第2話/前編「あなたのカンフーはなんですか?」
YOJO ZINE 第2話/前編「あなたのカンフーはなんですか?」
香港禦拳師範(中国武術) 奥圭太×新町お灸堂すきから
WHY YOJO? 健康にすごすのが難しい世の中で。
養生(YOJO)とは読んで字のごとく「生(いのち)を養う」ということです。この養生には食事睡眠などの生活習慣の調整だけではなくて「自分の幸せを自分で定義する力」「自分の機嫌をとる」ことなども含まれると思っています。身近であるがゆえに解像度が低く、家族や恋人同士でも全然違う「健康」という概念について「養生人」とすきからが対談し、その知恵を集めることで自分らしい「健康」や「養生」をみつめるきっかけを作りたいという思いでスタートしました。
第2話のゲストは、カンフーの人、奥圭太さん。
第2話のゲストはすきからが、この企画で絶対に話を聞こうと決めていた「カンフーの人、奥さん」。出会いは昨年。大阪の某所で開催された鍼灸師たちが集まるクラブイベント。一心不乱に踊るすきからの目の前で、俊敏な動きでフロアの注目を集める男。それが奥さんでした。そこから意気投合し、話をしていくうちに奥くんが”カンフー”の使い手であることを知ることに。そしてこの"カンフー"という、一見して日常からかけ離れたテーマが実は私たちの養生や生き方につながっています。
【プロフィール】
奥 圭太(おく けいた)
香港禦拳(GYOKEN)師範。鍼灸師、国際中医師。趣味は絵画。青年の頃よりカンフーの道を志す。大学で地学、専門学校で鍼灸学を学んだのち大手アパレル企業の勤務を経て現在は大阪で道場と鍼灸整骨院経営。
カンフー青年とプレートテクトニクス。
すきから:今日は大阪難波からお送ります。オクくんは、カンフーの人、中医学(鍼灸)の専門家でもあるけれど、前回話してくださった中村佳太さんと同じく、地球科学の専攻なんでしたっけ?
オク:そうそう、ただ宇宙ではなくて、どちらかというと地学です。京都の花背がフィールドで、プレートテクトニクス(地球の表面がプレートと呼ばれるいくつもの部分に分かれており、それが動くことで大陸移動などが起こると考える理論)の研究をしてました。大学に通いながら夜間で鍼灸の学校に通って、大学3年生で鍼灸師の免許を取ったって感じですね。
すきから:社会人で夜間の鍼灸学校に行く人はよく聞くけど、大学に行きながらというのは珍しいですね。
オク:自分が学んでいたプレートテクトニクスの話って、目に見えないエネルギーの話だったりします。地面が割れたところに水が入って、ぐちゅぐちゅになって動くから岩盤が動いて、熱が発生して、新しい鉱物が溶け出して、湧き水が出る、土が動いて土壌になる、植物生える、動物がくる、みたいな流れ。人間の目には見えない。そういうのが、結局、中国でいうところの、「気の流れ」として説明できます。
すきから:大きなエネルギーについて、西洋科学的な視点から説明するのか、東洋思想から説明するのか。そこに共通項があるのは面白い。中国だと、エネルギーを龍にたとえたりしますよね。
オク:そうそう。昔、中国にはめちゃくちゃ沢山小さな集落があって、それぞれ鹿や魚や鳥とか蛇とか、いろんな動物の守り神を祀っていたんです。その集落が連携したり大きな集落に吸収されたりで寄り集まった崇拝対象が「龍」という存在なんです。小さな共同体の力の集合体を空想上の動物、龍という存在に昇華させていった。「集まって一つの大きな中国として強くなるんだ!」というような国づくりの考え方が、「龍」の根底にあったりします。
すきから:面白いですね。大きなエネルギーが可視化された存在みたいな。ちなみにカンフーには、どういう流れで出会ったんでしたっけ?
オク:本格的にカンフーを学んだのは中学生の頃。もともとは、身体がそんなに強くなくて。アレルギーとかアトピーがあったりして、母が心配して「病は気から」ということで気功を学んだりして。その流れでカンフーに目覚めたのかな…。最初はジャッキー・チェンとかブルー・スリーとか。あとは漫画で『らんま1/2』とか『ドラゴンボール』とかそういうものへの憧れがあって。あとは武侠小説(ぶきょうしょうせつ)を読んでました。
※武侠小説『金庸』…中国の偉大な武術家の人生について書かれた小説。中国では日本の司馬遼太郎くらい知らない人はいない作品。(※オクさん談)
オク:学校では武侠小説読んで、帰ったらカンフー映画見て練習するみたいな。
すきから:今と全然変わってない。(笑)
オク:まぁ、変わってないですね。(笑)親は、カンフーの道場に行きだしたあたりから「うちの息子やばいのでは?」と心配していたみたいです。「病は気からの方向性が違う!!」って。(笑)
"金魚が泳ぐように" インビジブルな東洋の身体言語
すきから:ちなみにちょっとお聞きしたいんですけど、オクくんは「気」をどういう風に説明しますか?
オク:言葉で説明するのはやっぱり難しくて「目に見えないけど何かある、それら全てを気と呼ぶ」ですかね。天気や運気や電気みたいな。
それから、「気」というのにはいくつかの情報が複合的に入っている。例えば美味しさには、色んな五感の要素が含まれたりするし、食事をする場や一緒に食べる人によっても、美味しさが揺らぐ。つまり、気も揺らぐ。総合的なものという感じでしょうか。
すきから:言葉にしたら胡散臭かったり、漏れ落ちて大事なことを落としてしまいがちで難しい部分がありますね。東洋の価値観って。
オク:結局、言葉を色々とあてがうよりも、その思想が生まれてきた空気とか文化を理解することの方が自分にはあってるなと思いました。さらに言えば、自分が体現できるようになって、実際にやって見せるということ。カンフーでもなんでも、技をみてもらって感じてもらう方がよく分かるから。
例えば、中医学の鍼の先生が、鍼の刺し方について「刺すときに、そこに金魚がいるんですよ」と教えてくれたことがあって。
すきから:金魚??
オク:これは、針が皮膚の下を通るときに、泳いでいるように針を動かすということなのですけど。角度を何度にするとか、力加減がどれくらいというのは、相手によってもその時の状況によってもベストな状態は変わってしまうから断言はできません。でも「金魚が見えるように動かす」というのは、いつも指針であり続けることができる。そういう感覚って、気に通ずる。金魚が見えたら大丈夫という教え。「気とは何か」を言語化することより、「気をいかに捉え、扱うのか」が大切だということなんです。
「あなたのカンフーはなんですか?」
すきから:ところでカンフーっていうと、アクション映画のイメージが強いけれど、本来はそれだけを指す言葉ではないっていう話をオクくんから聞いて、目から鱗だったんですよ。
オク:本来の意味は「何か修練したことによる実力」ですね。「ハオ・カンフー!」と言われたら「レベルの高い、良い仕事してるね!」という意味になります。ジャッキーチェンとかブルースリーとか、アメリカのアクション映画の影響で、その思想が逆輸入された結果、日本でも「中国武術=カンフー」というイメージが広まりました。
すきから:「間違った意味でひろがっている」みたいなことに憤ったりしないんですか?
オク:語られ方や実践のされ方が土地によってカスタマイズされたり混ざったりしてくことって結構あると思うんですけど、それはそれで面白いなと思います。それに、たまたま自分のカンフーは中国武術だけど、言ってみればチャーハンを綺麗に炒めることも「カンフー」なんです。人それぞれにカンフーがあって。大切なのは「あなたのカンフーはなんですか?」ということです。
ジャッキーチェンの映画でもそいういうシーンはよくあるんです。『新少林寺』という映画では、カンフーが苦手な料理人の男が、戦わないといけなくなった時、肉まんの皮を捏ねていたその動きとか、フライパンひっくり返す動きがそのまんま、技になるとか。『ベスト・キッド』というジェイデンスミス(ウィルスミスの息子)が出演してる映画でもジャケット脱いで、ジャケットかけて、ジャケットひろう、みたいなのをひたすらやらされるシーンがあるんですけど。「そのまま日常に当たり前にある動作」にこそカンフーがある、ということなんです。
その人の価値、環境にあった動きが何にでも応用できる。日常にあるものをカンフー(修練したことによる実力)にしていくというのが本当で。そうしておけば、朝起きて日常生活を生きているだけで修練されていきます。
すきから:「あなたのカンフーはなんですか?」ってすごく良い問いですね。日常生活のなかに、人それぞれ自分のカンフーを見つけていく。
オク:うちの師匠は、毎日練習しろじゃなくて、毎秒練習しろと言います。日常の積み重ねの中で強くなっていくというのがカンフー。
すきから:毎秒と言われるとよりその瞬間に集中できる感じがする!そういえば、奥くんにzoomでカンフーの突きのレッスンしてもらったことがあったけど。その後でお灸の施術をしていたらお灸を据える動きと突きの動きがそっくりで「あ、これカンフーで習ったやつだ!!」となったんですよ。
オク:そういうやつです。そういう気づきってすごい大事。カンフーの所作を習っても、それを自分で自分の日常に落とし込んで行かないと意味ない。まさに「あ、これ進研ゼミで習ったやつ」みたいな感覚です。自分の物語を描いていく、自分の道を歩いていくために、自分のカンフーには、自分で気づいていかないといけないんです。
飛び方は鳥が一番知っているし、泳ぎ方は魚が一番よく知っている
すきから:でも自分のカンフーにはどうやって気づいていけばいいんでしょうね?自分に適していることが何かって見つけることに悩んでる人も多いと思います。
オク:荘子の言葉で「飛び方は鳥が一番知っているし、泳ぎ方は魚が一番知っている」というのがあります。自分が何を知っているかを求めていくっていうことが生きてくってことなのだと思います。自分が魚なのか、鳥なのかを知ること。
ちなみに自分の場合は、子どもの時に「うぉぉぉぉーカンフーかっこいいー!!!」から、そのまんま大人になってるから…。社会に出てから、「あれ?これはまさか、みんなカンフーしてないな?」って気づいたんですけどね。(笑)
すきから:(笑)(笑)(笑)
オク:でも結局、自分の付き合ってる人とか、「かっこいいな!」と思うものにヒントがあると思います。大人になってくると、社会的な立場だったり、他人からどう見られるかを起点にして、自分のできることを考えてしまう。
本当は、子どものままで良くて。お父さんやお母さんが認められなかったとしても「かっこいいな!最高だな!」って、日常の中で自分が絶対選んじゃうものがカンフーになっていくんだと思うんです。
すきから:なるほど。自分で自分の好きなものについての解像度が低い場合ってあると思うんですけど。「私の好きなものってなんだろう?私の得意ってなんだろう?みたいな。」オクくんは映画も本も歴史も詳しいし、色んな種類の武術をやってますよね。そもそもインプットが好きな人だからこそ自分の好きが見つかっているところもあるのかな。
オク:「カンフーかっけぇえええ」!!」を突き進んできた結果ではあるけど、自分はめちゃくちゃ広げて絞って行く派だというところはあります。カンフーの達人とか、昔の偉人たち、安倍晴明にしても諸葛亮孔明にしても、ものすごく幅広く博学なイメージあります。色々自分の中に入れてみるっていうのは大切なのかもしれない。
エリザベス・ギルバートという人が書いた『BIG MAGIC 夢中になることからはじめよう』っていう本があるのですが。ジュリア・ロバーツ主演で映画化された『食べて、祈って、恋をして』というので有名になった人なんだけど、その後にヒット作を出さないといけないというプレッシャーで押しつぶされそうになった時に書かれた本。
「天職」っていうのはあるんだ。って話が出てくるんです。アイデアというものは、同時に世の中の色んな人の頭に降りてくるというタイミングがある。その時に、ご縁があれば自分がそのアイデアを世の中にアウトプットする役になるし、ご縁がなければ、「あ、この小説に書かれてること、私も同時に考えていたのに…」みたいなことがあり得る。ご縁みたいなものを掴むためには、苦しくても、なかなか掴めなくても、常に向き合おうとしていることが大切だって。自分に魔法をかけて、向き合い続ける必要はあるのかもしれないですね。
命を運ぶとかいて、運命。「ただ、流れる」のすすめ
すきから:オクくんは、カンフーや中国武術を学んでどうなりたい、目標、みたいなものってあるんですか?
オク:漫画や小説で読んで憧れた達人みたいに強くなりたいとか、カンフーの極意に近づきたいとかっていうのはありますね。カンフーの目的ってすごくシンプルで「強くなること」「自分より弱い人を助けること」なんです。それはいつも頭にあります。
その一方で、静かに淡々と、縁に任せてやっていくという感覚が最近は強いですね。その時求められるものに、「天」に応じて進んでいくという感じ。達人クラスの先生に話を聞いてみると、達人になろうと思ってなってなくて、「縁」でなっているというのがわかってきました。
去年、おじいちゃんが亡くなったんですけど、その時に刀が出てきたんです。ボロボロの鉄くずみたいだったんだけど、持った瞬間になんとなく”なんかある”ってわかって調べてもらったんです。そうしたら、その刀は室町時代にうたれた刀で、こしらえ、彫金、柄、編み方も全て別の職人さんに仕立ててもらって、いろんな伝統工芸の技が結集された名刀だったんです。それを見て、自分がどこからきたのかというルーツを知りたいと思うようになったんです。
すきから:自分のルーツか…。
オク:それから実家の田舎にある蔵を漁ったら、刀や火縄銃、勲章、それと薬研(やげん…生薬をすりつぶす道具)みたいな漢方に使う道具も出てきたんです。親戚中で武道をやるのも、東洋医学に関わってるのも自分だけで…案外、この場所に自分が立っているのって、流れてくるべくして流れてきたと言うことなのかもしれないなと思いました。
『運命論』という本に、”運命とは命を運ぶことだ”と書いてあったんです。父母、祖父母、その前にも先祖がいて、ただ淡々と流れついてここにいるという感覚になりました。ある意味、自分ではどうすることもできないし、そこから自分がどこに流れていくのかというのも、流れのままにいくしかない。自分のゴールを考えることにあんまり意味がないかもななんて。
すきから:自分で目標を設定して達成するみたいなのはよくあるけど、そうではない方法もあるってことですね。私も流れ流れて気が付いたらお灸の仕事をしていたし。
オク:ちなみに実力とはまた別で、才能みたいなものはあると思っているんです。おじいちゃんの刀に「何かある」って気づいたのも、これまで色んな武術の達人に出会って、目を肥やしてきたからかもしれない。そういうご縁、才能みたいなものは自分にもあると思っています。
すきから:気づくことができるのも才能ですね。
オク:人は受け取ったものとこれから受け取るものが全部だと思う。何かを人から教わるということは、その人が命という時間を削って習得したものを、命を削って教えてもらうということです。受け取る機会を得た人しか受け取れないものや、気づけないものがある。
自分の戻るべき場所があると強くなれる。
すきから:ちなみに、職業とカンフーって一致するものですか?
オク:必ずしもそうじゃないかもしれないです。会社員をしていた時代に、今でいうブラックな職場で、人がどんどん過労で倒れているていくという現象があったんですけど、自分だけは休職しなかったんです。体力があるからというのもあるけど、戻るべき場所があったっていうのは結構大切なことだったのだと思います。自分には、「高めるべき別の場所がある」という感覚。それが中国武術じゃなくても、家族でも、仕事でも、仲間でも、物理的な場所でもいいと思うんですけど。身体を鍛えても、ちょっとしたことで心は折れたりするものです。芯に戻って来られる、そういう強さ。
すきから:仕事ではなくても自分の「カンフー」があるというのは心の支えですね。僕の場合はなんだかんだで仕事かもしれない。お灸を据えている時間で自分も整う感じがする。オクくんの話、濃すぎるし(すでに1時間半)。前編後編に分けましょうかね。
オク:僕、養生の話してますか?カンフーの話しかしてないような(笑)
すきから:してるしてる。大丈夫です。(笑)
>>後編へ続く
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話し手:奥圭太
聞き手:すきから
編集:篠田栞
イラスト:篠田彩音
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お灸とデザインの人。お灸治療院のお灸堂、お灸と養生のブランドSUERUの代表をしています。みのたけにあった養生ってどうすりゃいいの?という課題に向き合う毎日です。