この頃わたしの目には、世界が灰色に見える――なんて言ったら、ママは心底うんざりって顏で「なに言ってんの」と言ったけど、心底うんざりなのはわたしの方だ。 朝起きて、学校へ行って勉強をして、夕方になれば家に帰って夕飯を食べて、夜になれば眠りにつく。 この途方もない日常は、どこへ向かっているっていうんだろう? もしかして、大人になるって、このルーティーンの“学校”が“会社”に、“勉強”が“仕事”に変わるだけ? なんて、そんなことに気づいてしまった日にはもう大変。 わた
みなさま! お元気ですか~? わたしは元気です! 先日、ずっとずっと会いたかったお方についに会えた! という嬉しいことがあったので、ぜったいぜったい文字にするぞ~っと思い、ご本人に許可をとってこうして日記を書いています。 とってもハッピーな記事になるとおもうので、とってもハッピーな記事を読みたい方は、ぜひ読んで行ってくださいね。 それでは! 何年か前のはなし わたしの大好きな方。それはnoteもやっていらっしゃる、ラム子さん。すみません、リ
プロローグ あの真夜中のプールサイドで、本当はぼくは、飛び蹴りをしてやりたかったんだ。 一人をいたぶって笑う最低な奴らの背中に、ぼくの靴の痕がくっきりついて、そのまま前のめりに倒れこむ。 そんな光景を、本当は。 「馬鹿、満!」 けれどぼくの目に飛び込んできたのは、顔を歪めて苦しそうに叫ぶ、海の顔だった。 母親同士が仲が良くて、家が隣で、幼稚園児の頃からずっと一緒にいる存在のことを、“幼馴染”というのなら、ぼくと海はまさしくそれにあてはまる。
芸術のことなんててんでわからないのに美術館に行ってみたり、楽譜すら読めないのにクラッシックを聞きに行ったり、そういう場違いな所に飛び込んでみるのが心底好きだ。誰かが素晴らしいと称えるものを、多くの人が絶賛するものを、ただ純粋な気持ちで取り込んでいると、その素晴らしさや豊さの片鱗を貰ったような気持ちになるから。 美術館にはたいてい、出入り口の近くにちょっとしたカフェのようなものがあって、そこでお茶を飲んだり、ケーキを食べたりするのが私の定番になっていた。教育熱心そうな親に
お元気ですか、みなさま! お元気だといいな〜。 なんとなくタイピングしたいだけの気持ちで今、この日記を書いています。たまにはそんなふうに、ゆるく文章を書いてみてもいいのではないでしょうか。へへ。 ということで、以下はゆる~い書き散らしです。ゆる~く読んでいただけたらうれしいです。 では! お花見あれこれ 先日、仲の良い友人と三人で夜桜を見にいった。 川沿いを三十分くらい歩いて、その間何本もの桜の木が見事に咲いていたのだが、わたしたちはおしゃべりに夢中で、桜のこと
亜美は、庭に咲くヒヤシンスの花に群がる蝶を眺めながら、憂鬱な気持ちを持て余すかのように、縁側から投げ出された両脚をぶらぶらと揺らした。 学校を休みだして、もうかれこれ一週間になる。 ……ああ、これから私、どうなるんだろう? 中学校の、狭い教室の中で、ぽっかりと空いた自分の席を想像すると、胸にもやもやしたものが沸き上がってくる。 きっとみんな、私のことを噂しているんだわ。それも、心配した風にじゃなくて、ばかにしたように笑ったりしながら好き勝手なことを言うんだろ
オン、ユア、マークス、って掛け声に合わせて、会場がしんって静まりかえるときの、あの緊張感が好きだ。スターティングブロックにスパイクのピンを食い込ませて、セットの合図で腰を上げ、雷管の破裂音と共にトラックへ駆け出す。 たった一か月前まで、あたしは走るのが大好きだった。 好きで好きでたまらなかった。 中でもハードル走が一等好きだった。ハードルとハードルの間をリズムよく駆け抜け、次々と障害物を飛び越えて、気づいたらゴールラインを越えている。ハードル走は、とにかく勢いをキ
菫ちゃんが、私より二歳年上のお姉さんでよかったなあ……と、華々しく飾られた壇上で卒業証書を受け取る、しゃんと伸びた細い背中を見ながら、私はそう思った。 菫ちゃん。 他の卒業生の顔がナスやじゃがいもに見えちゃうくらい、菫ちゃんの美しさは圧倒的だった。冬用の黒いセーラー服も、右側だけ耳にかけた、形のきれいなショートボブも、長くて濃いまつげと、くるみのように大きな目も。ぜんぶぜんぶ、何か特別なものに愛されているみたいに光り輝いて見えたのだ。 私が菫ちゃんと、同じ中学校の
少し前に友達と江ノ島にいって、スーパーボールの中に魚のおもちゃ?が入ってるガチャガチャをしたら、欲しかったイルカがでた。 小さな球体の中の、1匹のイルカ。 空に透かすと雲の間を泳いでるみたいになるのがうれしくて、こっそりといつもかばんに忍ばせて、たまにひとりで空に透かして遊んでいた。 話は変わってこの前、家の最寄り駅近くの繁華街で、迷子の子どもを保護した。 猛烈なスピードで人混みを駆け回り、赤信号を無視して車に轢かれかけ呆然としていたところに慌てて声をかけて、「こんに
「なんでこんなの、一人でやってんの?」 両手に分厚い図鑑を三冊も抱えた紺(こん)が、不思議そうな顔でそう訊いて来た時、私は思わず大きな声で泣いてしまいそうになった。けれど泣けなかった。紺の前で泣くなんて、そんなみっともないことはしたくなかった。 「なんか、委員の仕事でさ」 口から出た自分の声は、もうごまかしようがないほど震えている。ぎゅ、と手を握る。ツンと鼻が痛くなる。誤魔化すように下を向き、ただひたすらに『南中体育祭のしおり』の角を揃えてホッチキスで留める。がしょん
沙也ちゃんの「死にたい」が、正しく「死にたい」という意味で使われたのは、あれがはじめてだったように思う。 というのも、彼女は昔から日常生活において「死にたい」という言葉を多用するタイプの子だった。 朝いちばんから彼女の苦手な数学の授業が入っていれば「死にたい」、推しの俳優に熱愛報道が出れば「死にたい」、化粧や髪のセットが上手くいかなければ「死にたい」。ニキビができれば、靴ひもが解ければ、教科書を忘れれば、雨が降れば、逆に晴れ過ぎれば。 「翼。あたし、死にたい」 だ
3/21(火) こんにちは。みなさまお元気ですか。私は元気です! 職場で新しい仕事をたくさん教わったり、ぎゃくに新人さんにお教えしたりと忙しない日々が続いています。 私は今の仕事がわりと好きなので充実感はあるのですが、とはいえ頭を使えば使ったぶんだけきちんと疲れるというものです。 夜、仕事が終わって家に帰って(そういえば麦茶のパックがないんだった)と思って、最寄りのコンビニに行くか〜と重い腰を上げた時、鏡の中の自分があまりにくたびれた顔をしていたので、(おおかわいそうに
ある晴れた秋の日のことでした。 一人の年若い娘が、おっかなびっくり町を歩いていました。この娘は普段、外へ出歩くことなどほとんどないような、たいへん大人しい性質の持ち主でしたが、たった一人の家族であるおばあさんにお遣いを頼まれてしまったのです。 「私の古い友人が、自分の所有している画廊で個展を開くらしい。とはいえ私はこの通り目が悪くて、絵の鑑賞なんてとてもできやしないし、そもそも町まで歩いてゆける体力もない。お前、ちょっと行って、あいさつをしてきておくれ」 おば
私のお父さんは神様から特別な命を受け、人々に幸福をもたらすために活動する、天の使いなのだそうだ。 私たち二人しか住んでいない狭いアパートの一室には、私の身長を優に超すような大きな仏壇が置いてあって、お父さんは朝に一時間、夜に一時間、仏壇に向って必ず祈りを捧げる。お日様が昇るよりも早く起きてお祈りをはじめるものだから、私の朝はいつも、低く唸るようなお父さんの声が聞こえてくるところからはじまるのだ。 仏壇の中には小さな掛け軸が垂れていて、そこにはいかにもってかんじの髭
ジョゼおばさんは、むかし、姉が通っていたピアノ教室にいた先生だ。 わたしは小学生の頃、毎週火曜と金曜の週に二度、母に連れられ、姉の迎えのためにジョゼおばさんのピアノ教室を訪ねた。 そこは白いモルタル壁に赤い三角屋根が特徴的な小さな一軒家で、玄関口から二メートルほど離れた門のところに「辻本」の表札と、その下に「辻本ピアノ教室」と書かれた控えめな看板がささやかにぶら下がっていた。わかりやすく大きな看板を掲げているわけでも、ホームページを持っているわけでも、町中にチラシ
私はおばあちゃん子だった。いや、おばあちゃん子だ。今までもこれからも、おばあちゃんのことが大好きだ。 おばあちゃん――と書くとなんだかちょっとしまりがないというか、甘ったれたかんじが出てしまうので(ヘヘ)、以下、祖母、と表記しようと思う。 祖母は、詳しくいえば母方の祖母は、私が十七歳の高校二年生の時に肺癌を患って亡くなった。 私は難儀な子どもだった。そしてその難儀さをずるずる引きずって、今ではすっかり難儀な大人になったように思う。家族との仲があまり良好とは言