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適応障害から立ち直るために私がやった10のこと
2023年11月に適応障害と診断されたワタクシ夜風28歳ですが、この度2ヶ月間の休職期間を経て、3月中旬から復職しております。
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自分の病気が治ったのかどうかは、もう少し働いてみないと分からない (医者には「まだ治ってませんから、無理したらダメですよ」と釘を刺されている) のだが、結構ここまで順調に回復できたんじゃないかと思っている。
体の不調は寛解し、やせ細った体はきちんと元の体重に戻った(これに関しては戻らなくてもよかったのに)。
心についても、自分を見失わずに働いていくイメージができていて、まあ大丈夫っしょ、という根拠のない自信が持てている。
順調に回復できたとはいえ、ここまでの道のりは長かった。症状が出始めた昨年9月から数えると、およそ7カ月、季節が夏から春へと巡っている。
闇の中にいる時は、どこまでも果てしなく真っ暗闇に見えたので、無事出てこられたことに対する喜びはひとしおだ(まあまた引きずり戻されるのかもしんないけど・・・)。
そんな喜びを昇華させるために、適応障害から立ち直るためにやったことをまとめてみようと思います。
誰かに見せたいという欲も少し有れど、これはもっぱら趣味なので。全然こんなの書いたって何の役にも立たないんだろうけど、書き残したいという性癖なので。温かい目で見守って。
そして、人には人の乳酸菌(適切な治療法)があります。あくまで「こんなやつもいるんやな~」程度の一例としてご覧あそばせ。
ちなみに適応障害になるまでの経緯はこちらから。
己の病について知る
敵を制すには、まず敵を知ることから。
自分が適応障害だと知ってから、というか診断される前から、毎晩のように自身の症状をGoogleにつっこんでは検索していた。
社会人のメンタルヘルスに関するこの世のサイトは全て読みつくしたといっても過言ではない。
おかげで、自分の病名が適応障害だろうということは、医者にかかる前にとっくに見当がついていた。
そして見当がついてからは、書籍も使いながらメカニズムと治療法についての理解を深めた。
メンタル後進国であるここ日本において、ある程度は自分で治療をデザインしていかないと、スムーズに回復できないだろうと予測していたからだ。
(とある本で、「メンタル系のクリニックは、5分くらいで診療して、薬たくさん出すやり方が一番儲かる」と読んでからは、精神科医のことを警戒している。すべての医者がそうではないのは分かっているが。)
現に私は、かかりつけ医に「まだ休まず薬で対処できます」と言われたのを無視して、別の病院に診断書をもらいに行って休職した。
そして、その選択が正解だったと思っている。
あのまま薬で誤魔化して仕事を続けていても治らなかっただろう。仕事から離れて自分を取り戻す時間が、私には必要だったから。
メンタル系の病は、外からでは見えにくい症状が多く、医者に理解してもらうのがそもそも非常に難しい。
私自身が病気について知識をつけて治療を選択していくことが、適切な回復において必要だったと振り返ってみて思っている。
心療内科でお薬もらう
最初は抵抗のあった精神薬だったが、私の場合は飲んでよかったと思う。
全ての症状を薬のみで抑え込むことはできず、結局休職することになったが、小さなストレスによるダメージは抑えてくれていたように思う。
そうやって症状を抑えながら仕事を続けつつ、症状の落ち着いている隙に転職活動もできたことで、納得してその後の進路 (休職して治療 & 部署異動して復職) を自ら選択することができたところが、服薬の満足ポイントだ。
ただ、上述の通り精神科医は信用していないので、服薬量をむやみに増やされないよう気を付けた。
そもそも適応障害の治療は、ストレス要因から離れて休養することと精神療法が基本で、薬は補助だ(私がかかった医者は服薬以外の治療提案は無かったが)。
薬で完治を目指すことは私はせず、以降に記載するような行動もとることで回復を目指していった。
ちなみに、病院にかかって服薬する効果は個人的にもう一つある。
自分が病人だとちゃんと自覚して、「治さねば」と思えることだ。
それまでは「まだ大丈夫、私はまだ働ける、自分で普通に戻せる」と意地を張っていたが、医者に「病気です、お薬飲んでね」と言われたことで、「ほなまずは健康を目指さないけませんわな」と、マインドを切り替えることができた。
病気であることを受け入れて治療に取り組む、という患者としての第一歩をふむことにも、お薬は一役買ってくれた。
とにかく眠って脳を休める
ここからの2つは、休職することになってからまずやったことだ。
適応障害で休職する場合、大きく分けて三段階(休養期、活動期、準備期)のステップを踏むと良いらしく、休養期は休むことに専念すれば良いらしい。
産業医にも、「あんたは脳の神経反応が異常な状態だから、まずは眠れるだけ眠って脳みそを休めろ」と言われたし、noteの先輩方の休職体験記にも「最初はとにかく寝た」とよく書かれていた。
体感としても、脳が思考と感情でオーバーフローしているのは分かっていたので、この世の情報を素直に信じて、最初の1週間はまじでとにかく眠った。1日16時間くらい寝てた。
休職前は、切りたくても脳みそのスイッチを切れない、疲れているのにうまく眠れない、と典型的な睡眠障害をやっていたが、休職に際して仕事を全て引き継いでしまったおかげか、眠れるようになった。
「休んでもいいのだろうか」みたいな不安が当時はあったが、「物理的に脳がぶっ壊れてんだから休めて直すしかない、物理現象だ」と、感情とは切り離して考えるようにしていた。
脳だってただの臓器だ。無茶な使い方をしたらそりゃあ壊れるし、壊れた脳みそから生み出される感情にもそりゃあバグが生じる。
なので自分の感情を信じずに放棄して、つべこべ言わずに脳を休めることを己に課した。実際それが、回復への一番の近道であったと思う。
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潔くいろいろ諦める
上記の「脳を休める」の準備としても必要なことだったが、休むにあたって私はいろいろなことを諦めた。
”休まずに毎日働ける、ちゃんとした人間であること”
”良い仕事をする、価値ある人材であること”
”仕事もプライベートもバリバリ忙しくこなすこと”
”みんなから好かれるような、いい子であること”
”パートナーにとって良き彼女であること”
”「普通の人生」というステージに縋りつくこと”
潔く諦められたかと言えば、全然そんなことない。
きらきらとした憧れを手放せなかったから転職活動をしたし、普通から脱落したくなくて無理して仕事を続けた。
たくさん悪あがきをした。
そして、無理だった。自分の限界を知った。
よく巷で言われる「自分を受け入れる」という考え方は、当時の自分にはなじまなかった。けれど、諦める、と考えると捉えやすかった。
生きるハードルをとにかく下げた。
だって私は病気なんだから、と。
そうやって、何者かになろうとすることをとにかく諦め続け、憧れるたびに手放し続けたら、結構自分から解放されて、今はのびのびと生きられている。
こちらの記事でも、何者かになることを諦めた話をぽつぽつとしています。
生活を大切にする
ここから2つは、闇に飲まれて生きた心地がしなかった私に、生きている実感を取り戻させてくれたことだ。
ひたすら眠り続ける期間を終えた私は、暇だった。そりゃあそうだ、一日に8時間もの時間を割いていた仕事がゼロになったのだからな。
ただ、しばらくは何もする気になれず、食事や買い物、洗濯など、生活に必要なことを時間をかけてゆっくりやっていた。
そのうち、なんでもない生活を送るのが好きだった自分のことを、だんだんと思い出していった。
溜まった洗濯物を回して、ひとつずつ捌いて干していく。
使った食器をきれいに洗って、ついでにシンクも磨く。
掃除機をかけて、髪の毛ひとつ落ちてない状態にする。
何を食べようかと考えて、買い物に行く。
スーパーをはしごして、肉や野菜をそれぞれ一番安い店で買って帰る。
そんなような、暮らしを営むことを、贅沢に時間を使って思うがままにやっていたら、おのずと生活を大切にできていった。
そして、その生活がとても心地よかった。
人生は生活の繰り返しだ。だから、生活を大切にすることは、人生を大切にすること、ひいては自分を大切にすることに繋がる。
自分を直接大切にするのは苦手だったが、人の世話をするのは好きだったので、生活を介して自分を大切にするやり方が私には合っていた。
メンタルダウン人 (んちゅ) は往々にして自分を大切にしていない。
自分を攻撃して不幸の中に留まることが心地よくなってしまっている。
そこから抜け出さないと健やかな人間生活は見えてこないので、何かしらの方法で自分を攻撃対象から外し、自分を人間扱いすることが必要であろう。
私の場合は、それが生活を大切にすることだった。
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自分が好きなことをやる
人間らしい生活が送れるようになってからは、さらに余った時間を埋めるために、ずっとやりたかったけどできていなかったことに手をつけ始めた。
近所のカフェで気が済むまで読書をする。
100円ショップで見つけたミッフィーのカップでマドレーヌを焼いてみる。
ユザワヤで買ったお花の刺繍キットを、映画を見ながらちくちくやる。
そうやって「好き」が生活の中に増えていくと、生きるってこういうことだったのか、といった納得のようなものが心に出てきた。
必要なことを効率的にやる、という生き方ばかりを最近はやっていたけれど、それだと人生が味気ない。
効率よりも好きを優先しているうちに、生活にみずみずしいハリのようなものが生まれてきて、この世界に暮らすのも案外悪くないかも、と思えるようになっていった。
だが、そもそも心が壊れている時って、自分は何が好きだったかを忘れてしまっていたし、好きだったであろうことをしたって楽しくなかった。
そこから抜け出して、自分の好きが分かるようになるまで、休職してから1か月くらいはかかった。
これからは、自分の好きを大切にしながら生きられるくらいの余裕をもって、日々を暮らしていこうと思っている。
そうしないと、こんな人生いりません状態にまたなってしまうだろうから。
人生の優先順位を考える
長らく私の人生の優先順位は、仕事がトップだった。
そうしたかったわけではない。不本意ながら、仕事以外の趣味や人間関係が乏しく、いつの間にか仕事にいちばんの精を出してしまっていた。
でも、そんな人生の多くを捧げている仕事に対して、いつからかやりがいや楽しさを感じることができなくなってきていた。
にもかかわらず、仕事に捧げるものはどんどん増えていく。
仕事を終えても仕事のことを考える。休みの日も仕事のことを考える。寝る間際まで仕事のことを考える。朝起きたとたんに仕事のことを考える・・・。
気付けば好きだった自炊をする時間はなくなり、平日できなかった家事を片付けるのに土曜日は潰れ、日曜日は仕事に向けた気持ちを整えるために一日使い、すべてすべてすべて仕事のため・・・。
そして、適応障害という形で自分が壊れてやっと気づいた。
私、別にそんなに仕事好きじゃない!!!
いや好きなんだけど、やるからには張り切ってやりたいんだけど、仕事以外にも楽しいことたくさんあるじゃん!自分の人生やらなきゃじゃん!ってふと我に返った。
そして御年28歳、体力は年々減ってきており、自分のリソースがやりたい事に対してどうしても不足する。
ならば自分の人生を優先させよう、仕事は二の次だ。そう人生の優先順位を整理した。
もちろん、整理しただけでは自分に落とし込めずもどかしかったが、上述のように生活を大切にしたり好きなことをやったりするうちに、これからやりたいことが増えていき、仕事よりも大切にしたいことが具体的になっていった。
生活と、読むと、書くと、旅。
そしてそれを休職期間で実行した。
そうやって、「あんたが大切にしたいのはこういうものものだよ!!!」と自分に染みこませていった。
そしてこれがしっかり染みこんだあたりで、健やかに働けるイメージができるようになり、復職できるぞって自信を取り戻すことができた。
カウンセリングを受ける
考えや感情を他人に喋ることで、新たに発見することや感じることがある。
上述の「好きなことをやる」についてもそうだ。
好きなことをすっかり忘れてしまい、「私には好きなことがない」とふさぎ込んでいた私は、カウンセラーさんから「あなた、好きなことあるじゃない」と言われたことで、自分の好きを取り戻すことができた。
精神をやっている時って、そのくらい視野が狭く、考えがねじ曲がり、感情が負に傾いている。
そして、それに自分ひとりでは気付けない。他人に客観視してもらうことで自分の認知のゆがみに気付けると、このように治療が一歩前進したりするのだ。
加えて私は、人を前にして口を動かして喋ると、自分から新しい考えが出てくることがよくある。
先日のカウンセリングでは、仕事が終わったらオフモードになる習慣をつけるために、家の中ににくつろげるカフェスペースを作ってみよう、という具体的な指針を得たりした。
ちなみにカウンセリングには、体力の戻ってきた休職中期あたりから通い始め、3週間に1度くらいのペースで今も続けている。
(自分の感情や嫌な記憶を話すことにもなるカウンセリングは、体力を結構消耗するので、個人的には弱っているときはやらない方がいいと思っている。)
ネックは高価なことだが、私は福利厚生も活用しながら、自己投資として続けていく予定だ。
たくさん歩く
散歩はうつ病に良い、みたいな言論がこの世にはあるが、私の場合はそれが当てはまったように思う。
まず、どんな病であっても、治すためには体力が必要だ。
とくに精神疾患においては、自発的な行動が回復において必要になると思うので、体力は必要条件だったなと振り返ってみて思う。
「回復したい」と思い続けられる体力、そして「楽しいと思えることに取り組める」「自分と向き合って解決策を見出せる」といった体力など。
人間、疲れるとネガティブになりやすい。精神力で解決せねばと思っていたものが、実は体力で解決できることもあるのだろう。
とはいえ「体力づくりを頑張りすぎて症状を悪化させる患者さんが多いので、無理はしないでください」と医者に言われたし、体調と相談しながら休職中期以降で取り組んでいた。
それから私は、散歩によって”マインドフルネス”をだいぶ体得できた。
マインドフルネスとは、「今ここに集中する」という営みのことで、今という時間を楽しむ=人生を楽しむことや、脳みそを休めることにも繋がるもの。
今をおろそかにして過去や未来のことを考え、それによって脳が疲弊していた私にとって、マインドフルネスの体得は急務であった。
最初のうちはいまいち感覚がつかめなかったのだが、散歩をするたびに、目に入る木々の色や空気のにおい、足裏の感触に意識を向けているうちに、今を意識する感覚がだんだんと分かっていった。
そして先日、明確に、「今、地球上を歩いている自分がここにいるんだよ...!!」ということをはっきりと感じることができたのだ。何言ってるのか自分でもわからんが、そう思ったのだ。
これで合ってんのか正直分からんが、これが私のマインドフルネスだということにした。
復職してからも、駅までの帰り道で今に集中することで、仕事を頭から追い出してオフモードに切り替わることが、少なくとも休職前よりはできている。
自分の声を聞く
「私は私に無頓着すぎた」というのが、この期間でおそらく一番有益な気付きだった。
あるべき姿に囚われて、自分がどうありたいかは重要ではないと思っていた。
誰かと一緒にいる時は相手にばかり気を向けて、自分の体調や感情は一切無視していた。
私は私を大切にしていなかった。
大切にしようと思っても、大切にするやり方がわからなかった。
自分の感情に素直になろうと言われても、自分が何を感じているのか分からなかった。
自分の体調に合わせて対応しようと思っても、自分の体調が分からなかった。
なんかそれってまずくね?そもそも自分を知らなきゃじゃね?と思って、自分の体と心を気にして過ごしてみた。自分の状態や感情をジャーナリングしたりして。
そうしていたら、しだいに出るわ出るわ、自分からさまざまな訴えが出てくるようになった。
「ちょっと寒いから暖房つけたい」とか、「ちょっと息がしにくいから外に出たい」みたいな体調に関わるやつから、「ちょっと寂しいから誰かと話したい」とか「ちょっとしんどいから休憩したい」みたいな感情に関わるものまで、それはもう色々。
これまでは私が私を無視するから、私の中の私が「訴えたって無駄だよな・・・」と、さまざまな感情に無意識にふたをしてしまっていたんだろう。
でもそれだと、体調を壊す(経験談)。
私は私の一番の理解者になって、私の願いを叶え続けていく必要があるみたいだ。私の心地よいを、作り続けていかなくちゃならないみたいだ。
そうやって自分の声を聞いて、それに応えていくと、自分が自分を信頼してくれるようになった。
これからの人生、こいつに預けても大丈夫だろうと思えるようになっていった。
なんかうまく言えないんだけど、自分のままで、自分らしく生きていける気がしたし、それでいいんだって思えるようになった。
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この記事はあなたにとってなんの参考にもならなかったかもしれないけれど、この世界を生きなきゃいけないすべての人類を、私は応援しています。
大丈夫です、大丈夫。
多分この世は死んだほうがマシだけど、死んだほうがマシだと思いながら生きている人類がたくさんいます。だから、大丈夫です。
あなたがしんどくて超えられそうにない夜を、一足先に元気になった私がバクに乗って食べに行くね。
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