いは昔御茶ノ水駅から当時働いていたスタジオに向かう途中にある、おにぎり屋さんの横を歩いていたときにも、同じ香りがしていたっけ。駅前の広場に出ると、踏切があってカンカンカンと音がしている。そうだ、急いでいたのだった。
嗅覚。匂いとは膨大な情報であり、本来マスクをしていなければ、いつも自然に得られるはずの情報である。それがマスクをして久しいということでいわゆる5感のうちのひとつを封じ込めているカタチに勝手になっていたのかもしれない。ある意味当たり前なその事実を思い出させてくれるほどの感動が、意識して嗅いだ早朝の冷たい空気には、あった。
このご時世、マスクをしないで外出するというのは基本的には難しいかもしれないが、ときには少しだけマスクをズラして。あるいは、ちょっとだけ外して。自身の嗅覚を、存分に感じてはいかがだろうか。