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私は言葉に生かされて、いずれ言葉に殺される。


人は淵に立っていて、ぽんと背中を押されたら抵抗することもなく、落ちてしまうような危うさを持つ。

小さな不幸が重なって、
些細な一言が波紋となり全身に伝う。
表面張力、ギリギリで保っていた水面が揺れ、溢れる。
誰にも響かない言葉が、そのとき偶然に自分の背を押すかもしれない。


心の器に溜まった水を、全て抜く言葉がある。
淵に留める、歌詞も一節も。
目に映る景色の輪郭を鮮明にして、
広がる風景がどんなものであろうと
自身を受容する優しいものに変えてくれる言葉がある。

言葉は 良くも悪くも大きな力を持ち、
人は 危うい境に立っている。



器の深さも、形も、皆それぞれに異なって。

小さくとも広い口の器を持つ人は
近接に思えたその淵への到達は遅く、
窄んだ口の器を持つ人は
海のような広大から一変して、瞬間そのときが来るのだろう。

きっと「そのとき」は来るまで知覚されず
日常と人とを切り離す。
後には綺麗な断面だけが残る。

溢れ返った言葉のどれが
他人の背を押したかなど分からない。

ただ、残されたその跡を
眺めることしかできないのである。





鋭利な言葉が牙を向き、自分を沈めても、
私を引き上げるのもまた言葉であった。
私は言葉に支えられて生きてきた。

歌詞が、詩が、台詞が、添えられた言葉が、私を奮い立たせた。

心を整える術だって、今ここに言葉を吐くことであり、そのきっかけを与えるのもまた言葉である。

言葉には大きな力がある。
だからこそ、私の最後の一滴は言葉ではないかと思うのだ。


だからそのときまで
私にとって大きな存在である言葉に、
縋って、信じて、生きていたい。

小さくても、不格好でも、自分が居た証を言葉として残したい。


そんなことを思いながら今日も、明日恥ずかしくなるだろう駄文をここに。





正気に戻って来たのでここまで…。
最後まで読んでくださった方がいるならば、本当にありがとうございました。

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